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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第16日目

前回のお話は以下URLから。


第16日目(2007年8月11日)

甲府ー大月ー(ー河口湖ー)大月ー八王子ー新横浜ー豊橋ー飯田ー岡谷ー塩尻ー名古屋

8月11日の行程

16.1 甲府から特急あずさ2号

 かつて太宰治は、「新樹の言葉」の中で、甲府をシルクハットを倒(さか)さにしてその底に小さな小さな旗を立てたようなものだと例えた。そして「きれいに文化の、しみとおっているまち」と評している。そんな文化のしみとおった街をただ一晩眠るためだけに滞在したのは実に勿体ないことをしたものだと思う。いずれ再訪の折りには、じっくり街歩きをしてみたいものだ。

 甲府の朝は薄曇りだった。ホテル談露館から歩いて甲府駅へと向かうつもりだったが、目の前にタクシーが見えるや僕は呼び止めた。

 甲府駅の券売機であずさ2号の特急券とグリーン券を購入して、2番線へ向かう。程なくして、あずさ2号が到着した。

▲ 特急あずさ2号

 特急あずさ2号は、7時21分に甲府を出発した。グリーン車の乗車率は低かった。左の窓を見れば、中央自動車道が見え、長野行き車線にいくつもの自動車が並んでいた。帰省ラッシュが始まっていた。薄曇りだった天気もすっかり晴れて、青空が見えていた。

▲ 中央道も車が増えてきた

 大月駅には7時58分に到着した。

16.2 富士急に寄り道

▲ 大月駅

 大月駅で下車して富士急行線へ寄り道をする。JR線のホームと富士急行線は中間改札で結ばれているが、時間もあったので一度駅の外へ出て見ることにした。大月駅は、丸太を組んだログハウスを思わせる造りの駅舎であった。

 駅前のロータリーを出て、富士急行線の駅舎へと向かう。こちらはJRのそれとは異なって、簡素な造りだった。中へ入っていくと、窓口があって、主に改札業務を行っているようだ。券売機で乗車券と特急券を買ってホームへと向かった。

▲ フジサン特急

 車体に白地に青い富士山を擬人化したキャラクターが描かれた列車が停車していた。これがフジサン特急である。元は、JR東日本の165系電車で、パノラマエクスプレスの愛称で臨時列車などに使われていた。富士急行に譲渡されてからは、富士急行の特急電車として活躍している。この車両の特徴は、何を置いても先頭車両の形状であろう。先頭車両は、JRの車両にしては珍しくパノラマカータイプとなっているのだ。

 8時12分、東京方面からの多くの乗客を乗せて出発した。お盆で土曜日だから、行楽客が多い。山間を抜けては行くが、意外にも平地が広く見られる。両サイドは確かに山だが、その間の幅が比較的広いのだろう。

▲ 富士急ハイランド

 富士吉田駅に到着する。終端駅であるが、列車は進行方向を変えてさらに進む。赤くて大きなジェットコースターの線路が見えると、富士急ハイランド駅である。その背後には、昨日は見損ねた富士山が大きく見えた。終点の河口湖駅まではすぐである。

 河口湖駅の窓口は混雑をしていた。余裕があれば、駅前を一回りしようかと思っていたが、並んでいるうちに時間が経ってしまった。窓口で寿入場券と、大月までの乗車券、特急券を買って、ホームへ向かう。

▲ フジサン特急

 折り返しのフジサン特急2号の乗車率は低かった。往路とは対照的である。僕は、車内で女性車掌から展望席の着席券を購入した。また、併せて車内乗車券も購入した。

▲ フジサン特急の展望席

 富士吉田駅で進行方向が変わってからは後ろ展望となったが、おかげで富士山を眺めることができた。これはこれで満足である。途中、JRの臨時列車とすれ違う。あちらは、多くの乗客を乗せていた。

▲ 富士山が美しい

 大月には9時54分に戻っている。

16.3 4度目の東京都内突入

 僕が、ここ大月を土曜日に立ち寄ることには意味があった。3日前に越後湯沢から佐原までの700キロメートルという行程を取ったのも、一昨日に一気に房総を回って北関東へ、昨日に高崎から甲府まで一気に抜けたのも、きょうこのときに大月駅に立ち寄るためであった。それは、大月駅の名物駅弁「ほろほろランチ」を購入するためであった。しかし、そうであるならば、何も今日でなくても良いように思うが、この「ほろほろランチ」は土・休日限定の発売なのである。明日は、明日の都合があるので、今日しかなかったというわけである。

