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バレインタインデーはフラれる日

2月13日夕方「ピコン」娘の学校からお知らせが届いた。
「明日はバレンタインデーです、・・残念ながら学校ではお菓子を持ってくることを禁止しています。・・」
この内容を読んだときに、フラッシュバックした話。

ちがう女性の家で食事した彼

そうだ、私はバレンタインデーにフラれたんだった、と一番に思い出した出来事、オーストラリアと日本の遠距離の時の話だ。

前年のバレンタインは私もオーストラリアにいたので彼が食事に誘ってくれた。忘れもしない夏の夜のレストランのテラス席。生牡蠣と白ワインの美味しさ。欧米では男性が女性に花を贈ったり、食事に連れて行ってくれる習慣があるらしい。日本ではない習慣に特別感、幸福感いっぱいに過ごした。

それが一年後のバレンタイン、日本から彼へ電話をかけた。全く応答なし。諦めて、翌日電話をする。すると「〇〇(私も知っている女性)の家に招待されて、彼女と彼女のお母さんと食事してた」と悪びれもせず話してくれた。ここからフラれ街道は始まっていた。泥沼なので話は割愛するが、結局数ヶ月後には別れることになった。

何度も渡したチョコレート

中学の時、初めて話した男の子を好きになった。中1は同じクラスだったので、バレンタイン前日、友達と一緒に放課後の教室に行き、彼の机の中にチョコを忍ばせた。
中2はクラスが違うので、放課後に彼の家に電話をして近所に呼び出してチョコを渡した。
中3も同じ手法でチョコを渡した。3年間、一度もお返しや「好きです」の手紙の返事もなく、惨敗。確か、高校一年でも諦めきれずに渡したと思うが、結果は同じ。友達と近くの喫茶店で会議めいた話し合いをし、もう諦めることを決意した。それにしても、よくも4年間反応なしの男の子にチョコを渡し続けたものだと、自分のしつこさに驚く。今、彼は有名なギタリストになっている。テレビでも時々見るが、なんだかそれが私の救いだ。(見る目あったんだよって思うことにしている)


あれからウン十年、本命チョコ、義理チョコ、友チョコ、自分チョコ、家族チョコなど変化してきている。
今日、近所の友達がGODIVAのチョコを持って遊びに来てくれた。嬉しい。とにかく最近は「感謝チョコ」が令和のバレンタイン事情らしい。
バレンタインは苦い思い出が多いし、商業戦略にまんまと乗ってるかもしれないけれど、感謝をするキッカケの日と思えばいいのかもしれない。

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