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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第19日目

前回のお話は以下URLから。


第19日目(2007年8月14日)

富山ー金沢ー福井ー敦賀ー東舞鶴ー綾部ー京都ー西明石ー尼崎ー宝塚ー福知山ー豊岡ー城崎温泉

8月14日の行程

19.1 北陸本線特急街道(1)

▲ 富山駅

 富山駅前のホテルを7時過ぎに出た。きょうも澄み切った青空が広がり、清々しい。ここのところ天候には恵まれているから、旅をしていても楽しい。本来なら、もう少し早起きして急行能登にでも乗りたかったところだが、それには間に合わなかったのである。

▲ 特急サンダーバード10号

 富山駅のみどりの券売機で金沢までの自由席特急券を購入する。7時24分発の特急サンダーバード10号に乗車する。魚津始発のサンダーバードで、既に何人かの乗客が乗っていた。僕は、自由席車へと乗り込む。富山を出た時点では、窓側にも空席がある様子であった。お盆の時期だから、出張のビジネスマンの姿は少なかったから、この時期だけの光景なのだろう。

▲ 砺波平野の車窓

 富山平野の南西部に位置する砺波平野に入る。ライトグリーンの水田に青空が美しい。遠くには飛騨山地か白山の稜線がうっすらと見えるくらいに、広大な平野だ。

 高岡を過ぎると、山の中へ入る。倶利伽羅峠を越えるのである。この倶利伽羅峠では800年以上も前に源平の合戦があったという場所だ。どのあたりが具体的な現場なのかは知らないが、とにかく史実であることは間違いないらしい。列車は、そこを一気に通り抜ける。

 金沢平野に入ると、左手から真新しい高架線が近づいてくる。北陸新幹線の高架線である。東金沢の手前でそれが少し離れて、高架線との間に金沢総合車両所が現れる。金沢総合車両所には、今朝方着いたばかりの寝台特急北陸号が青い客車と赤い電気機関車の編成で停まっていた。

 金沢のホームへ入るとき、ホームには多くの乗客が列をなしているのが見えた。僅か6分後には金沢始発の大阪行特急雷鳥12号が出発するが、速達性の高いサンダーバードを選ぶのだろう。

 僕は、一人、金沢駅で下車した。

19.2 北陸本線特急街道(2)

▲ 特急雷鳥12号

 金沢駅からは、8時10分発の特急「雷鳥12号」に乗車した。パノラマグリーン車を連結した雷鳥号である。例によって、僕は先頭の1番C席へと向かった。

▲ 特急雷鳥12号のグリーン車

 グリーン車は僕だけで寂しいが、乗務員室には運転士の他に指導役の先輩運転士も乗務している。

▲ 前面展望

 フロントガラスからは、対向する列車の姿がよく見える。普通列車とすれ違うことも多いが、やはり特急列車とのすれ違いが印象的だ。国鉄の時分から、北陸本線は「特急街道」と謳われた線区である。かねてより北陸は、東京、大阪、名古屋とを結んできた。今でこそ上越新幹線や北陸新幹線が開通して東京へ直通する列車は夜行列車のみとなったが、それでも依然として上越新幹線に接続する特急「北越」や「はくたか」は本数も多い。

 西へは大阪とを結ぶ特急「雷鳥」を始め、その次世代列車である「サンダーバード」、また名古屋とを結ぶ「しらさぎ」などが走る。それらは普通列車よりも本数が多いから、JR時刻表などを見ると、北陸本線のページは赤色の字が目立つ。

▲ 特急はくたか5号とすれ違う

 しかしながら、この時間帯は実は下り特急列車は少ない。それは、大阪・名古屋方面からの始発特急列車がまだ到着していないからである。現に、福井駅に到着するまですれ違った特急列車は、福井始発の「はくたか5号」だけであった。

▲ 夏らしい車窓

 この辺りは、平地の多くが水田として利用されている。それらは、ライトグリーンに染まって青い空とマッチングしている。日差しはきつく暑いはずなのに、その組み合わせは僕を爽快な気分にさせた。

▲ 九頭竜川

 芦原温泉を出て、九頭竜川を渡ると、景色が人工的に移り変わる。高架を行くと、列車は次第に減速していき、高架化されてすっかり印象の変わってしまった福井駅に、9時02分に到着した。

19.3 北陸本線特急街道(3)

▲ 特急しらさぎ4号

 福井からは、9時14分発の特急「しらさぎ4号」に乗車した。サンダーバードと同様の683系電車だが、サンダーバードや雷鳥とは編成の向きが逆である。したがって、僕の乗車する1号車のグリーン車は最後尾となる。

