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硫酸瓶と暮らした忌わしい日々の記憶

かつて私は彫金で自営業をしていた。彫金過程には焼けた金属をきれいにするために薄めた硫酸液に漬ける作業がある。仕事を始めた時、液を用意しようと化学薬品を扱うお店でガラス瓶に入った500mlくらいの硫酸(希硫酸?)を買った。500円でお釣りが来たような気がする。必要な量はスポイト数滴だけだから、瓶はほぼ手付かずで物置に仕舞っていた。その後数年して物置を掃除した時、いつまでもこんな劇薬を置いておくのは怖いと思った。でもどうやって処分するのかわからない。引き取ってもらおうと購入したお店に行って説明されたのは、この薬品は水分と接触すれば猛毒の硫酸ガスが発生し、紙や木材に接触すれば燃え上がると言う恐ろしい事実だった。知識も無いのに劇薬を買い何年も保有していた自分を絞め殺したい。そしてお店では引き取れない、廃棄物処理専門業者を当ったら良いかもよ、業者は自分で探してねと言うのである。


今地震が来て瓶が割れたら物置が燃え上がる。そこに消防車が来て水をかければ猛毒ガス発生で半径200mの生き物が死に絶えるに違いない…と恐ろしい妄想がとまらなくなり、その夜、私はほとんど眠れなかった。翌朝、紙袋に入れたまま物置の棚に放置してある瓶を取り出し、何重にもビニールで包み、梱包材を入れたダンボールに入れて隙間をさらに梱包材で埋めた。爆発物でも扱うような慎重さで作業を終え、私は爆弾処理をする人たちの気持ちが分かったような気がした。これで小さな地震くらいならとりあえず瓶は無事だ。

その後ネットで廃棄物処理業者を探し、電話をした。何軒か断られた後、薬品製造会社の化学薬品処理部門みたいな部署の方とお話したところ、「出来ますよ、量はどれだけありますか?」と言う。舞い上がる気持ちを抑えて500mlと伝えると担当の人の声の調子が曇った。「500mlですか。。。悪いねえ、処理料高くなっちゃうけどいいかな?」。。高いって10万とかか。。。「8000円+消費税ですね、お宅まで取りに伺いますよ。」8000円。高くない、全然高くない。500円で買ったものを処理するのに8000円、高くない。この一体の生物全滅に比べたらただみたいなもんだろ。むしろ8万でも喜んで払う。この時ほど8000円が安く感じたことはない。人生で最も8000円の価値が下がった日。

出来るだけ早く取りに来てもらうことになったがそれでも数日後だった。取りに来てもらうまで、地震が来たら、泥棒でも入って瓶を割ったらと妄想がとまらない。硫酸瓶と暮らしている、そこにそれがあるというだけで怖くて数日でストレスで胃をやられ食欲もなくなった。そしてとうとう家に来た集荷の人に薬品瓶を渡した時の安堵感と言ったらもう!「硫酸瓶廃棄記念日」として毎年祝いたいくらいだった。祝ってないけど。

その後処理会社の方からは逐一処理状況の報告を受け、最終的に処分完了となったのは瓶を渡してから半年後。今でも硫酸を購入したお店の前を通る度にあの頃を思い出す。ほぼ毎日通るんだけどね。

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