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音楽は人生を助けるスキルと、生きながらえる楽しみを授ける。音楽サロン・スペース「音工房〇」をやろうと思った原体験

マギです。
今回は音楽サロン・スペース「音工房〇」をやろうと思った原体験について話していきます。

非常に長いですが、要約すると

「音楽を通じて、コミュ障でもなんとか人とのつながりを保つことができるようになった」
「音楽の仕事をもらったことで自信につながり、音楽以外の仕事にも気力がわいて継続できるようになった」
「音楽制作と演奏を通じて、仕事での基本的なコミュニケーションや、相手への配慮が少しずつ身につき、他の仕事にも役に立った」
「何より、自分が楽しんで生きるきっかけを作ってくれたのが音楽」
「だからこそ、音楽で生きる人を育てる!とは言わないけど、人生を楽しむきっかけ、自分の心に気づくきっかけに音楽を作る・演奏することが選択肢の一つとなる世界を作り、気軽に始められる選択肢もたくさん用意したい!」

こんな感じです。

小学生~中学生。周りの理解を得られないが、音楽をひたすらやっていた時期


小さいときの写真が無かったので高校一年生のとき。自信なさげ

私はあまり発達障害というものに理解はなかった時代に生まれて育ちました。親も発達障害という言葉を知らず、小学校や塾とかの先生方もみんな発達障害についてを知らず、私もクラスメイトや先生にバカにされると、本当に怒りをコントロールできず、親も感情的になり先生も理解ができず、敵を作りすぎてしまうという状態になっていました。
私も幼かったこともあってどうしたらいいかわからないし、一部の人は心配してくれていたんですけど、みんな何て言ったらいいか、どう私を扱ったらいいかわからないっていう感じでした。両親もたった一人の息子がこんな状態で、どうしたらいいかわからず、理想と現実のギャップに苦しみ続けていたのだと思います。

私もそんな感じで中学に進学してそんなに人間関係うまくいっていなかったんですけれども、唯一打ち込めたものが音楽だったんですね。ただ、その時点では音楽のことで友達と喋ったりとかっていうのはそこまでありませんでした。
習い事としてヴァイオリンを学んでいましたが、お金のある世帯が通っていて、ある程度マウンティング合戦や競い合いなんかがあって、さらにその先生の、生徒に対するひいきがエグいということがありました。上下関係みたいなものが、子供の実力以外のとこでつけられてるっていうのを子供ながら感じるということに巻き込まれ、少し嫌な気持ちがありました。
私の中には、音楽を純粋にやりたいんだという気持ちが当時からあり、その先生の元からは離れることになりました。

高校生時代。人間やめたくなるトラブルに巻き込まれるが、音楽にしがみつく。


これはオーケストラ部の派生企画で、小編成でアンサンブルしてたとき

高校でオーケストラ部に入りまして、そこでやっと、音楽を通じて他の人と話をするというまともな人間関係を築き始めるきっかけになりました。音楽を通さないと相変わらずまともに話もできないし、どうやって友達作ったらいいかっていうのをわからない人ではあったんですが、まず話してみるところは何とか突破したかなと。
ただ、その後部活で派閥争いがあり、部員が半分抜けて、私はどっちの派閥にもつかないということ言ったら両方からうざがられたりとか。そんなこともあり、もう一つ嫌な事件があり、私は徹底的に追い詰められることになります。
東京都の晴海にあるコンサートホールのアウトリーチの法人があって、友人に誘われる形で高校生として参加しました。唯一の男子だったこともあってか、また私が扱いづらい性格であったせいか、ある女性の社員さんの方に目を付けられて、もう一挙一動1棟足にめちゃくちゃ難癖をつけてくるみたいな、ちょっと周りも認めるぐらいのいじめ状態でした。他の社員さんたちも周りの一緒に参加してたインターンのメンバーも、黙って見てる状態でした。
自分が音楽に関わっている中でこうした2つの事件が起きたことで、精神的に追い詰められ、学校や仕事に行けなくなり、「消えたい」と思うようになりました。
しかし、そんな状態になっても、音楽にすがりついて生きていきたい自分がいることに気づき、なんとか持ちこたえて、インターンも、引退前の最後のオーケストラ部の演奏会もやり遂げました。