▲ 特急かいじ106号

 かくして、無事に購入して列車を待つ。10時03分発の特急かいじ106号に乗車する。かいじ号に乗車するのは、これが初めてであった。同車両を使用した特急あずさ号には乗ったことがあるから、当然のことながらあずさ号と大して変わり映えはしない。

▲ ほろほろランチ

 早速、購入したばかりのほろほろランチを食べる。ほろほろ鳥をメインにした駅弁は大月駅だけであろう。僕が子どもの頃にケイブンシャの大百科シリーズだったかコロタン文庫だったか記憶が曖昧だが、本の中でこのほろほろランチが触れられていた。いつかは食べてみたいと思っていた駅弁だから、楽しみである。

▲ ほろほろ鳥はエビフライの奥のばらんの下に見える

 特急列車は速く、八王子までは30分の道のりである。東京都内へは行ったり来たりで、都合四度目の突入である。昨日、経由した拝島、立川からそれぞれ9.9キロの位置である。

16.4 さようなら東京

 八王子からは、横浜線に乗り換える。快速桜木町行である。南武線や武蔵野線と同じく205系で、通勤形電車であった。東京西部から横浜へ直通する路線だから、利用客も多い。したがって、この電車の編成は長い。

▲ 快速桜木町行き

 10時39分に八王子を出発をした。4度目の東京を離れて神奈川県に入る。相模線との分岐駅である橋本駅で乗客を乗せていく。都会の電車である。そして、東京都内に5度目の突入をして、小田急線との接続駅である町田駅に停まり、さらに乗客を増やす。かと思えば、長津田からまた神奈川県に入ったので東京ともお別れだ。立席の乗客が多く、混雑は酷い。

 僕は、新横浜で下車した。11時17分着である。

16.5 一気に愛知県へ

 新横浜駅で豊橋までの新幹線特急券と、豊橋からの特急伊那路3号の特急券を買おうとみどりの窓口へ向かった。窓口は、帰省客らで長蛇の列であり、これではきっぷを購入するのに時間がかかる。そのような状況では、当然といえば当然なのだが、モニターに映し出される空席の状況は、ほとんどの新幹線で「×」のマークが表示されていた。それでも、変更などがあるやもしれぬと、一応窓口で叩いてもらったが、やはり満席であった。しかも、豊橋からの伊那路号まで満席であった。やむをえず、新幹線と伊那路号の自由席特急券を買いホームへ急ぐ。

▲ ひかり371号

 新横浜からは、ひかり371号岡山行に乗る。300系新幹線で、自由席の乗車位置へ並ぶが、既に東京からの乗客らで車内は満員である。豊橋まで座れなければ辛いなと思っていたが、車内へ入ると案の定すべての席がふさがっていた。

 ひかり371号は、新横浜を出ると豊橋まで停車しない。1時間あまりの乗車となるが、新幹線で立席というのは辛いものがある。そう思っていると、僕の目の前に座っていたアメリカ人とおぼしき女の子が席を立ち、「Please sit down this seat.」というような雰囲気のことを言っただろうか定かではないが、かくして棚からぼた餅の展開で、僕は席に着くことができたのである。しかも、E席で、いわゆる富士山側の窓側の席であった。列車は小田原駅を通過中であった。

 静岡県内に入って、車窓に富士山が見えた。いや、今はすっかり白い雲が被って、裾しか見えない。今朝は山梨県側から富士山を見たが、今は静岡県側から見ている。ぐるっと右回りしてきたことになる。昨日も富士山の南側を通ったが、全く見ることはできなかった。昨日から富士山の周りをグルッと回っている。

 静岡駅を通過する頃に友人から携帯電話にメールが入る。浜松駅で撮影中とのことだ。ちょうど窓側だから、確認するには丁度良い。かくして浜松駅を通過するが、彼の姿を確認することはできなかった。

 豊橋駅には13時01分に到着した。

16.6 飯田線

 豊橋からは、飯田線の特急列車で飯田を目指す。その前に腹ごしらえにと、豊橋駅名物の稲荷寿司の駅弁を買っておく。それを持って、飯田線の出発ホームへと急ぐが、多くの人が跨線橋を往来するので、中々先へは進めない。ようやく飯田線のホームまで下りてきたが、発車時間間近であった。

