「あー、オモロかった」と言って死んでいきたい
自分でお店をやりたい
そう言うと、いろんな人が、いろんな言葉で、
それぞれの気持ちを伝えてきてくれた
エールや励まし、根拠のない太鼓判
うれしくなって、すぐに飛びつきたくなるような甘言の数々
口にしづらい現実の厳しさや、遠回しな注意喚起
耳が痛くもあるけど、思いやりと一理ある諌言の数々
今となれば、あの人の言う通りだったなってこともあれば
あの人たちの言ってたことは何だったんだということもある
あまりに、わたしが楽観的すぎて、
言葉をなくしていた人もいたんじゃないかと今になって思い当たったりもする
受取った言葉たちの行方
星の世界からのメッセージもそうだけど、
自分がそのアクセルを踏みたいとうずうずしている時と、
なんとなくブレーキを踏みたいような気分の時、
同じ言葉なのに、そのメッセージが違う色を灯していたり、違う音で響いてきたりする
いろんな言葉が外側から入ってきて、
その時々に、いちいち感情を揺さぶられたり、思い惑うことにすこし疲れてしまっていたんだろうな
だから、内側に問いかけることに集中し始めた
わたしはほんとはどうしたい?
何を一番大事にしたい?
それは面白いのか?うれしいのか?そこに喜びがひそんでいるか?
自分で選んだ結果は必ず自分に返ってくる
そう思ったら、がんばるのも、手を抜くのも自分の勝手だし、
応援してくれる人を喜ばせたい
心配してくれている人を悲しませたくない
そんな気持ちがちゃんとあったとしても、
その人たちを「自分が選ぶ理由」にすることには居心地の悪さを感じる
そうやって問いかけて、自分が選んできた結果が今なんだと思う
「自分のせい」だけを連れていく
「誰かのせい」の可能性を断って、「自分のせい」だけを連れていく
そう選んだ自分のことは気に入っている
まあ、「ちょっと助けてほしい」と声に出すことができるようになれれば、もっといいのだけど
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