見出し画像

介護福祉士になった経緯

自分の世話もまだまだ出来ない私は
高校を卒業してすぐの3月16日から社会人になった。


足浴をしてもらった高2の夏、この仕事は何?!とやってみたくなったのがヘルパーの仕事であった。


働く女性って多いなぁて思いながら、
同期が7人も休憩時間に集まって喋り倒している。
怒られた。
恐いからって…


確かに一個上の先輩たち
絶対高校の時はっちゃけとらん系。
声小さ。って思ってた。


反対に私達はイケイケいきなり髪の毛染めてる系。
「団体で行動しないで」って言われたのを覚えています。
Dr.からは「レディース」ってあだ名が付くぐらい。


夜勤をすることになったのは3ヶ月経ってから
めちゃくちゃ熱い温泉にも入らせてくれるし、
仮眠も4時間あった。


日勤は8時半から17時
夜勤は16時半から9時
と当時15時から19時のSPがあった。何故か3000円が付く。
8時半から12時半
13時から17時とゆう半日もあった。


病院ではあるが、
おじいさん、おばあさんばかりの療養とゆうなの終末期の病院。病棟が3病棟あって、
98床、86床、32床(介護病棟、医療病棟、介護病棟)があった。


夜勤大体4〜5回、日勤10日程度。
月給20万いくかいかないか、夏のボーナス22万、冬39万。
託児所2ヶ月より月8000円で託児あり。


介護とゆうより、おむつ交換の流れ作業、入浴介助流れ作業。って感じ…


その中で実務経験を積み、介護福祉士の筆記試験を受け、実務試験を受け介護福祉士を取得。
長女3歳の時であった。
眠気と闘いながらアプリをダウンロードし、過去問をひたすら解いた。
スマホが手から落ちてきて顔面に直撃する日だってあった。
先輩達がそうしているように、自然に介護福祉士は取得するものだと思っていたので、今ではその環境を与えてくれたその病院に感謝している。


受かった時はおばあちゃんが仏さんに報告したらしい。


ここで介護の基本を学んだから今がある。
あの上司がいたから今がある。
同期との楽しい思い出があるから今がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?