巡礼3日目〈エスピナル~サバルディカ、27.3km〉
今日出会った人たちについてのメモ。
ひとりめ。
山中をひとり歩いていた年輩の女性。足が悪いらしいが、私たちでも難儀するような山道をゆっくりゆっくり下っている。見れば、オリソンの宿で一緒だった女性ではないか。「(その足で)どうやってこんなに早くここまで?」と驚いて聞くと、ピレネー越えはタクシーを使ったらしい。「私はどうしてもサンティアゴまで行きたいの」と、アメリカ訛りの英語で彼女は強く言った。
(昨夜は消灯の時間に間に合わなかったので、ここからは翌日のアルベルゲにてこれを書いている)
どうしてだか私はその言葉に心打たれてしまって、涙をこらえなければいけないほどだった。たったひとりで、悪い足をひきずって、遠い異国の山道を歩く。いったいなにが彼女をサンティアゴに向かわせるのだろう。ひとりにしておいてほしそうだったので、そのわけを尋ねることはできなかったが。
ふたりめ。
ララソアーニャという村の手前にかかっていた石橋の上でひと休みしようと腰かけたところへ、はかったように現れた老人。身なりは完全にホームレスのそれだ。私たちのそれぞれの出身を聞いたあと、自身で描いたという教会の装飾と古びた建物の絵葉書を見せ、言い値でいいから買わないか、という。私は完全に引いてしまっていたが(だいたい私はそういう場面に弱いのだ)、夫が落ち着いているので任せることにした。
ひとしきり、教師だった過去や、スペインのバスク地方の悲しい歴史などを披露されると、もうただではさようならを言えないような雰囲気になってしまった。彼が3ユーロを渡し、どうしたらよいのかわからないような絵ハガキが2枚、手元に残った。その後も続く旅人たちにしきりに声をかけていた老人……彼はああやってカミーノの上で生きているのだ。
さんにんめ。
今日の目的地に定めたサバルディカという村のアルベルゲで、イタリア人グループと一緒になった。間断なく大きな身振り手振りでそれは楽しそうに話し続け、夕食にパスタが出ると知るや丸顔のジャン・レノみたいな男性が「アルデンテでね!」と指を立てて女性主人に注文をつけ、ムッとなった彼女にエプロンをかけられキッチンに立たされる始末。さてどうなるかと眺めていたら、彼は結局チョリソー入りのトマトパスタをあっという間に仕上げ、しかもすごく美味しかった。さすがはイタリア人。ドイツのパスタもスペインのパスタも、冗談じゃないくらいに柔らかくて、実は私も閉口していたのだ。
赤ワインが出れば手をたたいて大喜びし、巨大ないびきをかいて寝て、朝になれば「グランドコンツェルトだったね!」とからかい合う。くしゃみをすれば口々に「サルーテ!」と言ってくれて……とても可愛い人たちだった。
丸顔のジャン・レノは、夕食後に行われた教会での礼拝にも顔を出した。1度失敗し、今回が2度目だというカミーノに、なにやら深い思い入れがあるようだったが、シスターの訛りの強い伊英通訳ではよくわからなかった。彼は就寝前に、毛布を異常にはたき(おかげでほこりがこちらにふわふわ飛んできた)、ベッドに不織布のような布をかけていた。見かけによらず、潔癖症でもあるらしい。
そう、礼拝のときには突然夫が私たちの過去を話し出して、つらかったときのことを思い出して、そしていまの幸せを思って泣いてしまった。
2011年の東日本大震災、福島原発事故。そして彼のドイツへの本格帰国と、別れ。私にとって決断はいつでも天秤だ。わずかに傾いたほうへ懸命に、振り返らないで進むだけだ。「一緒にドイツに行こう」と言われても、あのときはまだ、仕事のほうが重かった。
彼と別れてから、日々の仕事と生活、新しいパートナー探しにやっきになったけど、なんだか傷ついて、傷つけるばかりだった。本当に毎日くたくたで、ずっと悲しかった。話し合って納得した上で別れたはずだったが、最後にさようならを言い合った渋谷の宮益坂下にはどうしても足が向かず、ぐるりと遠回りしたことも一度や二度ではない。
1年以上の没交渉のあと、突然連絡が来た彼と”モトサヤ”になって、ほどなくプロポーズされたとき、天秤は今度は彼のほうへ傾いた。
家族、友達、美味しいごはん、日本語、かつての職場。日本に残してきた、恋しく思うものは山ほどある。でも、彼は日本で幸せそうじゃなかったし、私はドイツでも幸せになれると思った。シンプルなことだ。
でも涙が止まらなくて、同席していた、英語を解さないアルベルゲの女性主人が「なんなの? どうしたの? シスター、早く翻訳してよ!」とあたふたしたので、すぐに泣き笑いになってしまった。シスターに「あなたたちにとってのカミーノは、“The way of love”なのね」と言われたのはわかった。愛の道? そんな恰好のいいものでは到底ないのだけれど……。
そしてよにんめ。
そのアルベルゲの女性主人。泣いた私をぎゅっと抱きしめてくれたけど、その胸はあったかくて、ふわふわとやわらかかった。ほとんど「施し」みたいなアルベルゲを経営して、空き時間には独居老人のために家々を回っているそうだ。どこのものとも知れない旅人たちに、あんなにたくさん、美味しい料理を作ってくれて。もう会うことはないのかもしれないけれど、スペインの小さな村に彼女が暮らしていることを覚えておきたい。
(夫の距離の読み間違えで、28㎞近くも歩いて足がとにかく痛い! 今後はやっぱり私もきちんと地図をチェックしなきゃね……)
※夫の手記はハフィントンポストで連載しています。→東日本大震災、福島原発事故、彼女との別れ。そして僕は日本をあとにした。
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