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美唄若者委員会の進捗

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美唄の”わか者”が集まって、美唄の未来に夢を描いています。
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【動画】PAINTING OUR DREAMS OF BIBAI 2023

様々な困難が予想される美唄市の2040年を見据え、2022年からスタートした美唄シティプロモーション推進事業。 その第一歩として、10~30代の美唄市民11人と一緒に「美唄の未来に夢を描く委員会」を立ち上げ、美唄の過去を学び、これからの美唄ですべきことを考えてきました。そして1年間の議論を経て、「美唄の軸となる魅力」の言語化を進め、多くの市民で思いを共有するためのシンボル(キャッチコピー・ロゴマーク)が完成しました。 Be Beautiful 美しくあれ。 このシンボルをきっかけに多くの方と思いを一つにして、これからの取り組みを行っていきたいと思います。具体的には、市民との協働に向けたワークショップやイベントの実施、まちをつくる人が集うコミュニティ施設の開設などの準備を進めています。それが積み重なった先に、美唄のより良い未来が待っていると信じています。一緒に美唄の未来を考え、一緒に美唄の未来をつくっていきましょう! シンボルに込めた思いやそれに至るまでの議論は特設WEBサイトからご覧ください。 https://bibai-citypr.jp/

Vol.57 委員紹介⑪「美唄とともに自分も成長していく」美唄尚栄高校/沼達藍音さん

『美唄の未来に夢を描く委員会』11人目ラストの委員インタビューは、美唄尚栄高校の沼達藍音さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 —こんにちは!今日はよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします! —まずは中学までの沼達さんについておしえてください! 生まれてからずっと美唄で暮らしています。 母の仕事の関係で、他の保育所からアルテピアッツァ美唄にあった栄幼稚園に転園しました。幼稚園では、同じく委員の(大西

高齢化率50%の北海道美唄市で、若者委員会で作成した美唄ブランド「Be Beautiful」を公開 Vol.52

北海道美唄市では、2022年よりシティプロモーション事業を進めています。 そしてこのたび、2040年に向けたまちの指針となる「美唄ブランド」ができあがりましたので、そこに至るまでのプロセスとブランドに込めた想いをお伝えします。 シティプロモーション事業とは? シティプロモーション事業は、人口減少や少子高齢化などにより地域経済やコミュニティの縮小が予測される美唄市の2040年を見据え、シビックプライドの醸成と関係・移住人口の増加を目的とした事業です。 2022年度は、今

「多様な人との対話・協働を諦めない」今田ファーム/今田雅之さん 委員紹介⑩ Vol.51

『美唄の未来に夢を描く委員会』の10人目の委員インタビューは、今田雅之さんです。記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 土と触れて育った 2個上の兄と3個下の妹の真ん中で、にこにこしている子供だったみたいです。自分が小さい頃は近くにも保育所があったため、そこに通っていました。小中学校はスクールバスで中心部まで通学していました。当時はキックベース(野球のサッカー版みたいな遊び)が流行っていて、近所の同世代の友だちと学校のグランド

「巻き込まれ、巻き込んでいく」岸山印刷/岸山宗一郎さん 委員紹介⑨ Vol.50

『美唄の未来に夢を描く委員会』の9人目の委員のインタビューは、岸山宗一郎さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 地域の中で育った 曽祖父が始めた印刷会社の長男として生まれました。地域の方にはよく可愛がってもらってました。 二人の姉の影響で、エレクトーンとピアノを始めます。小学校高学年のとき憧れていたスクールバンドに入り、そこではトランペットを担当していました。ゲームや外で遊ぶのも好きでしたね。 中学校に入り、

「生まれ育ったまちが違って見えた」 美唄市職員/藤田栞さん 委員紹介⑧ Vol.48

『美唄の未来に夢を描く委員会』の8人目の委員のインタビューは、藤田栞さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 純美唄 美唄の病院で生まれました。 当時は子どもの数も比較的多く、小・中学校も3クラスくらいあったんです。習い事のそろばんに打ち込んだり、自転車でまちを走り回り(笑)、公園でバドミントンとかをしたりしていました。町内会の盆踊りとかもあって、近くに住む友だちと一緒に参加したりしていましたね。 高校はとなり

「委員会がまちを客観視するきっかけに」 美唄市職員/小川豪さん 委員紹介⑦ Vol.46

『美唄の未来に夢を描く委員会』の7人目の委員のインタビューは、小川豪さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 部活や消防団でまちのイベント参加 旭川で生まれ、2歳くらいの時に美唄に引っ越してきました。親戚が美唄にいたんです。 小学校から高校まで、陸上競技では走り幅跳びと三段跳びをやっていました。美唄尚栄高校に進学し、全道大会にも出場することができました。 毎年開催されている、「ピパオイヘルシーロードレース」に参

