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エンパスの人に届きます様に (1)

ここで言うエンパスは、人の痛みを自分のものとして感じる人のことです。

嫌われる勇気という本がベストセラーになりましたが、
あの本の内容が響く人は、自分が他人からどう思われるかに囚われがちなタイプで、
あれだけベストセラーになったのは、それだけ今の日本人の傾向をついているのでしょう。
気になる人の目。
自分がどう思われたいか、どう思われたくないのか。

エンパスの人も、他人がとても気になる点は同じなのだけれど似てて非なる。
というのも、焦点は完全に相手で、その時自分は” 消えている” から。

こんな感じかな? 感覚を頼りに書いてみました。


だからエンパスの人は、助けが必要な人が目の前に現れたら人の目なんて一才気にせずに行動に出る。と言うか、人の目という概念がない。
そして行動に出ない自分なんて想像できないと思う。
またそれをさりげなく、なんでもないかの様に行うことが出来る。
そういうところを見られるから、繊細な心の持ち主であることを多くの人は知らない。
家族でさえも。

繊細さんとカテゴリーされるHSPの特質と重なり合う点も多々あるのだけれど、
エンパス= HSPだけれど、HSP イコール エンパスではない。

日本語で心という時、
マインドを意味することもあれば、ハート(気持ち)のこともあり、意識のこともある。
なぜ人の痛みを自分のものとして感じるのか?
なぜその瞬間に一番必要な行いを見極めることが出来るのか?

エンパスの人は、意識優位で生きているから。
私たちの意識は、最深層においてはひとつ。
心はひとつ、という表現があるけれど、これは意識のことを言っている。
意識優位と言ったけれど、もう少し違う言い方をするなら、
殆どの人が成長するなかで失った、ひとつであった頃の感覚を持ち続けているのだと思う。
外界においては、自分の周りである全体に意識をくばっている、つまり見ているから。


さあやちゃんの、イジメを通り越した犯罪イジメが北海道でありましたが、
エンパスの方はかなり参ったと思いますし、今でも時おり、さあやちゃんのことを思うのではないでしょうか?
ところでさあやちゃんのお母さんは、表に出て話せる範囲で言うべきことをおっしゃっていました。
今の時代、ニュースと言えどもユーチューブで見て書き込みでコメントを行なえる。
「お母さんは偉いですね。私だったら子どもを失ったら生きていれない。」この様な趣旨のコメントが沢山ありました。
書いた人は、悪気ないどころか、さあやちゃんのお母さんの事を本気ですごいと思っている。
また自分は正直に言っているだけで、このコメントがどれだけ酷いものなのかにさえ気づいていない。
エンパスの方は胸をえぐられる気持ちになったと思います。

人目に触れないところでどれだけ涙を流していることか、
けれども外では、また自分のことでは涙を流さないどころか、自分の負を人には与えないように努めるエンパス。

エンパスの人が受ける不条理は、
完全に相手のためにしたのに、いい人に見られる様にしたと捉えられることと、
とある状況において助けを出さずにはいられなかったからしたのが、
同じパターンをその先も望まれ、そうしなかった時に仕返しの様なことをされること。

アインシュタインは天才と呼ばれますし、
本当に天才なのですが、その本質は、アインシュタインが自分の気質を貫いた事にあるのではないかと思うのです。
今の時代で言うところの、発達障害。
相対性理論、特殊相対性理論、光電効果、ノーベル賞級の頭脳ですが、
発見や理論の構築、それよりも何よりも、自分の気質から生きたことによる、同じタイプへの大いなるエール。

気質、天与の才。
英語ではgenius。gene 遺伝。受け継いだもの。
人それぞれ何に興味を持つかは異なるから、外の世界においての素質としての何かとかは言えないけれど、
そんな風に気質に忠実に生きている人の存在意義は、同じタイプにとっては計り知れない。
またこれこそが多様性なるもの。

エンパスはどちらかというと逆で、合わせようとして合わせているのではないのだけれど驚くほど適応させることが出来る。
人は人が自分とは違うと知りながら、
自分事の時は分かって欲しく、人の事となると、それは違う、と言う人が多い。
エンパスはそれをしない。
気が合うからとか、好きだからとか、自分もそうだからで、話を聞いたり相槌を打っているのではなく、その人をその人としてそのまんま聞いているのだ。
そこに自分を介在させていないのだ。
その積み重ねによって、今必要とされるものが分かるのだ。
積み重ねと書いたけれど、人生のかなり早い段階から分かっている。


エンパスの人は、ひとりでいる時のこだわりや世界観はかなりはっきりしている。
けれども人と一緒に過ごす時、それは絶対無理というもの以外なら、なんでもオーケーとなる。
また何か意見を出す時も、必ずその時の全体の雰囲気や求めを感じ取ったうえで出す。
総和としての意見なのだけれど、人はそれに気づかない。

HSPとか自称エンパスを除くと、真のエンパスは人口の1〜2%だとあがっていましたが、きっとそれほど少ないと思います。
ただ受け継いできた、感性に重きを置く文化の傾向として日本ではもう少し高いかも知れません。

こんなにも苦しいのに、なぜエンパスの人は声を上げにくいのか?
上げれば上げるほど綺麗な心しか出てこなくて、それを聞く人はまるで自分の持ち得ていないものを言われているようになるから。
そもそも聞く人が思っていることと反対のものしか出てこないから。
また事実を言っても文句と捉えられるのも知っているし、そもそも文句を言いたいと思わない。

エンパスの人は、限りなく人の気持ちに寄り添うけれど、
自分自身に対しては気持ちや感情をそこまで大切にしたり求めていなくて、
感覚(setience)として生きてる。

感覚がカギ。

(つづく)

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