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中国〜パキスタン国境越えに挑戦

チベット・インド旅行記
#18, カシュガル


中国西部、ウイグル自治区の西の端、カシュガルは、彫りの深い顔立ちと、立派な髭を蓄えたウイグル民族が暮らす、イスラム風の街である。

タクラマカン2

土壁づくりの質素な家と、土埃が舞う未舗装の道路を、荷車を引いたロバが行き交う。

郊外にはみずみずしいブドウ棚が広がり、さらに遠くには赤茶けた荒野と、どこまでも続く砂漠の景色が広がる。
現代にも残るシルクロードのオアシスだ。

カシュガル3

メインストリートのバザールでは、干しぶどうを大八車に乗せて売る露店や、
クセの強い羊肉のケバブ串に、熱々のナンを挟んで食べさせる屋台。

讃岐うどんのようにもちもちした麺を、ラタトゥイユ風のトマトソースに絡めて食べるラグ麺を売るテキ屋。
などなど、活気が溢れている。


そんな中でも特に私が好んで食べたのがメロン。
中国全土の中でも、瓜科の名産地として名高い、ウイグル自治区ハミ。
そこで獲れるハミ瓜をはじめとして、色形、大小様々な種類の瓜が、道端では山積みになって売られていて。
 
きゅうりのように野菜っぽい瓜から、サクサクシャリシャリしたさっぱり系の瓜、メロンのようにジューシーな瓜から、スイカのように水分を含んだ瓜。 

カボチャサイズから、スイカサイズ、ラグビーボールのような形や、ココナッツのような形。

緑や、黄色や、黒色に、白。
縞模様のあるもの、無いもの。

軽く10種類は下らないであろう様々な瓜が、大体1個、2元〜5元(30円〜80円)くらい出せば買えた。

カシュガル4

子供の頃からメロンが大好きで、食卓にメロンが出ると、向こう側が透けるまで中身をほじくって食べていた私にとっては、ここカシュガルは天国。

1日3食、どこへ行くにも、何をするにも、瓜を片手に旅を続けていたのである。


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当時、カシュガルを起点として、南に南下し、標高5000m級の山々を越え、チベットに入るルートを取るか。
国境を越えてパキスタンに入り、この世の桃源郷と誉れ高い、フンザを目指すルートを取るか。
地図を広げながら悩んでいた私だったが。

チベット行きの道路が現在工事で閉鎖されている、という話と。
バザールそばの長距離バスターミナルから、国境越えのバスが出ている。
という話を聞いた私は、残った中国元を全部使い切ると、一路進路は西。

パキスタンへと舵を切った。

カシュガル1


ボロボロに塗装が剥げた、ジュラルミン製のバスが、埃を舞いあげながら悪路を突き進んでゆく。

カシュガルから西へ進むにつれ、砂だらけの砂漠は姿を消し、ゴツゴツとした、岩肌の荒野に景色は変わった。

グネグネと曲がりくねった道を登り、徐々に標高を上げていく。
遠くにはうっすらと雪を頂いたカラコルムの山々。

中国、パキスタンを結ぶ、通称カラコルムハイウェイである。

カシュガル5

 
ひび割れたアスファルトの道を、ガタガタいわせながら走る事、半日。
バスは国境付近の、中国側のチェックポイントへと着いた。
一旦バスを降り、検問をくぐる。

パキスタンへと向かう、行商人風の人たちが、山ほどの荷物を抱えてチェックポイントを通過する。

人民服を着た国境警備員が、手早くパスポートをチェック。
後ろにはライフルを構えた別の警備員。
一人、一人とゲートをくぐり、私の番になった時、警備員の手が止まった。

カシュガル6


「おい、お前、ビザのスタンプが無いぞ。」

外国を旅するには、その国で滞在する為の、ビザの発行が必要である。
陸路で国から国へと渡る場合、国境でビザを取得できる場合もあれば、事前に大使館、領事館で取得しておかなければならない場合もある。

