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大航海時代の残影、ポルトガルを初訪問華麗な装飾の修道院や独自の文化的建造物の数々

 ポルトガルへの旅は、私にとって56ヵ国目とはいえ、いつか訪ねるであろうと確信していた。幼い頃学んだ鉄砲やキリスト教伝来の歴史の記憶や、7年前に隣国のスペインを旅していて「次は」との思いもあった。15~17世紀、未知の世界に勇躍し一大海洋国家を築いた大航海時代の輝かしい歴史の残影と、華麗な装飾の修道院が点在し、独自の文化的建造物や景観は、大いに好奇心を満たしてくれた。加えてキリスト教の三大聖地とされるスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」に足を延ばせたことも有意義であった。断片的ではあるがポルトガル紀行と、知人でありポルトガルとの国際交流を続けるオペラ代表の活動も交え報告する。


ユーラシア大陸の最西端、「地終わる」ロカ岬

 初めてのポルトガル渡航は2015年12月、アラブ首長国連邦のエミレーツ航空でドバイ経由リスボンのポルテラ空港着だった。関西空港を発って、乗り継ぎ時間を含め約20時間30分。ほぼ1日がかりの長い飛行時間となった。
 

雄大な大西洋を望むロカ岬
「ここに地終わり、海始まる」との文字が記されている石碑

 「ここに地終わり、海始まる」とはポルトガルの国民的詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩の一節だ。リスボンから西方約30キロにユーラシア大陸の最西端ロカ岬がある。雄大な大西洋が広がり、白い波頭が岩に砕けている。カモンエスが詠んだ詩の一節が彫られた石碑が建つ。その上に十字架が空に突っ立っている。背後に大国スペインが君臨する、最果てのこの国にとっての活路は海に求めるしかなかった、のかもしれない。
 

リスボンの丘に聳える巨大なキリスト像「クリスト・レイ」
高さ110メートルの巨大なキリスト像「クリスト・レイ」 
「クリスト・レイ」から見下ろした「4月25日橋」

 首都リスボンに面したテージョ川には全長17.2キロの欧州一のヴァスコ・ダ・ガマ橋が架かる。もう一つの「4月25日橋」は、「リスボンの春」と称せられる革命を記念して改名された2277メートルの吊り橋だ。この橋を渡った南岸に高さ110メートルの巨大なキリスト像が両手を広げて立つ「クリスト・レイ」がある。エレベータで足元まで上れば、旧市街など一望できる。ちなみにブラジルのリオ・デ・ジャネイロの像に模して造られ、海の彼方をはさみ向かい合っていると言う。
 

「テージョ川の貴婦人」と称賛される「ベレンの塔」

 テージョ川のほとりに世界遺産の「ベレンの塔」が建つ。四角い石塔に優雅なテラスが付けられ、司馬遼太郎によって「テージョ川の貴婦人」と称賛された。船の出入りを監視し、河口を守る要塞だ。6層からなり、国王の間や礼拝室、マリア像などがあり、砲台が備えられている。なんと地下は水牢になっていて、政治犯を投獄し虐げた所とされる。
 

海外進出に関わった航海者らの像が刻まれた「発見のモニュメント」
「発見のモニュメント(部分)

 「ベレンの塔」のほど近くに「発見のモニュメント」がある。エンリケ航海王子500回忌を記念し、帆船をモチーフに建てられた。船上には王子を先頭に、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマや初めて世界一周を達成しフェルナン・デ・マカリャインス(マゼラン)ら海外進出にかかわった航海者らの像が大西洋を望んで刻まれている。日本で布教活動をしたイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルも伍している。
 

円錐形が特徴的な「シントラの王宮」
王家の紋章があしらわれた「紋章の間」

リスボンの中心地から約28キロの深い緑に包まれた山中にシントラの街がある。大航海によってもたらされた交易の富で繁栄を遂げた様子を如実に伝えるのがシントラ王宮だ。歴代の王家に避暑地として愛され、王宮をはじめ貴族の館、ブルジョアーの別宅などが点在し、1995年に「シントラの文化的景観」として、世界遺産に登録されている。
 その中心の王宮は高さ33メートルの厨房の煙突が突き出た円錐形が特徴的な建物で、王家の夏の離宮だった。14世紀、エンリケ王子の父親のジョアン1世が築いた後も増改築が繰り返された。天井に27羽の白鳥が描かれた「白鳥の間」があり、後述の天正遣欧少年使節団ももてなしを受けた。ドーム天井一面に王家の紋章があしらわれた「紋章の間」、絵タイルで覆われた「アラブの間」など、大航海時代の栄耀栄華が偲ばれる。
 

 リスボンは七つの丘からなり、坂道と石畳が続く美しい港町だ。地下鉄やバスと並んで市街にケーブルカーも走る。連泊したホテルは中心街にあり、ロシオ広場にも歩いて行けた。レストランの名物はイワシの塩焼きで、塩加減が良く、美味しい。大阪万博で有名になったファドは、ポルトガルギターの音色を伴奏に人生の機微を哀愁たっぷりに歌い上げる大衆歌謡だ。そんなファドをワイン片手に聴き入るのも格別だ。 

