見出し画像

私のニッチなカフェミュージック(秋)

朝、天気が良い日は布団をしまうと
ベランダの窓を開ける。

すぐ眼下にはベランダに平行して
鉄道が走っていて、

特急か各駅か
通る列車で大まかな時間もわかる。



各駅列車が特急の通過待ちで待機、
特急がフルスピードで通過

鉄道はヘビィメタル。

鉄道は物音として「聞こえる」と
うるさいだけだ。
やかましいだけである。


でもジョイント音(ガタンゴトン)に
意識を向けると

「今日は高らかに響いてるなー!」とか
「今日は潰れて聞こえる」みたいな

そんな違いも見つける。

毎日その音を「聞いて」いると
車両の系統もわかってくる。
(オタク気質のせいかも)

うるさいんだけど
キライじゃない。

うっとおしいときもあるけど
イヤじゃない。


時間通りに特急が駆け抜けて行くと
「今朝も定刻」と安心する自分がいる。

「異常なし」
窓から通過後のホームに向かって
自分も指差し確認してみたり。

列車が行き交うのも
それを動かす誰かがいて、乗る人がいて

あの数秒間のジョイント音とともに
様々な誰かの日常が通過して行くのだ。



列車のけたたましいジョイント音が消えると
鳥たち、虫たちによるジョイントに戻る。

うちのベランダには様々なミュージシャンが
揃っている。

ヒヨドリ、すずめ、カラス、山鳩
メジロ… あと何だろう?

聞き分けてみると本当に多くの鳥がいる。

鳥の声には疎くて
鳥好きの息子に何度も確かめないと
ヒヨドリとウグイスもたまに間違える。

「キハ系とか聞き分ける方がニッチだろ」
と、息子には言われる。

    ー いやいや誰にだって得手不得手がある。

鳥の鳴き声に混じって
蝉がけたたましかったのが
今はコオロギや鈴虫が
澄ました音を奏で合っている。

自然に勝るプロデューサーはいない。

このすーっと澄んだ空気には
蝉よりコオロギや鈴虫がぜったいイケてる。



今朝は虫たちの声が少し寂しくなった。

数が少なくなったのか
元気がなくなったように感じる。

そろそろ
秋のコンチェルトもエピローグかな。

コオロギといえば、
長男が小学校の低学年の頃、
雑誌の付録にあったコオロギの卵を
2匹、孵化させたことがあった。

そのうちの1匹はもう片方に比べて
倍ほどもある大きさに成長し

長男はそのコオロギを
「デカプリオ」と呼んでいた。

当時の映画で有名になった俳優は
レオナルド・ディカプリオ

小学低学年児童の息子は
デカい「デカ」という語呂で
コオロギにそう名付けた。

彼は毎朝毎晩、餌をやり、
「デカプリオ」に話しかけていた。

「デカプリオ」は応えるかのように
毎日、部屋中にコロコロと
軽快な羽音を響かせた。

その音色がすっかり
日常の音になっていたある朝、
あっさりと、それは終わりを迎えた。

虫かごの中でひっくり返ったまま
びくともしない「デカプリオ」

一か月以上ともに過ごした
命の終わりを受け止められず
長男はカゴを揺すりながら大泣きした。

狭い虫かごの中で一生を終えた命

デカプリオは
仲間のいない15㎝四方ほどの世界で
自分の縄張りを主張して

羽を精一杯、鳴らし続けた。

本当なら広い草っぱらで
たくさんの仲間に混じって
その音色を競えたかもしれないのに…

そう思うとやりきれなくなる。

だが、デカプリオは長男や私たちに
のどかで和やかな時間をくれた。

わずか3~4㎝ほどの小さな体で
私たちの住み家を季節の音色で満たした。

狭いアパートの一角に住む私たちも
デカプリオと変わらない。

自分たちも与えられた日々を
この場所で淡々と生きれば
それでいいんだなあと

四半世紀過ぎた今でも
この季節になると思い出す。

デカプリオの命は
ちっぽけでもなければ、儚くもない。

命はみんな
そこに在るだけで誰かを喜ばせている。


私の周りは
生きている音で満たされているなあ…
なんて
どこかしみじみとし始めた虫の声に
私もちょっとしみじみ。



秋は短い。
じっくり味わっておかなければ。

とりあえず、コーヒー淹れよ。












この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?