私が事前に聞いた情報では、パキスタンとの国境でビザを発行できる。
との事だったが、いかんせん情報が古かったようだ。

何度頼み込んでみても、警備員は首を縦に振らない。
ゲートを通してくれない。


警備員に賄賂を掴ませる事も考えたが。
国境を超えて、パキスタンサイドでまた捕まってしまっては、元の木阿弥である。


バスは私以外のすべての乗客を乗せ、一路パキスタンへと向かっていった。


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いったい全体どうしたものか。

人っこひとりいない荒野にポツンと取り残された私は、ともかくカシュガルの町まで戻らねば。
と、道端に立ってヒッチハイクを始めた。


誰も通らない道に佇む事、数時間後。
ようやく一台の乗用車が通りかかり、人の良さそうなウイグル人のおっちゃんが、後部座席へと招き入れてくれた。

カシュガル7

さらに小1時間ほど車を走らせていると、同じく道端でヒッチハイクをする2人組の男。

スルスルと乗用車は停まり、同乗者を招き入れた。
この辺りでは、ヒッチハイクは日常的な移動手段なのかも知れない。


狭い車内にウイグル人の兄ちゃんと、その父親らしき、初老の男が乗り込んでくる。

後部座席には、私、兄ちゃん、そして父親。

若干窮屈になってきたので、私は窓際にギュッと体を寄せ、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。

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一体、どれぐらい走っただろうか?
町に戻れる安心感からか、うとうとしていたらしい。
何やら妙な音で目が覚めた。


シュッ
シュッ
シュッ

と、規則正しい音が、隣から聞こえてくる。


眠気まなこを擦って見ると、ウイグルの兄ちゃんが両手に、ビニールプールを膨らませる為の空気入れ、のようなものを持って、シュコシュコ空気を送っている。

空気入れにつながれたチューブは、兄ちゃんの膝の下を通り、奥に座る父親の体をつたい、父親の鼻の穴へ。

見ると父親は、とろーんとした焦点の定まらない目で、遠くを見つめているではないか。

カシュガル8


シュッ、シュッ、シュッ、と規則正しい空気音だけが、車内に響き渡る。


これはえらいこっちゃ!
お父ちゃん死にかけてるじゃないか!


ドライバーのおっちゃんに慌ててサインを送ると、合図に気づいたおっちゃんは、何を思ったのかバックミラー越しに、ニッコリ微笑み返してくれた。

 
どう見ても、エマージェンシーな状況である。

内心かなり慌てたが、かといって何も出来る事もない。
それによく考えてみたら、死にかけているのは見間違いだったかもしれない。

きっとそうだ。


せめてジロジロ見ないでおこうと、窓の外を眺め。
背中越しに、二人の気配をじっと伺っていた。


シュッ、シュッ、シュッ、
シュッ、シュッ、シュッ、
シュッ、シュッ…。





しばらくして空気入れの音が止まった。
車内に沈黙が漂う。


見てはいけない、見てはいけないと思いつつ。
我慢できずに、そっと親子の方を振り返った。


カシュガル9

見ると、空気入れの手を止め、放心しきった兄ちゃんの目から、一筋の涙がつーっと、頬を伝い、滴り落ちているではないか。

その奥では、口をわずかに開けた父親が、白目を向いて、シートにもたれかかっている。



こ、これは本当にあかん奴や!
再度、ドライバーのおっちゃんに合図を送る。


ドライバーのおっちゃん、バックミラー越しに、私が何か訴えているのを見て、勘違いしたのだろうか。


おもむろに懐のカバンをガサゴソ漁ると。


 

「はい、ナン。食べる?」



目の前には、ナン。
一瞬凍りつく車内。

と、思わずここで一言。


「な、ナンだって〜!」
(とは流石に言いませんでした)
 

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その後、かいがいしい介護の甲斐あってか、父親は無事息を吹き返し、病院の前で2人して降りて行った。 


その晩、カシュガルの町に到着した私。
中国元を使い切って無一文だった為。


翌日、人民銀行が開くまで、偉大なる毛沢東像の下にうずくまって


野宿した。

 

カシュガル10


【追記】

ウイグル自治区では、2009年に、ウルムチで起こった漢民族に対する大規模な抗議デモと騒乱以降。
政府による民族浄化政策や弾圧など、いたたまれない悲しいニュースを目にする事が多い。

当時、私がウイグル自治区を旅したのは、2004年。

私が訪れたカシュガルの街角では、殺伐とした空気はまだ無く。
少数民族の人たちが、たくましく、しなやかに暮らす姿が見て取れた。

現在、彼らの暮らしがどうなっているのか、推し量ることは出来ないが、どうかそこで暮らす人々の幸せと、安らぎを、今も願わずにはいられない。


カシュガル2

⇨ チベット編へ続く



【チベット・インド旅行記】#16,タクラマカン砂漠編はこちら!


【チベット・インド旅行記】#19,ゴルムド編はこちら!

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