 しらさぎ号に使用される683系電車はサンダーバードのそれとは異なって、1号車の乗車口が運転台のすぐ後にある。当然に僕はそこから乗り込んだわけだが、僕の座席はというと、10番C席で最も奥の座席となって、大きな荷物を抱えて車内を移動するのは気が引けた。

▲ 特撰ますのすし

 僕は席に着くと、昨夜、富山の友人に頂いた富山の駅弁、「特撰ますのすし」を朝食代わりに食べた。食べていると、車掌さんがやってきて車内改札を済ませる。特急券・グリーン券だけを見て、僕に返した。

 武生を出ると、両側の山々が迫ってきて、谷間をいく。しばらくすると、ゴーッという音と共にトンネルへと入ったが、中々外へ出る気配はない。北陸トンネルである。

 約8分で北陸トンネルを抜けると、敦賀に到着した。

19.4 小浜線

▲ 銀河鉄道999のオブジェ

 敦賀駅のロータリーから市街地へと伸びる道を行く。両側には個人商店が並び、歩道には漫画のキャラクターを模したオブジェが設置されている。いずれも漫画家松本零士氏の生み出したキャラクターであり、銀河鉄道999を始め、宇宙戦艦ヤマト、宇宙海賊キャプテンハーロック、クイーンエメラルダスなどのワンシーンを銅像にしたものである。

▲ 敦賀駅

 これらを一通り見て回って、駅へと戻る。つい駅弁売り場に目がいって、ご当地のお弁当を選びたい気持ちになるが、ついさっき食べたばかりとあって、やめておくことにした。

▲ 普通東舞鶴行き

 敦賀からは、10時44分発の東舞鶴行普通930M電車に乗る。125系というおよそローカル線には似つかわしくない近代的な車両だ。車内は、転換式クロスシートが設置されており、中々快適な設備だが、如何せんローカル線のこと、本数が少ないために乗客が集中して混雑するという現象はここでも見られた。ゆえに、快適な設備だが混雑するので、座れない乗客は窮屈そうに立たねばならない。座る分には快適かもしれないが、立つ側からすればそうではないようだ。

 という状態だから、やれクロスシートだの何だのと快適な座席ではあるけれど、これでは駅弁など食べる気にはなれない。そういう意味では、ローカル線のクロスシート車であっても、駅弁を食べるには億劫になってしまう場合もあるということである。

▲ 敦賀の郊外

 さて、敦賀駅を出発した930M列車は、しばらく北陸本線と並走したあと、右側へ大きくカーブして離脱する。敦賀の市街地の南を回って列車は、西向きに進路を取る。

 若い親子連れが、初老の男性に挨拶をしている。どうも偶然に顔を合わせたようだ。都会の電車では中々見られない光景で、ローカル線ならではの光景である。

▲ 小浜線の車窓

 美浜駅付近で、車窓に目をやると、この辺りも稲作が盛んなようである。さらに遠くには日本海もチラリと顔を出し、青空と海と水田の色の取り合わせが美しい。もう少し日にちが経てば、ライトグリーンの稲が黄金色へと変貌するのだが、季節によって変化する風景を手軽に楽しめるのは日本の自然の特徴だろう。

 美浜駅を過ぎると、小山と水田の中に水辺が見える。対岸が見えるから海ではなく、湖である。若狭湾国定公園の名勝である三方五湖だ。

 三方五湖は、三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖からなるが、三方湖、水月湖、管湖は実は繋がっていて、南側から伸びる細長い半島が3つに分けているように見えるのである。

▲ 小浜駅

 11時46分、列車は、小浜線の中核駅となる小浜駅に到着した。運転士が車内放送で12時04分まで約18分停車すると言うので、気分転換に駅の外へ出てみることにした。

 改札口で途中下車印をもらっているとき、後で「地獄の夏」と言う茶髪の高校生がいた。きょうの天気はその比喩表現が見事に当てはまるほどに日差しが強く、そしてひりひりと暑い。僕は、駅前に出てすぐに列車へ引き返した。車内はエアコンが効いてて快適であった。

▲ 若狭湾

 小浜駅を出てしばらくすると、若狭湾が見え出す。ちょうど海水浴場のそばを列車が通るから、賑わっている様子がよく見える。若狭和田駅や若狭高浜駅などでは、海水浴に来た高校生らが降りて、入れ替わりに泳いできたばかりの高校生が乗り込む。

