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虚偽の知識を盲信する恐怖。

ツイッターを見ていると、法律的な問題が関係する議論を展開している方々が多くおられることがわかります。

しかし、中には、完全に間違っている虚偽の知識に基づいて話を進めていく方も多く見られます。

難しい論点や難解な専門知識に関する箇所を誤解している…ということなら、その誤解は十分にありうることなので理解できるのですが、中には、正しい(単純な)知識とまさに真逆のことを述べている方もおられます。

そしてその真逆の虚偽知識に基づいて、どんどん間違った推測を重ね、正確な知識の位置から遥か遠くに行ってしまっている方も見かけます。

最近見た中では、下の画像の方が特別に凄かったです。

皆さんご承知の通り、日本国憲法上、皇室典範は法律です。
そして法律であるということは、その改正においても、他の法律と同様の手続きで足りるわけです。

上の方は、

×①皇室典範は「憲法」

×②(その改正について、)国会決議だけで決められるかどうかは解釈による

×③皇室典範は憲法である以上、(その改正には)国民投票が必要な可能性がある

という流れをたどっています。

「皇室典範は法律である」という単純な知識さえ正確に知っていれば、②や③のような誤った推測を重ねる必要もなかったはずです。

そして中でも気になるのが、②において「国会だけで決められるかどうかも解釈によります」という虚偽の事実を述べている点です。

これを読んだとき、なんというか、ゾッとしました。

「解釈による」と述べていますが、その前提事実が虚偽なので、「解釈による」などという事態は当然この世には存在していない虚偽の事実です。

虚偽の知識に基づいて自分が勝手に生み出した「解釈による」などというこの世には存在していない虚偽の事実を真正の事実だと盲信して他者に意見している…

「解釈によります」

世の中に生起する様々な社会問題に繋がる病理を感じてしまいました。


何ともいえない恐怖感でした。




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