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どうして読書をした方がいいのか、考察してみた。

 読書はした方がいい。頭のいい人は読書をする。ってよく言う。
 周辺知識が付くとか、詳しい人が書いているから質がいいって言うしその通りだと思うけど、それは世間の意見であって私の意見じゃない。

 だから自分なりに考えてみた。

「どうして読書をした方がいいのか」
●結論:自ら考えるきっかけに触れる機会が圧倒的に多いから。
●理由:能動的であり、余白があるから。

●説明
 
まず、能動的であることが一番の重要ポイントだと思う。
 知識を入れる為の動画もあるなと思ったのだけど、動画は極めて受動的。

 そして読書は自分のペースで進められるから、余白があることも極めて重要。
 何かを頭に入れるとき、その物事を自分の言葉に分解して飲み込むって工程がものを言う。
 「つまりはこうか」「要するにこうか」と、自分の言葉に分解して飲み込まないといけない。

 受動的だと、外的要因でも内的要因でもそれをできる要素が薄い。

 例えば動画だと、時間の流れに沿って、理解進捗度を考慮せずにどんどん流れていく。
 「あ、なるほどね~。つまりは、……あ! 違う話になった」ってなって自分の中で咀嚼して飲み込むって余白(時間)がない。

 スピードって点に関しては歩くか車か、というのと一緒で、進む速度が速いとその分集中力がいる。

 動画をただ見ているのは、車の助手席に座って景色を眺めている様なものだと思う。

 道を覚えるのは絶対に運転している人の方が早い。
 能動的にたくさんの神経を使って車を運転しているから。

 つまり動画で知識を見るとなると、いちいちボタンを押して手を止めないといけないし、彼らは次々に喋るから自分の中のセンサーが反応する前に次に気になる事に意識がいってしまう。
 そのひと工程は、意識というレベルで見れば大きなハンデ。

 それに比べると、本は咀嚼する時間がある。今の自分のペースで読めるし、「なるほどな~」と思ったら、必然的に意識が本からずれるわけだから、考える時間というのも充分とれる。

 「考える」って言うのは自分の中に根本になる価値観を構築する行為だと思っているから、自分の意識の底に触れる機会が多い読書はなんだか妙な中毒性がある。

 ちなみに動画を否定したい訳じゃない。
 人間は動くものを目で追う習性があるから、興味が湧きやすい。脳内での想像が難しい文化の話とか、歴史とか、ちょうどいいと思う。

 何事にもせかせかするのではなくて、たまには余白も大切に。

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