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腹腔鏡手術で子宮筋腫を取った記録

1年ちょっと前、健康診断のついでに受けた子宮頸がんの検診で、子宮筋腫があると言われた。
症状がなかったので数ヶ月は経過観察をしていたが、筋腫は生理のたびに大きくなり、一番大きいものが8cm近くになったので、やはり取ることにした。(あまり大きくなると、開腹手術になるから)

5泊6日の入院で腹腔鏡手術を受けた。
誰かの、あるいは再発した時の自分のためになればと思い、簡単に記録しておく。

腹腔鏡手術とは、お腹をガスで膨らませ、臍からカメラを入れ、腹を数箇所切って筋腫を取り出す手術である。
大きな筋腫は、専用の器具を使って腹の中で砕かれ、小さくして取り出される。

手術の半年前から、レルミナというピルみたいな薬で生理を止め、筋腫を小さくしていったので、手術時の私の筋腫は最大で5cmほどになっていた。

お腹の傷は左右に3箇所。
1cm程度のが2つと、3cm程度のが1つ。
この3箇所の傷でこの痛みなら、帝王切開ってどんだけ?と思い、元々なかった出産意欲がさらに消えてしまった。

〔初日・手術前日〕
午前は在宅勤務をし、14時にすっぴんで病院へ。
4人部屋の病室に通される。
外は寒いのに、病室は恐ろしく暑い。25度はあるのではないかと思われた。ヒートテックを5枚も持ってきたことを後悔。指定されたベッドは窓際で、頼りないブラインドと薄いカーテンを日差しが透過しまくっていた。暑さと紫外線ストレスに耐えられそうにない。
壁際が空いたらベッドを移動したいと看護師に伝えたところ、明日には移動できるかもと言われた。

夜、パジャマをレンタルしてシャワーを浴びた。
ナースステーションへドライヤーを借りに行く時、新生児ルームが隣にあったので覗いた。新生児の姿が、みんなそっくりで驚く。皮膚が薄くて、赤ちゃん猿みたいで可愛い。

炊き込みご飯と魚料理の、薄味の食事を済ませて22時消灯。
寝れなくて読書灯をつけながらYouTubeを見ていた。
衣食住が全て与えられる世界線では、かくも膨大な時間があることを知る。

夜中、リンゴジュース、スポドリ的な四角いジュース、500mlのOS-1を朝までに少しずつ飲むように言われる。
寝る前に半分ほど飲むと、案の定トイレで目がさめる。
マットレスが硬く、枕もビーズで高すぎて、あまり眠れなかった。


〔2日目・手術の日〕

夜と同じドリンク3点セットが朝8時に運ばれてきて、2時間以内に飲み切るよう言われる。けっこうしんどい。でもこれ以降は絶飲絶食だからと無理やり飲み切った。
午前中は書き物をして過ごしていたら、12時半に手術着に着替えるよう指示。血栓予防用の靴下と手術着を着用し、13時に手術室へ徒歩で移動。
「手術室」とデカデカ書かれたドラマのセットみたいな空間に緊張するが、すぐに全身麻酔をかけられたので恐怖はなかった。麻酔が効く直前、刺された点滴の針が痛くてびびった。採血の針とは全然違う。

目が覚めると、医者に「手術が終わったので、お母さんに報告の電話を入れときますね」と言われた。
取り出した筋腫も見せられたが、まだ麻酔が半分残っていたのと、裸眼だったのもあってあまり記憶がない。250g、と言っていた気がする。
ジップロックのような袋に入れられた、血の混じった白子みたいなグロい塊だった。

病室に戻り、時間がわからず看護師に聞くと18時だった。手術は3時間半近くかかったらしい。
麻酔が切れて、痛みと吐き気に襲われ看護師に伝えると、痛み止めと吐き気止めを入れられ、それでも治らないので坐薬を追加された。
両足には血栓予防のマッサージャー、左腕には点滴、右腕には心拍数をチェックするための機器、股には尿管で全く身動きが取れなかったが、薬の副作用でよく眠れた。
夜中12時、「今から水が飲める」と看護師に言われたので、私の財布から100円取り出してもらい、自販機で買ってきていただいた。
電動ベッドで半分起き上がり3口飲むと、直後、ひどい吐き気に襲われた。
それでもなんとか眠った。
病室が暑くて、布団を剥がすこともできなくて、汗をかいた。