▲ 特急(ワイドビュー)伊那路3号(飯田到着後撮影)

 13時08分の飯田行特急(ワイドビュー)伊那路3号は、満員の状態で出発した。僕は、幸いにも通路側ではあったが自由席に着席できた。しかし、この混雑ぶりでは昼食を取る意欲はわかない。全員が全員、終点の飯田まで行くわけではあるまいし、中部天竜あたりで空席も出るだろうと思い、しばらくお預けにすることとした。

 本長篠や湯谷温泉に停車し、佐久間レールパークのある中部天竜駅まで来ると、予想していた通り自由席の乗客の1/5くらいが下車した。僕は、窓側の席が空いたのを見つけて、そこへ移動した。

 佐久間の発電所を横に見ながら鉄橋を渡る。山間の僅かな平地に身を寄せ合うようにして建てられる人家は、この沿線の車窓をより興味深くしているように思う。よくぞこのような狭いところに集落を形成できたものだと思うし、急峻な山肌に囲まれたそれが溶け込んで一つの風景となっている。車窓に人工物は似つかわしくないと思われるかもしれないが、自然物と人工物のマッチングは時として絶妙に調和する。

▲ 稲荷寿し

 それらを眺めながら、豊橋で買った稲荷寿しをいただく。味の染みた美味しい稲荷寿しだ。稲荷寿しを頬張っていると、列車は「渡らずの橋」として知られる第六水窪川橋梁を通過する。普通、鉄橋は対岸へ渡ると、鉄橋は途切れてしまう。しかし、この第六水窪川橋梁は、対岸へ渡ったかと思うと、そのまま鉄橋がカーブして元の川岸へ戻ってしまうのである。水窪川自体は一度ならず二度までも渡っているから、実際には「渡らず」ということではないのだろうが、鉄橋が途切れずに元の川岸へ戻るので「渡らず」というのである。

 また、飯田線は山間を走るので、トンネルも多い。元は私鉄路線だったから、その名残もあって駅も多い。「秘境駅」の名高い小和田駅を過ぎると、長野県へと入る。8月7日以来である。いくつかのトンネルと駅を越えると、比較的大きな駅に着いた。天竜峡駅である。

 天竜峡を過ぎると、次第に景色が開けてくる。伊那八幡を過ぎた辺りから、左に大きくカーブする。飯田の町の南側から時計回りに弧を描くようにして街中へと進んでいく。まもなく終点である。

 改札口を通るとき、係員に何と言われるか期待していた。「きっぷの券面記載事項が見えにくくなっています」とは言われず、「いっぱい集めたね」と。ホッとする一方で、何か物足りない気分にもなった。

16.7 飯田線走破

 飯田駅で名物の五平餅を買うことにした。しかし、販売している駅弁屋は既に倒産しており、店はもぬけの殻であった。売店のおばさんに聞くと、「去年の十二月にね」という。この後乗車する列車は長時間停車もないので、どこかの駅で五平餅をというわけにはいかないだろう。残念である。

 諦めてみどりの窓口へ行き、この後、塩尻から乗車する予定である名古屋行特急(ワイドビュー)しなの24号の特急券を購入した。最後の1枚であり、喫煙車であったがやむを得まい。この時期、空席があるだけでも幸運だ。

▲ 飯田駅

 駅の外に出て、飯田駅の写真を撮る。やや傾きかけた太陽の光が当たって、赤い屋根とステンドグラスが美しい。良い天気である。

▲ 普通上諏訪行き

 16時00分発の249M普通上諏訪行は、乗車率50%程度で飯田駅を出発した。意外にも豊橋方面からの乗り継ぎの旅行者の姿は少なく、地元の利用客が多い。飯田の町をやはり時計回りに弧を描くようにして列車は進む。徐々に高度を上げていくから、俯瞰するようにして車窓に映る。天気が良いから、遠く対岸の山々も見える。良い景色である。

▲ 飯田線の車窓

 飯田線は、飯田駅を境にして、南側と北側とで大きく雰囲気が変わると思う。南側は、水窪川や天竜川の流れに沿って、左右から山々が迫るような渓谷鉄道の趣を感じさせていたが、北側は左右に山を見る一方で平地が南側に比して幅広く、高原鉄道の趣を感じさせる。先日の大糸線は北アルプスであったが、こちらは南アルプスである。

