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もう少し宗教が日本人にとって身近だったら…

ヨルダンでの暮らしは、
「アザーンがどこからか聞こえるたび」
「ヒジャブをつけた女性を見かけるたび」
「毎朝肌が露出しないような服装を選ぶたび」
「人々が同性で固まって歩いているのを見かけるたび」
に、ここがイスラム教の国であることを実感する。

この国では、常に宗教が身近に存在している。

そのため、ヨルダン人や、ヨルダンに住む外国人との会話の中で、宗教が話題に上がることが多い。

その時、日本人の宗教観について、どう説明したら良いのか迷いながら話す。

「日本人の宗教は、神道と仏教が多いねん〜。
神社にも行くし、お寺にも行くけど、宗教を信仰しているか?って聞かれたら、信仰していないっていう日本人が多いねんな〜。」

それを聞いている相手は、不思議そうな顔をしているし、日本のカルチャーに理解のある外国人は、「そうそう」「たしかに」と話を聞いてくれる。

一方で、日本人同士の会話で、宗教が話題になることってあまりないのかなと思う。
宗教を「なんとなく危ないもの」「近づかない方がいいもの」と捉える考え方も珍しくない。

でも世界は、日本人が思っているよりも、人々にとって宗教はとっても身近なものである。

例えば、イスラム教。

ヨルダンでは、幼稚園の時から「宗教」と書かれた教科書が配られ、毎朝の朝礼では、子どもたちはコーランに書かれている内容を唱えている。
次第に、たった4、5歳の子どもでも、コーランの主要な章はスラスラと暗唱できるようになっている。
幼稚園で、暗唱のテストも行われていた。

そして、キリスト教。

今年のクリスマスは、キリスト教徒である大家さんと一緒に、教会のミサに参加した。
ミサは2時間近くに渡り、教会に集まった人は聖書を唱えたり、パイプオルガンに合わせて歌を歌ったり、牧師さんから白くて丸い煎餅のようなものを口に入れてもらっていたり…
(その白い煎餅の様なものは、「ホスティア」というパンで、キリストのからだを表しているらしい。)

その様子をずっと見ている間、いかに彼らにとって信仰が大切であり、神様の存在が身近であるのかということを、不思議な気持ちになりながらぼーっと考えていた。

では、無宗教であると感じがちな日本人にとって、神様はどういった存在であるのか。

「そんなことしたらバチ当たんで」
「最近ついてへんのは、厄年やからかなぁ」

日本は元来、自然災害が多い国だから、自然崇拝などというように、山でも川でも海でも、自然界のものに神様が宿ると言われていて(アミニズム/多神教)、
神様という存在は、「自分を守ってくれるもの」というよりかは、「自分にとって恐れるべき大きな力を持ったもの」という意識の方が強いように感じる

世の中がコロナ禍となり、苦しい思いをしている人たちも多い中、人が困った時や辛い時に、神様の存在は救いになったりするのかな、と思う。

その点で考えた時に、日本人にとっての宗教、ひいては神様の存在がもっと個人に寄り添い、個人を救ってくれるような存在であれば、先進国の中でも自殺率が高い日本において、救われる人がもう少し増えるのかな、と考えた。





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