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ビールに合わないネタ

元気ですかと電話をかけました
あの人のところへ電話をかけました
いやな私です
やめようと思ったけれど
いろんなことわかってるけれど わかりきっているけれど
電話をかけました。

『元気ですか』by中島みゆき

これは嫉妬を持て余した女性の愚痴の詩でみゆき節が炸裂している。


さて、この歌とは全く関係ないのだが。

昨夜、私は愚痴りました。

電話はかけていないし、飲み友に差しで愚痴ったとか、身内などでもない。
音声配信プラットフォームstand.㎙での公開の場である。

「こんなこと喋りたくてライブを始めてしまって、すいません」

いやな私です
やめようと思ったけれど
いろんなことわかってるけれど わかりきっているけれど

『元気ですか』by中島みゆき



ライブを始める直前の自分の気持ちが上の詩にある感覚に近いかなと思ってリンク貼ってみた。


告知もせず、いきなり配信を始めたにも関わらず「どしたー?」と集まって下さった方々を次々スピーカーに半ば無理やり上がってもらい、あーだこーだと、マジでとりとめないことを聴いてもらった。

夜の時間帯だったので、周囲に家族がいたりして話しづらい状況は承知の上だったが、それでも3人の方がスピーカーになって下さった。

恥ずかしながら愚痴ライブは延々1時間半にも及んだ。

なのに、リスナーの方たちもずっと最後まで付き合って聴いて下さった。

『元気ですか』の朗読のあとに始まる『怜子』という歌に出て来る女性のような方ばかりでした。

『怜子』by中島みゆき

皆さん、たまたまスマホを開いただけだったのにね。
かたじけなし。

※アーカイブは残しておりません。

愚痴だもの😅


何を愚痴ったのかというと、オラクルカードによる『過去世リーディング』について、私の思うところについてであった。

このメニューはnoteを始める前から周囲の方へ気楽なカンジでやっていた。

「ちょっと興味ある」という軽いノリで頼まれることがほとんどで、私もオラクルカードの楽しさを共有できるのが嬉しいから「美味しけりゃそれでよい」「楽しけりゃそれでよい」という感覚でいつも二つ返事だった。

noteでこの過去世のリーディング体験を募ったときも、想定以上の応募が頂けたことに思わず尻込みしてしまう自分がいたが、それでも「こんなにやってみたいと思って下さる方がいるんだ」と、嬉しさの方が大きかった。

この企画を〆切った数日後、ある見知らぬ方が依頼を申し込んで来た。
私自身がフォローしている方でもなく、先方も私の記事を読んだこともない方だった。
正直ためらった。

note交流での構築された信頼関係とか
安心感てものがあっての無料企画なんだけど…
しかも〆切後って…

ぶっちゃけ思いました🙇💦


日程もかなり詰まってしまっていたので、かなりお待ち頂くことになるとお返事すると「それでもいい」とのことで大層ノリノリなカンジが文字から伝わって来た。

それならばということで、一か月以上お待ち頂いた後にセッションとなった。

終わったときには満面笑顔、しかも涙ぐみながら喜んでくださった。

がしかし、どういうことか、後にこの方に過去世リーディングの誹謗記事を書かれることになる。

それ以来、私はこのメニューを止めた。

「楽しい」「嬉しい」がすべてどこかへ飛んで行ってしまい、「私は何のためにやってたんだっけ?」と、目的を見失った感じであった。

さらに、過去世リーディングは私にとって他のリーディングとは少々感覚が異なっているため、リーディングをしている私自身には何の手応えも感じられない不安というか、心許なさをその誹謗記事によって意識化してしまった。

以来この一年、自分のモチベは上がらないままだった。

ところが数日前に頂いた依頼で「なんか気が向いた」感覚になり、1年ぶりに再開。
空白期間があったので、ちゃんとやれるかどうか不安も大きかったが、お礼メールまで下さり、すごく喜んで頂けたと感じた。

だが、意識化してしまった「自分の手応え」にこだわる自分をやはり払拭できずにいた。

たかがカードリーディング。
こんなどうでもいいようなことを聴かせて、いったい誰トクなのかと思うものの、でもそれでも喋ってみたかった。

・・・ということで、衝動のままにだらだらと喋り倒したのだった。

しかし話すうちに「そもそも手応えって何だろう?」と自分で言いながら、はて?と気づく。

例えば料理を作ったときの「手応え」とは何だろう。
仕事の「手応え」ってどういうことなのだろう。

うまく出来たぞという納得感だとして、そのジャッジに意味はあるのだろうか。

育児の手応え?家事の手応え?

自分はそういうことをいちいち求めてやってたっけ?

何が手応えなのか考えてみるに、それは自分の勝手な期待や解釈でしかないようにも思えた。

たまにいる、人の気持ちが気にならない奔放な誰かによって、自分の曖昧な部分をふいに刺激されただけなのに、高尚な理由を探して痛くないフリをしようとしていたのかもしれない。

だとしたらば、不甲斐ねえこってす。

楽しいか楽しくないかでいえば、それはとても楽しい時間で。
嬉しいか嬉しくないかといえば、喜んでもらえるとこそばゆいくらい、嬉しいわけで。

何をこだわっていたのか、昨日までの自分が今日の私にはわからない。

ああ、そうだ、一周廻って来なければわからないことだったのかな?

ということで、
自らぶん投げて飛ばしたブーメランの如く、軌道を描いて私は戻って来た。


お付き合いくださった優しい皆さま、ありがとうございました。
おかげで喉につっかえていた魚の小骨は抜けました。



あと、
やっぱりビールに愚痴は合わないもんだなあと痛感した。
苦いのなんの。

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