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アラブのお得意さん文化を通じて、考えたこと

「お得意さん文化」という言葉は、大阪で育ってきた私にとっては、あまり馴染みのない言葉だった。

ヨルダンに来てからは、お得意さん文化を感じることが日常的にあった。

よく行く近所のスーパーでは、買い物の合計金額の端数はいつも切り捨てて、少し安くしてくれた。

近所のカフェでは、ふらっと立ち寄った時に、店のオーナーがお茶を入れてくれた。

ヨルダンでは地方都市に住んでいたので、常連になることでさまざまな恩恵を受けていた日々だった。

ただ、このお得意さん文化は時にデメリットに働いた。


例えば、難民キャンプの中にあるサンドイッチ屋さんでの出来事。

ヨルダンでは朝ごはんの時間は遅く、午前10時ごろ。

難民キャンプの幼稚園で勤務中の時間帯に、幼稚園から徒歩1分のところにあるそのお店に、よく朝ごはんとしてファラフェルサンドイッチを買いに行っていた。

私はいつも、同僚の先生に「あなたもサンドイッチいる?」と聞いて回って、複数個のサンドイッチを、毎日同じお店で買っていた。

ある日、ある同僚の先生が「ここのお店じゃなくて、もう少し先のお店のサンドイッチが食べたい」と言ったことをきっかけに、それからは別のお店でサンドイッチを買うようになった。

その別のお店は、これまで通っていたお店と同じ通りにあった。

しばらく経って、別のお店で買ったサンドイッチの袋を提げて幼稚園に向かって歩いていると、以前お世話になっていたお店のおじちゃんが店頭に出てきて、「なんでそっちのお店で買うんだよ〜」と言ってきた。

なんて答えたらいいか分からず、愛想笑いしかできなかった私。

気まずい気持ちと、少しの申し訳ない気持ち。

それからは、以前通っていたお店の前を避けるように、遠回りをしてサンドイッチを買いに行くようになった。


以前通っていたお店のおじちゃんに対して、申し訳ない気持ちもある反面、「どこのお店で買おうが私の自由でしょ?!」という気持ちも正直あった。

おじちゃんがあんなことを言うから、コソコソと別のお店に買いに行かないといけなくなったし、なんだか悪いことをしているような罪悪感さえ覚える。


このモヤモヤを同じくヨルダンに住む隊員に聞いてもらったとき、お得意さん文化があるからこそ、いい思いをさせてもらっていたことに気付かされた。

確かに、以前通っていたお店では、「辛いソースあり」「酸っぱいソース抜き」「ポテト追加」「サラダ抜き」など、複数個注文するサンドイッチの細かいオーダーを、文句一つ言わず、聞き入れてくれていた。

さらに、同じ紙で巻かれたサンドイッチの中身が、どれがどれなのかを私が見分け易くするために、紙に注文者(同僚の先生)の名前を一つずつ書いてくれていた。

そういうサービスは、お得意さんだったから聞き入れてくれていたのかもしれない。


その隊員と話をする中で、日本でも、お得意さん文化が根強く残っているところがあると言う。


お得意さん文化を通していい思いをさせてもらうこともある中で、デメリットに働く体験を通して、この文化について考えさせられた。

「どこで購入しようが私の自由だ」という私の考え方は、別に間違ってはいないと感じる一方、お得意さん文化の中では、少し傲慢な考え方だったかも。

売り手と買い手との間に血の通ったやりとりが生まれるからこそ、お得意さん文化は成り立っているのかもしれない。



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