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刑法における共犯論〜間接正犯の故意で、教唆・幇助の結果が生じた場合の考え方。

「絶望の章」と呼ばれる共犯論の中でも特に頭がこんがらがってしまう「共犯の諸問題」。
今回は、「間接正犯の故意で、教唆・幇助の結果が生じてしまった場合」の問題点について見ていきたいと思います。

具体例を挙げると、

医師が看護師に、栄養剤だと説明して毒入りの注射器を手渡し、その注射を患者にうつように指示したが、看護師はこの注射器内には毒が入っていると気づいた。しかし、ちょうど看護師もその患者に恨みがあったので、殺意をもって患者に注射をうち、患者が死亡したような場合、医師はどのような罪責になるか?

といったケースです。

このようなケースはどのテキストにも載っていると思います。
様々な学説があるかと思うのですが、テキストでよく見られる書かれ方として、以下のような言い回しがあると思います。

例えば、

「間接正犯及び教唆犯はいずれも構成要件該当事実惹起の行為類型であることから、実質的に軽い惹起類型の限度で構成要件的符号が認められる」
(「逐条テキスト刑法 2023年版」p.115)

とか、

「間接正犯と教唆犯は、いずれも他人を通じて法益侵害・危険を惹起する点で共通しているので、軽い教唆犯の限度で重なり合いが認められる」
(「C Book 刑法Ⅰ」p.278)

もしくは端的に、

「利用者の間接正犯の意思は、実質上教唆犯の故意を内包すると解しうるので…」
(「択一六法 刑法 2023年版」p.189)

このような説明を読んだことがあるかもしれません。

「実質上」というワードが出てきたり、「重なり合いが認められる」というような言い回しがなされることがあります。

では一体、何と何が「実質上」「重なり合いが認められる」のでしょうか?
ここを考えてみたいと思います。

まず構成要件の客観面について見てみると、これは全く重ならないと考えられます。
なぜなら、「実行行為を行う正犯」という概念と、「実行行為以外を行う狭義の共犯」という概念では、重なるわけがないと考えるのが筋だからです。

そこで、構成要件の主観面、すなわち「故意」を問題とします。

故意という点で考えるならば、間接正犯の故意と狭義の共犯の故意、上記の例では教唆犯の故意では、「責任非難の程度」において、前者の故意の中には後者の故意が含まれると解することができると思います。

以上のように考えると、間接正犯の故意と狭義の共犯の故意(ここでは教唆犯の故意)とでは、教唆犯の故意(=責任非難の程度)の限度において「実質上」「重なり合いが認められる」といえると思います。

ということで、本事例の医師には、殺人罪の教唆犯が成立すると解することになります。

キーワードやおなじみの言い回しを覚える前提として、それが何を意味しており、どういった論理により導き出されているかということを考えてみることが、学習をする上で重要なことだと思います。

それでは今回はこの辺で!


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