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甘露寺蜜璃という女

⚠️若干のネタバレを含みます⚠️






『鬼滅の刃』の中でいちばん好きなキャラクターは、甘露寺蜜璃ちゃんだ。悲惨な目にあって鬼殺隊に入っている他のキャラクターと違い、蜜璃ちゃんの入隊理由は「一生を添い遂げる殿方を見つけるため」だ。そんな蜜璃ちゃんは、若干わたしたちの理解に及ばないところがある。しかし、現代のわたしたちが最も共感できるのは、もしかしたら蜜璃ちゃんかもしれない、と思うのだ。

蜜璃ちゃんは、温かい家庭で愛されながら育ってきた。蜜璃ちゃんの朗らかで素直な性格は、間違いなく家庭環境からくるものだろう。

しかし、そんな蜜璃ちゃんはお見合いに失敗する。それは特異体質のためだ。蜜璃ちゃんは常人よりも筋肉の密度が高いゆえ、ご飯を尋常じゃなく食べる上、髪はピンクと緑という、現代でも二度見されるようなカラーリングだ。家族からの愛をいっぱいに受けて育った蜜璃ちゃんにとって、お見合いに失敗するという、明確に他者から拒絶された経験は、相当なショックだったに違いない。現に蜜璃ちゃんはお見合いの後、食事を取らずに非力なフリをし、髪は染め粉で黒くしていた。

家族に愛されていればいいじゃないか、そういう意見もあるだろう。しかし、蜜璃ちゃんにとっては、「そうではなかった」のだ。人間は、社会を必要とし、社会から必要とされる生き物だ。それを前提として、家族について考えてみる。家族は他人である。それは紛れもない事実だ。しかし、家族は、社会ではない。前提から考えると、蜜璃ちゃんが欲しかったのは、ありのままの自分を必要としてくれる社会だったのだと思う。だから、自分を愛してくれる家族の存在だけでは、自己肯定をすることができなかったのではないか。

これは現代のわたしたちにも通じるところがある。「自己肯定感が低い子どもは親からの愛を十分に受けずに育ってきた」という学説がある。わたしはこれにずっと疑問を感じてきた。確かにそのようなケースもあるが、社会から求められるという経験の有無が、自己肯定感の有無を左右するのではないだろうか。それは好きな人と付き合いたいと思った時に付き合えたとか、仲の良い友だちがいたとか。もっと大人になれば、就職活動で内定がもらえたとか、自分の仕事が適正に評価されたとか。一つひとつは些細なことに思えるかもしれない。しかし、こうした社会から必要とされたという経験、そしてそこから得られる「自分は社会から求められている」という実感が、自己肯定を形づくっていくのだと思う。

結局、蜜璃ちゃんは「本当の自分を隠して生きるのはおかしい」と思い、本来の自分の姿で生きるようになった。この、本来の自分をどこまでだと認識するか、というのも難しい問題だと思う。よく聞くのが、「太っていた頃は全然人から大事にされなかったけど、痩せたら恋人ができたし、周りからの視線も変わった」という話だ。この場合、太っている自分も痩せている自分も、本当の自分だと認識している。だが、太っている自分を本当の自分だと思っている場合、痩せて周囲から求められるようになったとしても、自己肯定感を得ることは難しい。ダイエットだの垢抜けだの言っている人は、「本当の自分」の範囲が広いのだろうと思っている。少し勝手な考えかもしれないが。

蜜璃ちゃんの生き方は、現代のわたしたちに最も通じるものがある。蜜璃ちゃんを突き動かしているのは恨みではなく、社会から求められたい、役に立ちたいという思いだ。その生き方は、『鬼滅の刃』という物語の中では、浮いて見えるかもしれない。しかし、蜜璃ちゃんは今に通じる人間性をもって、現代のわたしたちをファンタジーに誘ってくれる存在なのではないか、とも思うのだ。

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