特に理由はないんですけど。自分が音楽をやるのが純粋に楽しいっていうのがあって、今も他の仕事をやりながら、音楽もやりながらっていう感じを選んで生きているものの、それでも音楽をする時間は純粋に楽しみがあり、追求したいことがあり、楽しい時間がそこにあるっていうのをわかっていてやっています。
他人を意識せずとも、音楽をやっていることだけにすがりついている時間は、自分の精神を保つのにぎりぎり役割を満たしてくれました。
誇張も一切なく、「音楽が私の命を救ってきた」と言えます。

そうした原体験があって、音大に行きたいということを親に伝えたものの、音大出身の親にはパワハラ気味に反対され、私も精神薄弱だったため、説得に至りませんでした。
今の人生を肯定していることを前提に言いますが、正直家を飛び出してもよかったとも思っています。もし家出して苦労して受験していたら、また違う人生を歩んでいたかもしれません。

大学時代。音大には行けなかったが、音大のプロジェクト参加と音楽ワークショップの学びで転機が訪れる


バロック音楽やってたときのやつ。多分左が自分

その後一般大学に行きまして、バンドサークルやゴスペルサークル、舞台芸術のサークルを転々としていました。目的はただ一つで「クラシック以外のジャンルで音楽をしたい」ということだけでした。
相変わらずのコミュ障でしたが、なんとかやっていけてはいました。

その大学でも転機が訪れました。まず、音大生と一緒にプロジェクトをやるという機会をいただけたということです。古楽サークル…つまり、バロック音楽を昔の演奏法通りに忠実に演奏・研究するサークルに所属していたとき、サークルの友人が音大生とつないでくれる場に誘ってくれたんです。国立音楽大学の古楽のコースに参加していたメンバーと一緒にプロジェクトに混ぜてもらうことになりました。
正直、私の演奏は当時としてはとても下手でしたが、まず1回このような場を経験することで、奮起するきっかけとなりました。
あとは、古楽をやっていたときに、今弾いてるヴィオラ・ダ・ガンバ出会ったというのも大きいですね。その後にバンドでフィーチャーすることになったので…。

まだタブレットを使ってない頃のワークショップ

そしてもう一つの大きな出来事が、大学在学中に音楽ワークショップとの出会ったことです。
野村誠さんというNHKなどに曲を提供していた作曲家の方がいまして、老人ホームで、入居者さんと一緒に音楽を作るプロジェクトなどを行っていました。彼とイギリスでホームレスと音楽を作っている音楽家の企画した即興表現のワークショップがあり、mixiを通じて、それに参加する機会がありました。
こういうやり取りをしようっていうルールだけを決めて、表現を、どんな楽器でも世の中から身体表現でもいいからやり取りし合うことを行いまして、今まで私は譜面のある音楽しかやってこなかった、そのときまで譜面のある音楽しかやってこなかったので、非常に刺激的でした。
場の人がお互いへコミュニケーションを意識し、敬意を持っていれば思い切って表現したりちょっとおふざけみたいな感じになったりするのもOKという場で、私にとっては温かい場でした。
「こんなに自由で、表現に対して寛容で、あたたかい場があるのか!互いを受け入れられる表現の場は作れるんだ!」という革命的な気づきがありました。


即興表現がいろいろな人とのパフォーマンスへとつながる(Photo by bozzo)

私もそういう場を作れば、いろんな人が気軽に音楽に関われるし、そういう私みたいに音楽をやるっていうことに楽しみを見出して、救われるかもしれないという考えに至って、ワークショップの企画者になることに興味を持ちました。
その後、青山学院大学の講座でワークショップの企画方法、継続していく方法について学び、大学を卒業してからいろんなワークショップの企画に混ぜてもらいました。とある渋谷のコンサルティングの会社での人材育成系のワークショップ、水戸市の公共事業でのイベント「かえっこ」、墨田区の小学校の放課後事業だったり、目白大学にいた心理学の先生の瞑想に関する研究など。


Margaret Maggieの時代

そのあと、Margaret Maggieというバンドに所属して活動している中で、作曲の仕事をいただいき、自分の作った音楽が地上波に流れるという初めての体験をしました。一つ、ハードルを超えた感覚がありました。
「パズル&ドラゴンズ」という有名なゲームのCM音楽で、youtubeでもまだ聴くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=YEAU7giiQts


