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石田洸介「苦闘」

あれはいつのGoingだっただろうか。

青山学院の原晋監督が注目する選手として挙げていた石田くん。既に1500・3000・5000で中学生記録を持っていた彼を注目されたのは都道府県対抗駅伝でのこと。
襷を受け取るとわずか3キロの短い区間の中でなんと15人抜き。以来彼はスーパー中学生として名を馳せ、その後も高校では5000メートルの高校生記録を塗り替えていった。

そして東洋大学に入学した石田くん。しかし、彼は決して順風満帆にここまでの高校・大学までのキャリアを積み重ねているわけではない。このことを留意すべきだろう。それはなぜなのか。

挫折を味わい続けた高校時代

鳴り物入りで入学したスーパー中学生だったが、「早熟」と呼ばれる選手にありがちな伸び悩みに直面する。インターハイに全国高校駅伝出場を逃し、2年次もインターハイにこそ出場するものの入賞できず。

「石田は中学までの選手」という評価で終わってもおかしくはなかった。しかし、東京農大二高の顧問・城戸口先生との積極的な意見交換や自らが持つ陸上への探求心。
「考える力があり、探求心が旺盛。納得するまでチャレンジし続ける性格で、失敗を成長につなげられる」という評価を裏付けるように石田くんのチャレンジする性格を強く後押ししてきた。周囲の声に苛まれる中でも石田くんに城戸口先生は「3年目に納得できる走りができればいい」と説き続けてきた。

その一方で、プラスとなるものがあれば積極的に挑戦をさせてきた。
本来であれば駅伝への強化を進める夏合宿の間に大迫傑選手が行ったミニキャンプに高校生で唯一参加をしたのも、城戸口先生が背中を押したからにほかならない。

「私自身も異端児であってもいい」という城戸口先生の考えも結実したのが2020年7月18日、佐藤秀和さんが持っていた高校記録を上回り、そしてその2か月後には2秒も更新したのだ。13分34秒74。今の彼が5000メートルで持っている自己ベストでもある。

「石田洸介は中学まで」というレッテルをはがして見せた彼は東洋大学に進学を決意する。しかし……今も彼は苦闘していると言ってもいい。

苦しみに向き合い続ける

実際1年目での駅伝シーズンは出雲と全日本で区間記録を更新する走りを見せていた。それ自体は大変に素晴らしかったのだが、その後の練習では走ることが出来なかった時期もあったのだそうだ。

東洋大学の酒井監督もそこを踏まえた上で石田くんの起用を見送った。本来ならば主力として考えていた中での決断は大きなものでもあったはずだ。しかし、悔しさはあったとはいえ石田くんも「自分でも走れる状態ではないことは分かっていた」と語るように、悔しさよりも現状を冷静に見定めていたようにも思える。

その後も福岡クロカンで結果を残せずに「むなしい」「悔しい」と吐露し、トラックでは現状でも決してあの「スーパー中学生」と呼ばれた時のようなインパクトを残しているわけではない。
出雲・全日本それぞれ区間9位とあの石田洸介くんを知っている私からすればまだまだ物足りない。

だが、彼は一歩一歩前へと進んでいる。少しでも良くなるために今日も積み重ねを続けているのだ。きっとそれは中学時代から積み重ねてきた本当の彼の姿なのだろう。

「きっかけ」はどこにある?

あとは石田くんに必要なのは「きっかけ」なのかもしれない。

そこが箱根駅伝なのか、それとも別の記録会なのか……。
「スーパー中学生」から「高校生記録保持者」になった時のようにもう一段階上へと昇るために必要なことはそれではないだろうか。
それは酒井監督も彼自身もきっと分かっていることだろう。そして、彼と同い年にして彼よりも速いタイムで走る選手がぞろぞろと入学をしてくる中で。

彼に必要なのは本当にちょっとしたきっかけになるんだろう。彼自身の探求心と突き詰めて積み重ねてきたこの2年という時間。そして現在地。その答えは箱根駅伝でどのような形で出ることになるのだろうか。

1年目は出走しなかった箱根駅伝。その答えは、あと1か月とちょっとで明らかになるはずだ。

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