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殺人行為は禁止されていないのか?

「刑法の条文は『~してはならない』とは規定されていない。故に、例えば殺人も禁止されてはいない。ただそれを行えば刑罰を受けるだけのことだ」

このような発言をよく見かけます。

確かに刑罰法規は、勿論、裁判規範として理解されるものではありますが、その前提として、行為規範性が認められるものだと解されています。

裁判規範とは、例えば199条の殺人罪ならば、裁判官は、「人を殺した者」については、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」という範囲内で刑を科すべき判断をしなければいけない、という裁判における判断の準則をいいます。

刑罰法規はこの意味の規範であることは間違いありません。

では、この刑罰法規が国民に対する行為の準則ではないとなると、どういうことになってしまうでしょうか。

ビンディングのように、規範と刑罰法規とを峻別し、

「何々した者は何々の刑に処するという形式で示される刑罰法規は、国民に向けられた行為規範ではない。国民に向けられた規範は刑罰法規の前提となるものであるが、刑罰法規そのものではない」
(「刑法綱要総論」団藤重光 p.24~)

「規範とは行為能力のある人に向けられる行為の禁止または命令であり、それが法規によって構成されていないときは、刑罰法規に示される構成要件から何が規範であるかを考え出すほかない。」
(「刑法綱要総論」団藤重光 p.25)

このように考えるならば、「罪刑法定主義の否認」が導かれてしまうことになります。

つまり、刑罰法規が、国民に対して「何をしてはならず、また、何をしなければならないのか」という行為規範を示していないとするならば、国民に対する自由保証機能をその重要な内容とする罪刑法定主義が否定されてしまうことになってしまいます。

憲法31条に、罪刑法定主義を内容とする適正手続の保障が明記されていることに鑑みると、上記のような解釈は採用できないと解すべきです。

「殺人をしてはならないと規定されていないから、殺人は禁止されていない行為なんだ。ただ刑罰を受けるだけのことだ」

そうだとすると、単純に考えてみても、「禁止されていない行為を行った者」に対して、国家権力が必死で捜査し、検挙し、身柄を拘束して、裁判にかけ、刑に処するということになるなど、不条理の極みのようなものになってしまいます。

「刑法の条文は『~してはならない』とは規定されていない。故に、例えば殺人も禁止されてはいない。ただそれを行えば刑罰を受けるだけのことだ」

このように考える方も多く見られますが、一度しっかりと検討された方が良いかもしれません。



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