 海から離れて山の中を行く。青郷駅を出ると、トンネルに入る。このトンネルが福井県と京都府の境界である。松尾寺駅を出てしばらく走れば、それまでの谷間の風景が徐々に開かれて人家がいくつも車窓に映るようになる。そして、その数が益々増えて住宅街の真ん中を走るようになると、高架線路へと入った。眼下には住宅地が広がり街並みが見られた。次第に列車は減速する。12時50分、列車は混雑したまま、終点の東舞鶴駅に到着した。

19.5 山陰本線へショートカット

▲ 普通福知山行き

 東舞鶴駅では3分の接続で普通福知山行に乗車した。小浜線の普通電車よりも旧式の国鉄型と呼ばれるタイプだが、ローカル線用に短編成での運用が可能なように改造されている。その識別のためか、本来、東海道線などでは見られることのない細い白帯が見られる。

 僕は、先頭車まで行って短めのロングシートへ腰を掛けた。小浜線では混雑していたから座れるかどうか不安であったが、特に問題なく座ることができた。それは、この列車の編成両数が、先ほどの列車よりも多いためである。

 東舞鶴を出ると、次は西舞鶴である。西舞鶴は北近畿タンゴ鉄道との接続駅であり、東舞鶴よりも構内は広いように思う。故宮脇俊三氏が最長片道切符の旅をしたときには、当時の宮津線(現・京都丹後鉄道)へ乗り継いだが、今はルートが変わってしまって綾部へ向かうようになった。

 山間の中を進み、終点の綾部へ到着した。13時21分である。

19.6 山陰本線

▲ 綾部駅

 綾部で買い物をしようと、駅前をうろつくが、強い日差しに負けて、すぐに綾部駅へと戻ってきた。みどりの窓口で特急きのさき6号と京都からのひかり373号の特急券・グリーン券を購入する。

▲ 特急きのさき6号

 13時51分発の特急きのさき6号は、国鉄特急色編成であった。といっても、純粋に国鉄当時のデザインではなく、直流専用車へと改造したことを示す識別用の細い赤帯が側窓の下に施されている。正面から見るだけだと、往年の国鉄特急を思わせるから、懐かしい感じもするけれど、僕としてはもう一方の西日本色と呼ばれるカラーリングの車両の方が良かった。

 その理由は、グリーン室に入ってみてハッキリとする。山陰地区の183系電車は、交流・直流両用の485系電車から交流機器を取り外して直流専用車にしたことは前述の通りである。中でも国鉄特急色に準じたタイプは、グリーン車が普通車との合造で半室構造になっている。そのため、グリーン席の数を確保するため、2列&2列仕様となっており、使用されている座席も旧タイプのもので古臭さは否めない。一方で、白地にライトブラウンとブルーの帯を纏ったタイプは、一車両丸々グリーン車であり、座席も比較的新しいもので大型のバケットシートが1×2列で並んでいる。当然、後者の方がグレードは高いから、そっちを選んで乗りたかったが、きのさき6号は前者のタイプであった。次の特急「はしだて6号」なら後者のタイプだが、それに乗ると、以降の予定が狂ってしまう。ゆえに諦めることにした。

 特急「きのさき6号」は、普通車もグリーン車もほぼ満員の状態であった。お盆のこの時期だから、単なる帰省のUターンラッシュや海水浴などとも重なっているのだろうか。取れたグリーン席も通路側であった。

 近年、山陰本線、特に京都口は沿線の宅地開発に伴って、近代化したように思う。かつては、京都を少しでも離れると、途端にローカル線になっていた。特に、保津川に沿って走る区間では、むしろ景色の良さが喜ばれていたようにも思う。それが、電化され、新線に付け替えられて、所要時間は短く便利になったけれど、車窓を楽しむという面においては多少面白味に欠けるようになったと思う。ふと、窓の外を見ると、保津川をゴムボートで下る様子が見られたが、それも一瞬であった。

▲ 保津川

 嵯峨嵐山駅を過ぎると、京都の市街地へと入る。高架駅の二条駅付近は山陰線京都口の近代化の象徴のように感じる。それでも単線なのだから、近代化も中途半端な気がする。用地買収が難しいのだろう。

 丹波口駅を通過すると、右手から東海道本線の線路が近づいてくる。大宮通のガード下を潜って、京都駅の広大な構内へと進む。大きな駅ビルの中へと特急「きのさき6号」は吸い込まれるようにして入っていった。15時03分、京都到着である。

