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刑期を終えて出所した男が一人降り立ったのは「すばらしき世界」だったのか?

刑期を終えて出所した男が一人降り立ったのは「すばらしき世界」か、それとも「すばらしき独房」か。西川美和監督による実話を元にした人間ドラマ。

この作品で出所した元犯罪者の生きにくさや行政システムの不条理に想いを馳せ、人生をやり直そうと奮闘する主人公三上(役所広司)の柔和な表情から極道のそれに豹変する演技を堪能し、彼を支える優しき市井の人々に心洗われラストに涙するのも良い。しかし見終わってしばらくしても心から拭えない棘がこの映画にはある。

殺人の罪で服役した三上は根が優しく正義感が強い男だったが、彼の怒りの感情は常に強い暴力衝動を伴っていた。かつて彼の属していた反社会的組織の弱肉強食の世界で彼は、信頼した相手には誠実で義理を通した裏表ない振る舞いで信頼を得ていたことが映画の描写から伝わってくる。彼の暴力衝動さえも容認される世界だったのだろう。

しかし堅気の世界ではそうはいかない。状況に合わせ上手く怒りを制する必要があったが、彼にそんな器用さはなかった。誰しも自分の中に善悪の基準と、心の拠り所となる良心があり、その限界を超えた時怒りの感情が現れる。彼の暴力衝動は彼の良心と強く結びついていて、怒りを抑えることはその良心を殺すことと同じだった。周りの人々は善人であるがゆえに我慢することで時に自分の良心を犠牲にし、三上にどんな状況でも耐えることだけがこの世を「上手く生きる」解決法だと思い込ませたのである。疑うことを知らない子供のような純真さが災いし、彼らの期待に応えることが自分の破滅を意味することを理解出来なかった彼は、良心から来る感情を抹殺するしかなかった。彼らの期待に応えることで自分もこの娑婆で生きていけるという未来を信じるために。それは身体は刑務所から出所し自由になったにもかかわらず、彼の良心は「独房」にいるかの如く自由を奪われた状態で、身体を蝕んでいったのだ。

この映画のハイライトでは花が重要な小道具として使われていて、これは原作にはない演出だと監督はインタビューで語っている。花はこの世の美しさの象徴であり、人々の優しさや見返りを必要としない無垢な存在の象徴だろうか。そして三上に花を手に取らせる事で、短くも美しい娑婆の記憶を大切に心に持ち、彼は辛さを感じていなかったと伝えたかったのではないか。彼の人生が幸せだったのかそうでは無かったのか、それを決めるのは彼自身であって他人ではないのではないかと監督は私達に問いかけているように私は感じた。

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