〔3日目〕
目が覚めてからずっとお腹が痛い。傷の痛みと、おそらく空腹による吐き気もある。
昼、36時間ぶりに食事が出てきた。
味のない白いスープみたいなサラサラのお粥、リンゴジュース、コーンスープ、小さいゼリー。
お粥の味がなさすぎてつらかったが、無理やり食べた。
少しの塩か出汁くらい入れてくれ。
空腹が解消されたからか、吐き気は治った。

昼頃、歩けと言われる。スパルタすぎて引く。
これは皮膚の癒着防止のためで、帝王切開なんかでも同じらしい。
起き上がるだけで痛いので坐薬を追加してもらい、どうにかトイレまで10歩くらい歩いた。
この調子でいけば一人でトイレに行けそうだったので、尿管を外してもらい少し自由になる。
汗をかいたのに、明日までシャワーを浴びれないのが辛い。
おしぼりで体は拭けたが、とにかく髪を洗いたかった。

夜も流動食。お粥が白いスープから、ちょっとだけ米の形が残るものになり、おかずも少量付いてきた。
塩気のあるものをたまらなく美味しく感じた。

夜に点滴が終わる。やっと体から全ての管が外された。
手術でお腹に入れられたガスがオナラとして出てくるが、相部屋なので、堂々と放屁するわけにはいかない。
笑い話のようだが、これを我慢するのは地味にきつい。


〔4日目〕
朝、2.5日ぶりにシャワーを浴びれて歓喜。やっと人間的な生活に戻った気がした。
臍と3箇所の腹の傷にキズパワーパッドみたいなものが貼られていたが、シャワーで一つ剥がれた。傷が痛々しい。

相変わらず腹は痛いが、病室の外の空気が吸いたくて午後はゆっくり歩きながら院内のローソンに行ってみる。アイスコーヒーを買って飲むと少し元気になった。お菓子も買った。
昼も夜もお粥で、いい加減飽きた。

昼間、短い小説を書いた。
夜は令和ロマンのライブの当選通知を見て歓喜。
頑張って生きてたら、良いこともあるものだ。


〔5日目〕
寝返りを打てないのがつらく、あまり眠れなかった。
枕が合わないせいで、起きるとひどい肩こり、首の痛み、腰痛に襲われる。
すこぶる体調が悪い。

朝8時に朝食が運ばれてきて叩き起こされ、11時50分に昼食が運ばれてくる。間隔が短すぎて腹が減らない。
お粥はご飯に戻ったが、薄い味付けにもプラスチックの食器にも何もかもうんざりして、白米は残し、おかずは頑張って食べた。

昼過ぎ、我慢できずロキソニンを飲む。
腹の傷の痛みのための処方されたロキソニンを、肩と首の痛みのために使うなんて。
病室にいると気が滅入りそうになり、自販機のある公共スペースで少し過ごしてみる。窓の外の風景を見るだけで少し気分転換になった。
でも、窓は開かない。外の空気が吸いたくてたまらない。
自宅のフカフカのマットレスと枕が恋しい。

またローソンへ行ってアイスコーヒーと、チョコの入ったクレープも買った。
オシャレなスイーツからしか摂取できない栄養分があると知る。
ロキソニンのおかげでだいぶ体調が良くなった。

同じ部屋にいた患者がものすごく具合が悪そうで、夜は個室へ移動していったので珍しく一人だった。ラッキー。
消灯時間が過ぎても、ずっと電気を付けて読書をしたり音楽を聴いたり、夜更かしをした。


〔6日目〕
採血で叩き起こされる。
最後の朝食を済ませ、最後の診察を済ませ、荷物をまとめて晴れて退院。
タクシーで帰るつもりだったが、病院に待機する車両は今日は来ないと門番的なおじさんに言われ(多分、休日だったから。休日はオペがないから、患者が少ないらしい)、迎車代を払うのも癪だったし、普通に歩けるようになっていたのでバスで帰った。

6日ぶりの帰宅。叫びたくなるほど嬉しかった。
やわらかいマットレスと枕、好きなものを好きな時間に食べられる自由と、もう薬を飲まなくていいこと。

母が来て、1時間くらいでおかずを4品も作り、冷蔵庫に置いて帰って行った。魔法かと思った。私が同じものを作ったら3時間かかる。

正直、一人で買い物に行けるくらいには回復していたが、久々にシャバに出た日の話し相手として、母の存在はありがたかった。

以上。

子宮筋腫の再発率は、100%らしい。
また同じような手術をしなきゃいけなくなったら、その時は子宮ごと取る選択肢を真剣に検討しようと33歳現在の私は思っている。

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