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高校のグループラインを退会した

ということなんですけども。
逆にずっと残っていた方が、自分としては珍しいくらいでした。
同じ場所にずっといるのが苦手で、暫くするとどうしても抜け出したくなる癖のようなものがあり、アルバイトも続いてせいぜい3年とか。でも、高校は本当に好きで、ずっとその過去を抱えていることに喜びを見出していました。


人が変わった衝撃

先日、高校の同級生の家にお邪魔したとき。私よりも遥かに前を進んでいて、傍から見たらなんでもできる人だし、実際に私じゃ住めないような場所に家もありました。
本当に10年弱続く仲で、友達以外に尊敬の意と僅かながら恋愛的な感情もあったのですが、2年ぶりに会うと、止まらない違和感がずっとあったのです。
どこまでいっても噛み合わない。元々学生時代から合わない部分もありましたが、それを認め合えない、理解できないことが増えていたのです。

「付き合えない」。向こうは恋愛的な意味で言ったのですが、自分は関係維持の面で「きっとこれからはもう付き合えないかもな」と見えないところで静かに涙を流しながら、思いました。去り際、私はただ「達者でな」と言い残して駅へ向かいました。後腐れのない返信で全てを終えました。

高校の同期のなかでも、自分は悪く言えば落ちぶれた人間、よく言えば自分のやりたいことに忠実で、自由人。
でも、高校の同期達は大手の会社員や公務員になって、責任の大きな仕事をこなして社会を動かす役目を率先して担っている。すごい、けど。こちとら薄給だし嫉妬もちょっとはするけど。
だけど、そうなりたいと思わないし、そもそもどう頑張ってもまあ難しいし。

だから大学や専門で、周りに似たような友達ができるとすごく心地よさを感じました。私の周りにいる友達は皆頭のネジが飛んで行っている人であったり、やりたいことに全振りした人。
勿論、今仲のいい高校の同期にも、やりたいことに一生懸命になろうと、本人なりに考えて行動している人はいます。

自分もそうした人を否定はしません。ただ、認め合えてもっと思考を広げられたらいいのにな、と思っただけです。

だからか、幹事であったり高校の先導を務める友達を通して、一気に高校への言い表しようのない嫌悪みたいなのが生まれてしまった。つらい。


興味関心の幅

友達は自ら「面白くない人間」と評していました。これは別の高校の同期と会って話したときも、似たような感じでした。
毎日のように飲み、休日は遊んだり、部活で打ちこんでいたことをする。予定の空きがない。これで面白くなかったらどないやねん、という話ですが。

確かに興味関心の幅が狭い。

自分の場合、友達とは結構「やったことがないこと、行ったことがないところを一緒に遊びに行こう」というコンセプトみたいなものがあって、例えば子供の頃にしそびれた遊びや、アート、ギャンブル、それこそ煙草など様々。多分、心は子供のまま大きくなった人間の集いです。勿論それぞれの社会の揉まれ方をして、社会のなかに存在することはできる。それもあって皆就活や仕事で大苦戦した訳ですが。

対岸にいる人達は、そういうのにあまり興味がない。

人生の取捨選択をうまくできているのだと思います。自分はなんでもしたいので、一生やりたいことリストがなくなることはないし、間違いなくコスパの悪い人生です。遠回りをした結果、就職先のパーティーで毎回「新卒の他の子は学生なんですけど、自分24歳で……」と言って、営業の年下の先輩を困らせておりました。


結局どの選択をしても、死に際に後悔しなかった者勝ちです。
ジョブスですら死ぬ前後悔したという話がいつも頭から離れなくて、自分なりに明日死んでも自分としてよかったかを考えてはいます。

今のところクソみたいな経験まみれですが、よかったです。遺言ではないです、生きてます。

だから、自分はこのまま前に進む。かつて大好きだった居場所に、さよならをして。


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