19.7 最後のJR東海区間

 京都は、僕が学生時代を過ごした縁ある街である。その頃の僕は、およそ鉄道趣味は薄く、友人らと車で出かけては他愛もない児戯に興じる日々を送っていたものである。

▲京都タワー

 烏丸口へと出ると、京都タワーが見え、ふと後を振り返ると京都駅の巨大な駅ビルがそびえ立つ。普段は阪急を使うことが多かった僕が、何度かJRを利用したことがあったが、初めて京都駅を訪れたときにも、同じような振る舞いをしたような気がする。

▲ ひかり373号

 京都からは、新幹線で西明石を目指す。僕は、15時21分発の岡山行「ひかり373号」に乗車した。やはりグリーン車であったが、先ほどの「きのさき6号」とは対照的に空席が目立つ。

▲ 東寺の五重塔

 ふいに窓の外へ目をやると、東寺の五重塔が見えた。それを見ると、ふと、ゆっくりと京都を歩いてみたいような気がした。日程が取りづらかったとはいえ、ここ数日間は些か先を急ぎ過ぎているような気がしてならなかった。

 15分ほどで新大阪駅に到着した。思えば、これがJR東海の最後の区間であったことに、今更ながらに気づいたのである。最長片道切符の旅で、残すエリアはJR西日本とJR九州の2エリアとなったわけである。そう思うと、寂しく感じてしまう。

 僅かにJR東海区間を行き、そして再びJR西日本区間へと入る。僕は、新幹線を利用するときは新大阪がほとんどなので、今回のように新大阪を跨いで乗ることは珍しかった。これも、自宅近辺が出発地になっていないがゆえである。

 山陽新幹線はトンネルが多い。兵庫県に入り、尼崎、伊丹、西宮と住宅地の中を進んだかと思うと、車窓は闇間に変わった。

 トンネルを抜けると、新神戸である。新神戸を出ると、またトンネルに入った。比較的長いトンネルを抜けると、西明石駅である。16時03分到着。

19.8 明石海峡大橋を眺める

 西明石駅のみどりの窓口に立ち寄る。このあと乗車する特急「文殊1号」と特急「きのさき5号」の特急券を買うためである。窓口も空いていたし、16時17分発の新快速長浜行に余裕で乗れる。しかし、窓口嬢は何やら確認しながら発券するものだから、たっぷりあったはずの時間はいつのまにかなくなり、時計の針は16時17分を回っていた。

▲ 新快速野洲行き

 やむを得ないので、次の新快速野洲行に乗る。西明石を16時32分に出発した。

 16時17分発に乗れなかったからといって、実は大して支障はない。当初の予定では、僕の自宅最寄り駅である川西池田駅に途中下車するつもりでいたが、それがなくなっただけのことである。だとするなら、西明石できっぷを買わずとも川西池田で買っても良かったのだが。

▲ 明石海峡大橋

 明石を過ぎて、右手の車窓に海が見えだした。この辺りの海は、瀬戸内海とも大阪湾ともいえるような中途半端な位置にある。遠くの方に船が見えた。

 都会の雰囲気が戻った神戸を出ると、街中をひたすらに走る。乗客の数は三ノ宮を出て多くなった。尼崎に着く直前に、僕は、その混雑する中を大きな鞄を携えて、恐縮しながらドアへ向かう。17時07分、僕は尼崎に降り立った。

19.9 我が地元を行く

▲ 快速新三田行き

 電車を待っていると、ホームに伸びる影が長い。今朝富山を出たときとは影の伸びる方向が逆で、時間が経ったことを感じさせる。尼崎からは17時12分発の新三田行の快速電車に乗った。207系である。

 福知山線は、僕にとっては生活路線といっても良いくらいに馴染みのある路線である。というのは、福知山線の川西池田駅が僕の自宅最寄り駅であり、大阪へ出るときには福知山線を利用することが多いからだ。

 したがって、その川西池田で降りて、自宅にて一泊して、翌朝にまた再開するという選択肢もあったが、思うところがあって、きょうはさらに先へ進む。

▲ 川西池田

 さっき通ってきた山陽新幹線の高架を潜って伊丹に停車し、5分ほど走って川西池田に停車した。西明石での時間のロスがなければ、途中下車できていたのにと、ドアの向こうに見える川西池田駅の駅名標だけでもとシャッターを切る。必ずと言っていいほど降りていた川西池田駅は、今回の旅では途中に通り過ぎるだけの駅になってしまった。何か不思議な感じである。

 川西池田駅を出ると、右の車窓には山が迫ってくる。阪急電車の平井車庫の横を通ると、高架線に上がって、再び地上に降りて中山寺駅に着く。見慣れた風景のはずなのに、いつもとは何か印象が異なる。これも非日常の世界にどっぷり浸かっているからだろうか。