▲ 夏の空、夏の山

 駒ヶ根、伊那市と地方都市の玄関口を過ぎていく。その度に多くの乗客を乗せていく。幾分か混雑してきたようである。左から線路が近づいて合流する。辰野駅に到着した。飯田線はここで終わり、JR東日本エリアに突入する。辰野からは、列車は中央本線に入る。この区間は、かつて特急列車が通っていた旧線である。急に左右から山が迫ってくる。再び土地が開けると、左右からの線路と並走する。これが新線の中央本線である。新線といっても24年も前に開業しているから、新しいという感じはしない。岡谷駅には18時31分に到着した。

16.8 この旅最後のJR東日本区間

 岡谷駅で途中下車印をもらい、その足で3番線へと地下階段を渡っていく。階段を昇っているとき、一枚の紙片を見つけた。岡谷から千種までの片道乗車券である。改札口まで戻って届けるべきだろうが、如何せん塩尻へ向かう列車がもう入線しようとしている。そこで、この松本行の443M列車の車掌に届けることにした。

▲ 普通松本行き

 443M列車が岡谷駅を出発した。最後尾まで移動し、車掌に届け出る。若く背が高いその車掌は、丁重に礼を言った。

 列車は、新線を行く。長い塩嶺トンネルを抜けると、みどり湖駅に着く。塩尻まではそう時間もかからない。これにてJR東日本の管轄する路線は最後になる。この旅の約半分はJR東日本のエリアの遠回りではなかったのかというくらいに世話になった感がある。窓の外は暗くなり始めていた。

16.9 中央西線

 塩尻は、中央本線を二分する分水嶺である。塩尻から東京方面を中央東線、名古屋方面を中央西線というが、これは塩尻を境にして運転系統が分かれることによる。東京方面からも名古屋方面からも、ちょうど三角形の頂点を目指すように来て合流する。かつて塩尻駅は、現在よりもやや南寄りの中央東線上にあった。したがって、名古屋と長野を結ぶ特急しなの号は塩尻駅でスイッチバックして運行をしていたのである。現在は運行系統に併せて移築されているので、その煩わしさはない。実は、今でも中央東線と中央西線を直通できる線路は残されていて、塩尻駅で進行方向を変えずに、東西を行き来することができる。

 塩尻駅で夕食にと駅弁を所望する。「とりめし」しかないというので、やや少ないかと思ったがそれを購入しておく。発車時間の19時00分になっても名古屋行特急(ワイドビュー)しなの24号は入線しない。ホームに響くアナウンスを聞けば、4分ほど遅れているのだそうだ。

▲ 特急(ワイドビュー)しなの24号

 すっかり暗くなってしまった塩尻を、しなの24号は4分遅れの19時04分に出発した。指定席の車内には空席が見あたらない。塩尻で買っておいたとりめしを早速いただく。鶏肉よりも、高菜の味が残る。美味しい。しかし、この区間を夜に通過せねばならないのは勿体ない。中央西線を通るのに、寝覚ノ床を見ずして行くのかと、全く心残りである。

▲ とりめし

 さて、多治見駅を出発した直後、運転士から車掌に車内放送を通じて、指令から業務連絡があるとの知らせがあった。車内改札をしていた車掌が慌てて最後尾車両にある乗務員室へ向かう。数分後、車掌から乗客へ向けて「塩尻から乗られたお客様で、きっぷをなくされたために車掌から買い直されたお客様。車掌が車内に参ります。声をお掛け下さい。お伝えしたいことがございます」と車内放送があった。もしやと思う。

 しなの24号は遅れを取り戻して、終着の名古屋には定刻通りに到着した。改札口で鼻筋のスッと通った若い駅員が、途中下車印を押しながら「全部降りてきたんですか?」という。「はい」と少々疲れていたからか、元気のなさそうな声で応えた。すると「がんばってくださいね」という。何とも嬉しい。僕は、「ありがとうございます」と返した。

 今夜の宿は、名古屋駅新幹線ホーム側に建つ「ビジネスホテル稲穂」である。古びた感の否めない部屋であったが、身体を休めるには十分だった。シャワーを浴びて、すぐにベッドへ入る。夜の名古屋へ遊びに行きたくもあったが、今回はやめることにした。明日のことを考えているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。

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