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「パーフェクトデイズ」 名人による盆栽のような映画

弟が言うには、
「役所広司がただただトイレを掃除する”だけ”の映画や」
とのこと。
「トイレ掃除する“だけ“なん?」
「掃除する“だけ“や」
”だけ”を強調していたのがかえって興味がそそられたので、観に行ってきました。

監督は、ヴィム・ヴェンダース。
「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」を学生時代に観た記憶があります。
相変わらず観た記憶だけで、どんな映画かは忘れています。
前者は色とりどり、後者はモノクロからのカラー、という色の記憶だけがかすかに残っています。
どちらも何やらカンヌ映画祭などで受賞した”芸術的作品”であったから、押さえておかなくてはという思いで観たのでしょう。
その芸術性を理解できなかったから、ロクに記憶できていないのかもしれません。

さて、ヴィム・ヴェンダース。
名前からして巨匠です。
重厚難解芸術系映画の巨匠監督は、だいたい名前からして巨匠なのです。

フェデリコ・フェリーニ
ジャン=リュック・ゴダール
フランソワ・トリュフォー
ロマン・ポランスキー
アンドレイ・タルコフスキー
マルチェロ・マストロヤンニ
マーティン・スコセッシ
スタンリー・キューブリック
思いつくまま並べてみました。古いか。
特にラストネームに巨匠感があるでしょう。
他では聞かない唯一無二な感じがします。
口に出したくなります。
ゴダールは、ジャンとリュックの間に”=”があってカッコいいですね。
なんとかスキーは、チャイコフスキーやカンディンスキー、ボロフスキーなどの、いかにも芸術家の系譜があります。
エンタメ系監督には、この巨匠感はないかもしれない。
例外はクエンティン・タランティーノかな。ファーストネームにもパワーがあって、巨匠感にクセ者感がプラスされています。
ポール・バーホーベンなんかはB級っぽい映画しか撮らないのに、名前で得をしているような気がします。
同じスティーブンでも、スピルバーグよりソダーバーグのほうが重みがあります。
かなり脱線しました。

そう、ヴィム・ヴェンダース。
”ヴ”がダブルでやってきて、重厚な芸術作品に違いないというバイアスをかけられてしまいます。
そこへ、役所広司です。日本一重厚な役者です。
文句のつけようのない主役です。
その重厚役者が、どアップで表情だけの演技をしまくります。
歳取っているけど、意外にウブな役なのです。
そんな男の微笑みの表情がうますぎです。
他にもモダンダンサーやら大物演歌歌手やらのキャスティング。
知らないけど渋いということがわかる挿入ポップスの数々。
その中の英語挿入歌の日本語バージョンをその大物演歌歌手が歌ったりします。
ずるいよなー、完全にエモくなるよなー、っていうシーンだらけでした。

文句をつけるとしたら、
あの年代のきょうだい同士ではハグはしないわなあ、欧米か! と、
あれだけ几帳面な生活をしている人が、うっかりガス欠するかなあ、
という2点だけかな。

さて映画の感想としては、タイトルのように「名人による”盆栽”のような映画」でした。

ボクは盆栽については何も知りません。
名人による盆栽作品を眺めていると、何だかすごいということだけはわかります。
ただ名人による作品と、それなりの上級者による作品との違いはわかりません。
素人が手がけた作品と名人の違いなら少しはわかるかもしれない。
盆栽って、ボクにはそういうものです。
それを芸術と言い換えても同じです。

ボクにとっては、この映画はそんな盆栽的良作でした。
観終わった後、後ろの席の老婦人が「めっちゃ良かったわ〜」と言っていましたが、ボクは手放しでそれを言うことにためらってしまいます。

でもボクなりに理解できた(と思っている)盆栽的なところがありました。
まず”色”あるいは”照明”でした。
それは「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」のかすかな記憶と呼応していました。
淡々と丁寧な毎日はほぼ無色かモノクロですが、それをベースに、紫の植物生育用蛍光灯、自販機の照明、車内灯(キスの後の)、読書灯、スカイツリーの照明など。
明らかに「ベルリン・天使の詩」的でしょう。
淡々とした日常は、モノクロとほんの少しの”灯り”なのです。
ちなみに植物の生育には紫(正確には赤+青)が効果的なのです。この知識がないと、あの紫色はわかりにくいですよね。

次に盆栽的なのは、”記録”と”記憶”と”過去”でした。
淡々とした丁寧な日々を写真という記録にとる。
しかし姪との過去の思い出(記憶)は忘れている。
「おじさん、ぜったい覚えてないでしょ」
そして老人が言う「ここの土地に昔、何があったっけかなあ。忘れちゃったー」というセリフ。
登場人物それぞれに思わせぶりな過去があるけど、詳しくは語られない。
そんな過去は影であり、過去の交錯が、”影の重なり”、”影踏み”として表現される。
そして過去という”影”は、今という”灯り”との対比でもある。
ね。なんだかとっても名人級の盆栽でしょう。

5点満点で点を付けるとすれば、4.0点、まあまあいいんだけど、お金払ってまでまた観なくてもいいかな、でした。ちょっと辛いか。

あと、東京の公衆トイレのカタログ的な部分もありました。
モダンで清潔で世界に誇れる公衆トイレがたくさん見られます。
世界の人が訪れたいって思うでしょうね。
そんな観光的狙いがありそうな映画でもありました。

映画って音楽と違って、総合的すぎて監督の名前ですら作品の一部ではないかっていう話でした。そんな話をしたっけか。
とにかく点が辛い訳は、盆栽はボクには早すぎると思いたいからだ。あの老婦人のように俄かに理解できてたまるか。もう57歳だけど。いやまだ57だ。あ。再来週58だ。どうでもいいか。それではまた。

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