 阪急宝塚線のガード下を潜ると、阪急宝塚駅の立派な洋館風の駅舎が見えた。一方、JRの宝塚駅は、それとは対照的であった。

19.10 丹波地方を行く

▲ 宝塚駅

 宝塚駅の駅舎を撮影して、改札口を通る。さらに太陽が西に傾き、ホームの屋根の影が顔を隠すようにして、17時35分発の特急「文殊1号」は入線した。また国鉄特急色に準ずるタイプの車両であった。それは事前にリサーチしていたから、今度は普通車指定席を選んだのである。

▲ 特急文殊1号

 特急「文殊」は、新大阪と天橋立を福知山線経由で結ぶ列車である。京都と天橋立を結ぶ特急「はしだて」よりも本数が少なく、上下一本ずつの1往復の運転に留まっており、同じく福知山線を走る特急「北近畿」の影に隠れてしまっている印象は拭えない。

 宝塚を出ると、トンネルに入った。この辺りは、かつては武庫川沿いに走る旧線が敷設されており、僕が子どもの頃には、旧型の客車に揺られながら川を見て走るというお気に入りの区間であった。

 それが、宝塚以北の電化開業の折に、スピードアップのために新線に切り替えられたのである。きょう通ってきた保津川の辺りと話は似ている。

 そういえば、きょうは、朝ご飯に特撰ますのすしを食べて以来、何も食べていなかった。腹の虫も鳴き始めて、さっき宝塚で購入しておけば良かったと後悔した。

 三田、篠山口と福知山線の中核駅に停車し、さらに北上する。山の中を行くので、窓外はすっかり薄暗くなってしまっている。1時間ほど走って、18時47分、福知山駅に到着した。福知山は、京都府の地方都市である。ここ数日で京都府を行ったり来たりしているようだ。また、福知山駅は、昼過ぎに降りた綾部駅から距離にして12.3㎞、所要時間で言うと普通列車でも12分ほどしか離れていない。

19.11 きのさき

 JR西日本のダイヤ編成には妙味があると個人的には思っている。例えば、ある駅で別方向から来た列車がそれぞれ別方向へ出発する場合、その駅でタイムリーに接続することができたら、乗り換え自体もそんなに苦ではないだろうから有効な方策だといえる。しかし、それが成立するためには両方共にダイヤが正確に守られねばならず、他方が遅れたりでもすればこの接続法は破綻する。実は、この制度を導入しているのは、JR西日本管内では尼崎駅と福知山駅であり、前者は10分に一本程度の割合で来る快速・普通電車間において実施されており、他方が遅れても、あまり影響はないように思う。しかし、後者は特急列車同士の接続で、他方が遅れると1時間は待たねばならなくなるし、第一指定券は無駄になる。

▲ 特急きのさき5号

 僕は、その接続を利用して特急「きのさき5号」へ乗るつもりでいるが、「文殊1号」が定時到着だったので、その心配はないようだ。「きのさき5号」も次いで向かい側へ到着した。

 車内は、案外と空いていた。車内販売が回ってくる気配はなく、しかしながら、腹の虫は収まっていた。すっかり暗くなってしまった。途中に停まる駅では、数人ずつくらいが降りていく。その度に車内はもの悲しくさえ感じるようになっていた。

 19時46分、兵庫県北部の都市、豊岡に到着した。

19.12 最後にサプライズ

▲ 普通浜坂行き

 途中下車印を押してもらった後、すぐに1番線の普通浜坂行に乗車した。昨日の高山本線以来のディーゼルカーである。日中ならば、城崎温泉や餘部鉄橋といったところへ観光しに行く人たちで賑わいそうだが、この時間では車内は閑古鳥が鳴いている。

 今夜は、豊岡で泊まることにしているが、温泉に入りたいので城崎温泉駅まで行くことにする。城崎温泉駅で最長片道切符に途中下車印を押してもらった後、豊岡までの往復乗車券を購入する。

▲ 城崎温泉駅

 以前に来たときに良かったと、駅前にある「さとの湯」を利用することが多くなった。温泉街に位置する外湯に入ればいいのにと思われるだろうが、駅の近くにあるから、その分長く入っていられるのが良いのだ。

 さとの湯の露天風呂へ行くと、何やら人が集まりだしていた。しばらくすると、壁の向こう側でバンと空に轟く音がする。何かと思って見ていると、それは打ち上げ花火であった。円山川の花火大会のようである。そうとは知らずに立ち寄った露天風呂から思わぬ発見をして、何やら得をした気分になった。僕は、夜風に当たりながら、夜空を彩る光の縷々を鑑賞した。

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