影響力が大きい仕事をいただいたことで自信にも繋がり、嬉しい経験をしました。メンバーの実力や人脈も当然大きかったですが、自分の努力が報われたと思えた瞬間でした。

音楽は、音楽以外の人生にも力を与える。子どもにも、大人にも、シニアにも


結局何が言いたいかっていうと、音楽によって、この世から消えたいと思うほど人間関係のゴタゴタや、発達障害・思考のくせによる苦しみ、家庭環境や学校のしんどさを何とか乗り越えて今36。生きてられている。
音楽やワークショップによって自信を得続けて、人に必要とされて、もちろんトラブルもありながらも、生きている実感を得た感覚があります。

音楽だけではなく、他の仕事も続ける力になりました。
今は音楽講師・コーヒー焙煎士・スペース「音工房〇」の運営以外に、翻訳の仕事と漫画の編集の仕事も受けています。
音楽で生きていくということだけをゴールにせず、音楽を通じて自信をつけたことで、他の仕事も続けられるようになりました。
自信が一つあることで、批判を受け入れ、誠実に対応する余裕が生まれるというのが、私の30年少々の人生で生まれた実感です。

さらに自分の精神状態を知るという力も、音楽を通じてつきました。
海外では音大にカウンセリングルームがあり、パンパンで回っているほどなのですが、演奏家のメンタルを良い状態に保つことは、あたりまえに必要なことです。
自分の演奏が荒れていたリハーサルの録音や作曲の下書き、失敗した本番をしっかり振り返り、自己卑下もせず、ただ事実だけを見つめる習慣を、いつからかつけるようになりました。
作曲でも演奏でも、音にはすべて現れると思っています。「この時にこんなことを考えてしまっていたから、次からはこういう癖が出そうになったら気づけるようにしよう!」ということです。

私の場所は、音楽を金にしようとかそういうのに特化したものではないです。
大人でも子どもでも、シニアの方でも、たとえばできることがないと思っている人でしたら、音楽を1個作ることで、いろんな人に聞いてもらったり、SNSで縁が生まれたり、Bandcampというサービスで誰かに買ってもらったり、音工房〇でライブしてお金もらったり、小さな成功体験を積み重ねる場としてほしいのです。転がり込んできたチャンスがあれば、その経験を活用してより大きな仕事へと羽ばたいてほしいです。
あと音楽を誰かのために作っていると、絶対他人が関わってくるんですよ。クライアントさんと話し合ってニーズを聞き取ったり、自分が作りたい方向性だけではなく、相手のことを考えて作れるようになるコミュニケーションスキルが身に付きます。コミュ障だったこともあって実際苦労しましたが、好きなこと、知見のあることだったので、コミュニケーション能力をその部分で補っていました。
次第に仕事の経験を積み重ねたおかげで、コミュ障も多少は改善し、例えば翻訳の仕事では継続で案件をいただけるようになったものがいくつかあります。

音楽では、まず自分が楽しむこと。次に、自分の力を使って、他の人と時間を共有して楽しむ。
これがやりやすいのが、音楽だと思っています。

もし他のことで楽しめていなくても、音楽に触れ続けて、自分でもチャレンジしてみて、その人にとって音楽が重要なことになれば、私にとってこれほど幸せなことはありません。
聴くだけで幸せになれるならそれに越したことはないですが、自分でも作り、発信し、誰かとかかわるきっかけとなれば、私にとっても、参加してくれた人にとっても嬉しいです。

たとえば、家でゲームやって過ごしてるだけで自分の時間を消費するだけになるのではなく、自分で作る方に回る。
もちろんそれがマインクラフトのワールドでもいいし、スクラッチとかのプログラミングでもいいし、何でもいいんですけど、作る側に回るものの一つとして音楽を選択肢に入れてもらえればと思います。

私自身も発達障害の支援事業に関わり、発達障害の子どもたちと一緒に曲づくりを行ったり、福祉施設で知的障害の子供たちと一緒に音楽遊びをするっていうところに関わってきました。
障害のある・無しにもかかわらず、また学校や会社がしんどいとか、不登校にもかかわらず、音楽は一人ひとりのペースや環境を見ながら続けることができると思っています。
チャレンジして自己肯定感を経て、その後の人生の確固たる自信にして、ちょっとずつ小さなせっかく積み重ねることで、プラスになればいいなと思っています。

音工房〇では、気軽に参加できる曲づくりの体験ワークショップや、他の分野の人とのコラボレーションしたワークショップ、自分のペースでやっていきたい人の個別レッスンなどを行っています。
パソコンやタブレット一つでできる作曲の会のほか、ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏のレッスンもしています。
これを見て興味がわいたという方は是非、公式LINEやSNSでつながってください!

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