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ゲームシナリオ感想『ペルソナ3 リロード』『ペルソナ3 フェス』※ネタバレ注意

昨日、ペルソナ3リロードの感想を上げた後、自分はYouTubeに上がっていたペルソナ3フェス エピソードアイギスのシナリオまとめ動画を見ました。

そこで思ったのは、「なぜこれもリメイクしなかったのか」という強い思いです。


自分はこのストーリーを見ることですべての思いを消化できました。
なぜそう思ったのかを自分の思いを吐き出す意味でも書いていきたいと思います。



ペルソナ3は残された人たちの物語である

自分はペルソナ3という作品の、特にS.E.E.S.のメンバーに共通するテーマとして、彼らが『残された人達』である点が最も重要だと思って読んでいました。

丘羽ゆかりは最初、自分を『残して』死んだ父の真実を知るために、最終的には父が死の間際に『残した』意志を引き継ぎそれを糧に戦います。

伊織順平は吉野千鳥と親しくなり、自身が死にかけた際に千鳥の生命そのものを貰い、生き返ります。千鳥は自身の命と思いを順平に『残して』死んでいった。(別ルートでは千鳥は生き返るが記憶を失っている)
順平はこの時に『残された』思いを糧に戦い、生きていく。

桐条美鶴は父親を守るためにペルソナを発現させ、そのために戦ってきたが最終的に守れず目の前で殺されてしまう。
ただ、彼女はゆかりに励まされ、ゆかりと同じように父の『残した』思いを遂行するために戦い、生きていく。

真田明彦は自身の力不足で死んでしまったと思っている妹のために強くなろうと日々研鑽を積んでいる。
しかし同年代のライバルであり親友のようだった新垣も先に死んでしまう。
彼は『残された』自分がもっと強ければ救えたのではないかという思いでこの先も強くなり、戦っていく。

天田乾は新垣のペルソナ暴走によって起きた事故で母親が死んでしまう。母親が命を懸けて天田の命を『残してくれた』
そして新垣も天田への贖罪もかねて彼の命を助けて死んでしまう。新垣も天田の命を『残すために』命を懸けた
天田はこの二人から『残された』命を無駄にしないようにと、あの幼さでも戦う。

コロマルは長く一緒に過ごしたおじいさんを亡くしてしまっている。それでもおじいさんとの思い出の場所として『残っている』神社を守るために戦った。
戦いの際で重傷を負ったコロマルだが、その命を助けてくれたS.E.E.S.への恩返しとして共に戦う。自分の命と大切な場所を『残してくれた』彼らとともに戦う

山岸風花だけは特異な存在だと思う。彼女は戦闘に参加しないという意味でも違うのだが、彼女は誰かに『残されたもの』のために戦っているのではなく、チームの皆を守るためにペルソナを発現させ、だれかが『残されて』しまわないようにするために力を使う

アイギスは対シャドウ兵器の『残された』最後の一体である。
10年前にデスとの戦闘で仕留めきれず、近くにいた少年の内側に封印することで事件を終わらせた。しかし少年の中に『残して』しまった
10年後その少年とそこから産み落とされたデスと再会し、全てを思い出し、自分が『残した』せいで悲劇を背負った青年を守り続けるために戦う

主人公も例外ではない。彼も両親が事故で死んでおり、彼だけ『残されて』いる


死者の思いはその人が死んでしまった時点で『残された』我々が知ることはできない。その大切な人は自分に何を『残していったのか』自分に『残された』ものはなんなのかは自分の中で考えるしかない。

ペルソナ3という作品は、S.E.E.S.のメンバーが自分の大切な人が『残していってくれたもの』を再確認し自分に『残っているもの』と向き合いそして世界のために、自分たちを『残してくれた』人たちのために戦う


これがこの作品のテーマだと自分は思っており、だからこそこの作品が多くの人に刺さり、忘れられないのだと思います。


主人公が『残して』いったもの

ここから話はペルソナ3フェスのほうに移ります。

主人公は世界を救うために自分の命をすべて使って奇跡を起こした。そして彼らとの約束の日までなんとか生き、満足して死んでいった。

主人公の物語はここでおしまいです。
彼は仲間たちを『残して』世界を救い未来を『残して』死んでいった。


でも彼に『残された』人達の物語は続いていく


この物語は、ペルソナ3という物語は『残されていった』人たちの物語なんです
だから少なくともアトラスが主人公は死ぬつもりで作ったのならばエピソードアイギスまでリメイクしてほしかった。


エピソードアイギスは『残されたS.E.E.S.』が再びぶつかり合いながら、過去を振り返り、最終的に主人公が自分たちに『残していったもの』を再確認し、未来に向かって歩き始める物語

この物語を通して、『残された』S.E.E.S.のメンバーは主人公が世界を守り続けるために魂を懸けたこと、そして彼が『残したかったもの』がかけがえのない仲間であり、その彼らが生きていく世界であることを改めて認識する


改めて言います。
自分はペルソナ3という物語を『残された』人達の物語だと思っている。

私はこの物語の結末は
主人公が『残した』ものを、主人公が『残したい』と思った人たちが前を向いて歩みだすシーンで終わらなければならない
と強く思う。


死やメメントモリについて

この二つはペルソナ3ととても深く関わっています。

誰もが大切な人を亡くすという体験に耐えられない。それでも耐えて生きていかなけえばならない。それが自分に残されたものだから。

人は必ず死ぬ。だからこそ自分と向き合い、自分の死と向き合い、何をするかを自分で決めないといけない。

自分と向き合うというのは自分を作り上げたものを再確認する行為だと思います。
自分が誰の影響を受けて育ったのか、自分が大切にしてきたものはなんだったのか、自分は何が嫌いで何が好きで、これから何を嫌って何を好きになって生きていくのか。

メメントモリってのはこの先にあるべき思想だと思うんです。
自分を作り上げてきたもののように、自分が明日死ぬとしても誰かに何かを残せるのか。


まとめ

ペルソナ3という作品は一貫として死んだ人の回想が出てこない。
死んだ人の意志は生きている側が知ろうと、分かろうと、理解しようとしないと存在しない

S.E.E.S.やコミュのみんなは各々が自分に『残されたもの』と向き合いそして生きていく自分が死ぬその時まで

人間世界では当たり前の、それでいてとても難しく、きつく、辛い、ただとても大切な行為。
それをペルソナ3という作品は我々に教えてくれる。改めて気づかせてくれる。

だからこそ私はペルソナ3フェスを見て、ようやくこの作品を消化できた。

もちろんいらないし、見たくないという人の気持ちも理解できる。
ただやっぱり、アトラスにはここまで作り切ってほしかった。
主人公の死と向き合ったエピソードアイギス内のみんなのように、ユーザーである自分も向き合いたかった
それが大切な人の死と残された人達の物語としては最も美しいと思うから。


というわけで、ペルソナ3およびペルソナ3フェスの感想でした。
素晴らしい作品でした。改めて自分の中で思いを吐き出せたのでしっかりけじめをつけようと思います。


次にやるゲームは『ファイナルファンタジー7 リユニオン クライシスコア』です!
FF7リバースに間に合うかは置いといて、心機一転全力で楽しみます!!


それでは最後まで読んでくださった方いらっしゃればありがとうございました。
筆者Twitter:まがしき @esportsmagasiki


追記:2024/04/06 
エピソードアイギスも追加されますね!!やった!!
思ったより閲覧されてたので焦って追記しました。楽しみに9月を待ちます。


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