世界遺産の3修道院とスペインの巡礼の地


 ローマ・カトリックが国民の97%を占めるポルトガルだけあって、大規模な宗教施設が各地にある。日本の国土の4分の1ながら17の世界遺産を有し、そのうち修道院が4つも占める。今回の旅では3つの修道院のほか、マリア出現の地として世界的に有名な巡礼地となった「ファティマ」と、スペインある「サンティアゴ・デ・コンポステラ」を訪れた。
 

壮麗な「ジェロニモス修道院」の南門 
広い聖堂内の祭壇と礼拝席

 まずリスボンの「ジェロニモス修道院」は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、新天地への航海の安全を祈願して、マヌエル1世によって1502年に着工した。50年後に聖堂や回廊が完成するが、工事完了まで100年の歳月を要した。
 幅400メートルもあり、壮麗な修道院の南門にはエンリケ王子や聖職者の像が浮き彫りで飾られている。中に入ると西側にはサンタマリア教会、ヴァスコ・ダ・ガマやその偉業を叙事詩に謳いあげたカモンイスの石棺がある。中庭を囲む55メートル四方の2階建ての回廊にも繊細な彫刻が施され、優美な柱など贅を尽くしたものだ。まさに大航海時代の栄華の残り香といえよう。
 

 「バターリャ修道院」の正式名は「勝利の聖母マリア修道院

 リスボンから北へ約120キロにある「バターリャ修道院」の正式名は、「勝利の聖母マリア修道院」という。その由来は、アルジュバロータの戦で侵入してきたスペイン軍2万以上の大軍を1万足らずの兵で奇跡的な勝利をもたらしてくれた聖母マリアへの感謝の為に建設が始められた。バターリャには戦闘という意味があるそうだ。修道院前の広場にはジョアン1世の騎馬像がある。
 

「バターリャ修道院」前の広場にあるジョアン1世の騎馬像
天井の無い「未完の礼拝堂」

 修道院入り口の天蓋の下には、旧約聖書に出てくる王・天使・預言者・聖者78体もの聖像が飾られている。1388年から1517年もの期間をかけて建築が進められ、身廊・創設者の礼拝堂・王の回廊などで構成されているが、完成には至っていない「未完の礼拝堂」と呼ばれる天井の無い礼拝堂もある。
 

歴史的建造物の多いトマールの街角で
大規模な「トマール修道院」の建物の一部
集会室の窓を飾る見事な石彫

 リスボン北東約120キロの「トマール修道院」は、レコンキスタ(イスラム教徒からの国土回復戦争)で貢献した騎士団に国王が土地を与えたのが街の始まり。壮大な建物は西の丘上に建てられ、テンプル騎士団の城と、騎士団が創建した修道院がある。
 マヌエル1世により再建されたポルトガル特有のマヌエル様式の傑作である。とりわけ集会室の窓を飾る見事な石彫は、マヌエル1世のイニシャルの『M』がデザインされ、その上にはキリスト騎士団の紋章(十字架)を載せている。大航海時代を支える存在でもあった。当時の装束を身に纏った騎士らが観光案内をしていた。
 これら3つのキリスト教修道院は、いずれも1983年に世界遺産に登録されている。

サンティアゴへの道と、ファティマに巡礼者


65メートルのバジリカの塔のある30万人以上を収容の「ファティマ」の大広場

 「ファティマ」は第一次世界大戦中の1917年5月13日、3人の子どもの前に聖母マリアが出現したとする奇跡が起こり、世界から注目された。それから100年後、オリーブの木が点在しているだけの荒地の小さな町が聖地となり、現在は荘厳な教会や65メートルのバジリカの塔などが建ち、30万人以上を収容できる大広場も設けられている。
 1981年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世がバチカンで襲われた日も5月13日だったが、奇跡的な回復で翌年にお礼参りをしている。毎月13日には奉献がなされ、5月と10月の13日の大祭には、世界各地から10万人もの巡礼者が訪れるそうだ。
 「ファティマ」は20世紀に開かれたが、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」は1000年を超す巡礼地だ。キリストの12使徒の一人、聖ヤコブの亡骸が眠る地だ。伝説によれば、聖ヤコブは紀元44年頃、エルサレムにて殉教したが、その遺骸は風まかせの航海の末、スペインのガリシア地方に流れ着き、9世紀のはじめに、その墓が発見され、ローマ、エルサレムと並ぶ三大聖地となった。
 

旧市街が世界遺産の「サンティアゴ・デ・コンポステラ」
聖堂内の聖ヤコブの像

 発見当初はガリシア地方に限定されていたサンティアゴ巡礼は次第にピレネー山脈以北に広がり、主にフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指すようになる。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、12世紀に入ると最盛期に年間50万人を数えた。現在も30万人を超す巡礼者が訪れている。
 

