古川孝次の私小説(3)

しかし、私は大学に入る受験を控えていた。初恋の女の子は母の見立てた相手と結婚を控えている。
「こんな別れ方あるか」
とても残念であるが、どうにもならない。
そして私たちは人生の岐路を決めた。しかし私の頭の中では整理がついていない。そして月日が流れて大学の4年になる頃から、社会人になるために会社の内定を取り付けなくてはいけないということになった。私はデザイン会社に就職するための準備をしていた。

そんな中、下宿のおばさんが最近女の子から電話があり、うまく取り継ぎができないから、今度は出て下さいね。と念を押される。そして
「古川さん電話だよ」
という声。電話は下宿にひとつだけという時代である。声がかかっても4、5分は掛かった。
(相手は電話口で待ってくれるだろうか?電話は切らないであろうか?)
と心配しながらも受話器を取る。

声の主はあの初恋の女の子の声である。

「ロッパ(私のあだ名)今度、東京駅へ会社の出張で新幹線で行くから。〇時〇〇分の電車に乗るから、プラットホームで待ってて。」

彼女は実は私よりも歳がひとつ上。
高校の時、受験で失敗して浪人をしていた時も含めると3年付き合って、由あって別れた恋人であった。とても私の好きなタイプで、なぜ彼女が私にという思いもあった。他の男の子も憧れの女の子であったようで、付き合っていた時は友人たちが羨望の眼差しで私をみる。心の中では有頂天になっていた。

そして、彼女が来る日。私はプラットホームで待っていた。
「本当に来るのだろうか?」
と自問自答しながら、こんな光景はテレビ、映画のドラマの主人公だな…と自分で悦に入っていた。

彼女はその時間通りに来た。会ってからプラットホームにいたまま近況を語り合った。彼女は
「旦那は愛していない。私と一緒になりたい。」
と。私はすぐに彼女との生活に思いを巡らせた。が、ハードルはいっぱいある。私はまだ大学生。生活はどうするか?彼女の子供がすでにいるという、その子のことは?彼女の家庭のことも考えた。すぐに思いついたのが彼女のお母さんのことだ。
彼女の家ではお母さんの言うことが絶対なのであった。

私は彼女と付き合っていた時に彼女の家で夕ご飯をご馳走になって、夜遅くまで過ごしたものだ。彼女の家にはなんともうらやましい家族の団らんがあったのである。お父さんとお母さん、お姉さんと彼女と弟。たまに私が入る。
その団らんの中心が彼女のお母さんだった。

私は当時、彼女の家に遊びに行くときはホンダのスーパーカブ50CC。親父の使っていたのものを借りて乗り回していた。彼女の家に行くとその弟も乗りたいというので私が後ろに乗って、乗り方を教えていた。その時に警察に呼び止められてしまい、違反切符を切られてしまった。苦い楽しい思い出である。

お姉さんにも思い出がある。高校時代の時、名古屋の港祭りに花火を見に行こうと、彼女と男友達数人で遊びに行った。その時に地元の若いチンピラ風に絡まれたことがあった。その時に誰が声をかけたか知らないが彼女のお姉さんが出てきて一言二言を話しをしてもらい、その場を取り持ってもらったことがあった。こういう恩があるのでお姉さんには頭が上がらなかった。

一方。私の家はというと、おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、兄、私、妹。家族で一緒に食事をするという経験はなかった。まずはおじいちゃんとおばあちゃんが最初にご飯を食べて、そして父、それから母と子供たちでご飯を食べる。親と子で食事をすれば団らんだろうと思うだろうが、母は私たちに小言ばかりを言っていてそんな雰囲気にはならなかった。その小言に反論する兄と私、いうことを聞かない。兄は反発しながらも、模範的な生活を送るが、私はもっと強く反発していったので、一人孤立をしていた。好き勝手な事ばかりで、いわゆる不良品のレッテルを貼られていた。

とに角、彼女の家族は私にとって、とても憧れの家庭であった。
彼女は結婚生活をしていながら、東京の私と密会をする。

いわゆる不倫である。

そして、私は大学を卒業し、社会人になった。色々なハードルはクリアしている。彼女もついに
「やっぱり、旦那の事は愛していないから!なんとかして!」
とせがんできた。

思い立ったらすぐに行動。
とうとう、彼女の旦那に会い
「彼女を愛している。彼女をください。」
と伝えたのである。彼女の旦那もおいそれと右から左に渡すことができないと
「私も彼女は愛しているから。」
と答えた。押し問答をしてもしょうがないとまずは一旦引き下がる事になった。

結果は思いがけない人がつけた。
彼女の姉が私たちのところにやってきたのである。
彼女の姉は私と恋人(この姉からすれば妹)を前にするやいなや開口一番

「本当に好きで一緒になりたいのなら、ここで死になさい。」

と見せてきたのは包丁である。突きつけられた。
本当に死ぬのだろうか?死ねるはずがない。
(お姉さんはなんと理不尽な…。こんな決着があるか、あるわけないだろう)
と思いつつ、私も彼女もこんなお姉さんには逆らえない。2人で話し合い、泣く泣く別れることとになった。人の心を包丁で切り裂くなんてひどいお姉さんだと思いながら帰ったのである。

それからしばらくして、私は別の人と結婚。4人の子供ができた。
彼女とは別れた後は連絡は取っていない。

こんな淡い青春時代があったのである。
とても楽しい有意義な初恋であった。

私の恋話はこれでおしまいになるが、ある時から私のあだ名は「自由人」同じ人に言われるのならば「ふん」と言って聞いたりするが、このあだ名は生涯、いろんな人に言われて続けたのである。
「自分に嘘が付けない人間だからだ!」
と大きく叫ぶのである。

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