美唄若者委員会最終回⑩(全員からのコメントあり) Vol.45

7月から始まった『美唄の未来に夢を描く委員会』も、3月8日(水)に最終回を迎えました。 この形の委員会は2022年度いっぱい。あっという間だったけど、振り返ると10回もやってきたんだなとしみじみ。形は変わっても、プロジェクトは今後一生続けていく所存です! みんなで作った動画 委員会のはじめに、以前全員にインタビューしたものを編集した動画を見せました。 まちのPR動画というよりかは、まちの若者が美唄の未来を本気で考えたものですよ、というのを伝えるものになっています。写真

「温故育新」 美唄市職員/南出倖星さん 委員紹介⑥ Vol.44

『美唄の未来に夢を描く委員会』の6人目の委員のインタビューは、南出倖星さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 その時その時を楽しんできた 思い返すと落ち着きのない子どもで、よく先生にも叱られていました(笑)。 友達と外で走り回ったり、ゲームをしたりしていたのを覚えています。また、家族とお祭りなどの地域のイベントに参加していました。 中学3年生の終わりには、公務員になろうと漠然と考えるようになり、家から通える岩

「明るい動きを見せていきたい」聖華高校/大西眞斗さん 委員紹介⑤ Vol.42

『美唄の未来に夢を描く委員会』の5人目の委員のインタビューは、大西眞斗さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 ルーツは屯田兵だった かつて炭鉱で栄えた南美唄という地域で生まれ育ちました。 先祖はもともと屯田兵として美唄に入ってきた人で、農業を営んでいました。家の周りは畑ばかり。小さい頃には農作業を手伝ったりもしていましたね。 幼稚園は、アルテピアッツァ美唄にあった栄幼稚園に通っていました。(2021年に閉園)

結局、感情 (委員会⑨と2回目の市長報告) Vol.40

『美唄の未来に夢を描く委員会』9回目と、9月の「美唄の軸と魅力」の報告以来2回目の市長報告を実施しました。果たして、市長の反応はいかに、、!? 制作物に対して委員から意見をもらう 市長報告の前に、委員会9回目の様子からお伝えします。 前回の委員会で決定した、美唄の新しいシンボルを市民の方に伝えるツール(ポスターやウェブサイト、グッズなど)を現在制作しています。 今回の委員会では、それをさらに良いものにするために、これまで二人三脚で進めてきたメンバーに制作途中のものを見

「想いをうけつぎ つなぐ」NPOアルテピアッツァびばい/影山宏明さん 委員紹介④ Vol.39

『美唄の未来に夢を描く委員会』の4人目のインタビューは、影山宏明さんです! 記事を通して、メンバーのまちへの想いや委員会の活動についてお伝えできたらと思います。 原点となる家族の影響 父親が大工の家庭に生まれ、実際に手を動かしてモノを作るのを近くで見ながら育ちました。また親戚が農家をやっていたので、たまに農作業を手伝っていたのを覚えています。 二人の兄の影響も大きく、地域のサッカークラブに入ったり、小さい頃からファッションやインテリアの雑誌を見たりしていました。それら

委員会で美唄市のシンボルが決定! 委員会⑧ Vol.36

『美唄の未来に夢を描く委員会』第8回目が行われ、委員会内で美唄の新しいシンボルが決定しました! 合わせて新しいアイディアをどうやって認知拡大させていくかを議論した、委員会の様子をお届けします。 これまでのまとめ 区切りが良かったので、委員会で改めてこれまでの活動を振り返ってみました。 市役所の市長会議室で厳粛な雰囲気の中スタートした初回でしたが、回を重ねるごとにお互いの信頼関係もでき、しっかりと議論ができる場になってきました。 振り返りば、半年以上にわたり計7回の議

ファシリテーターへの道①シンボルのブラッシュアップ 委員会⑦ Vol.33

2日間ぐらい雪が降り続いている美唄です。膝上ぐらいまで積もりました。 さて第7回となる『美唄の未来に夢を描く委員会』は、前回の委員会でのフィードバックを受け、シンボル案のブラッシュアップを行いました。 シンボル決定に向けた追加議論 第6回の直後、委員会での議論をデザイナーのHさんに共有し、さっそく修正をしていただきました。一部だけ変更したものがあったり、新しく追加したものを用意したり。 そして、当日。どういう思いを込めて作っているのかを、修正後のシンボル案と合わせて確