「歓喜の丘」に建つ巡礼者の像の前で

 仏教の布教した日本でも四国88ヵ所や西国33ヵ所の巡礼の旅も盛んだが、サンティアゴ巡礼の広がりは、中世ヨーロッパの盛んだった聖遺物崇拝と修道会の繁栄によるところが大きい。終着地の「サンティアゴ・デ・コンポステラ」にはロマネスク様式の大聖堂があり、聖堂正面に「栄光の門」、スペインバロック様式の主祭壇、聖ヤコブの墓が納められている。大聖堂を含む旧市街は1985年に世界遺産となった。 

ポルト、コインブラ…魅力の街々 

ドウロ川に架かるドン・ルイス1世橋とポルト市街
美しい装飾のポルト駅

 サンティアゴに近いポルトはポルトガル発祥の地であり、リスボンに次ぐ港湾都市だ。大航海時代は海外進出の拠点となり、またポートワインの輸出でも栄え、ポルトガルの経済の中心地でもあった。ドウロ川に架かる道路・鉄道併用橋のドン・ルイス1世橋と市街の光景は絵のように美しい。また橋の上から眺める夜景もすばらしい。
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宮殿だった世界遺産の「コインブラ大学」構内

 2013年に世界遺産に登録された「コインブラ大学」は、ポルトガルの初代国王とその後継者たちが、コインブラを首都とした際に生活した宮殿だった。ここに創設された大学が400年間にわたって、ポルトガルの文教・芸術の中心地でもあった。中世の建物に囲まれた大学の図書館には蔵書が約3万冊あり、蝙蝠に本の虫を食べてもらうが巣を造られないよう金網が張ってある。図書館の横に礼拝堂があり、卒業生の挙式に使われている。
 

2キロにおよぶ美しい海岸線のあるナザレ

 コインブラから南下すると、大西洋に面してナザレに着く。その名は、8世紀に西ゴート王のロドリゴが携えていたマリア像が、はるかイスラエルのナザレのものだったことに由来する。2キロにおよぶ美しい海岸線があり、夏はポルトガル内外のバカンス客でにぎわう。
 

城壁に囲まれた美しい村オビドス

 さらにオビドスは、ローマ時代、海賊から村を守るたが築かれ、現在も城壁に囲まれた美しい村だ。レコンキスタ後、村は再建され、一度訪れたイサベル王妃は魅了され、以後オビドスは王妃の直轄地となったという。門をくぐると石畳の小道が続き軒並み土産物屋が並ぶ。小道を登りつめると昔の城があり、中世の面影を今に残す。
 初めてのポルトガルの旅は、駆け足だったとはいえ、想像していたより魅力的な街並みや文化遺産に富んでいた。そして何より大航海がもたらせた繁栄はすっかり衰退してしまったとはいえ、開拓者を偲ぶ文化財は守られ、その精神がまだいたるところに息づいていた。
 信長の時代、天正遣欧少年使節が1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として4人の少年がヨーロッパに派遣された。リスボンに到着、滞在し、その後スペインとイタリアを回り、ローマ教皇に謁見するなどしてリスボンから帰国する。使節団が活版印刷機や楽器、海図などを持ち帰り、大いに役立った。
 この使節団を題材にした小説や漫画も発表されているが、東京オペラ協会のエドワード石多さんが台本を書き、オペラ「忘れられた少年」を仕上げ、国内で100回以上、ポルトガルとイタリア、スペインの各地でも30回の公演を行った。そうした縁で、2014年と15年にも歌劇「天空の町―別子銅山と伊庭貞剛」のポルトガル公演を開催するなど国際交流を続けている。
 

ポルトガル各地で開催されたオペラ「天正遣欧少年使 忘れられた少年」のパンフレット

 かつてポルトガルは日本社会や文化に大きな影響をもたらせた。種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人だし、日本に派遣されたイエズス会の宣教師もポルトガル人である。カッパやカルタ、カステラや金平糖など日本語になったポルトガル語も数多くある。
 ポルトガルの歴史は、古代にはローマ帝国、中世にもゴート人やイスラム勢力の支配を受けた。12世紀にポルトガル王国が成立し、13世紀にほぼ現在の領域が確定した。大航海時代には、海外へと進出。南米ブラジルのほかアフリカやアジア各地で植民地を獲得して隆盛を極めた時期もある。
 その後、スペイン王の支配下に置かれたり、ナポレオン戦争でポルトガル王室はブラジルに遷都する事態にも追い込まれている。近代には内戦や独裁政権なども続く。しかし1974年4月25日、無血クーデター(リスボンの春)による民主化が実現した。これを契機にしてアフリカ各地の植民地が独立するなど、激動と浮沈の歴史を歩んだ。
 近年、ユーロ圏の中でも、ギリシャの次に経済危機の情報も流れた。しかし国際支援の下で財政再建を行い、危機的な状況を脱したる。ポルトガルは過去幾度となく存亡を繰り返す困難にあえぎながらも、その都度克服してきた。現在は欧州統合への積極的参加を外交基本方針とし、外国投資の呼び込み、観光振興、人的資源の質の向上に努める。日本とも古くから絆のあるポルトガルの真の再生に期待したい。

 

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