#3 外国人溢れるローカルな店

2020/03/01

まだ20代にも関わらず、わたしは旅疲れに弱いようだ。
留学期間が終わったにもかかわらず、いまだに日本に帰っていないからだろうか。自分の背中に子どもひとりずっと負ぶっているかのようなどっしりとした重みを感じながら、なんとなく気分がスッキリしないまま目を覚ます。

ケニアにいた頃に持っていた服といえば、動きやすく・汚れを気にしないものばかりだった。田舎で生活していると、白いTシャツは洗えば洗うほど少しずつ茶色がかってくる。日本で飲むような透明という言葉がピッタリの水に出会うことはほぼない。それでも飲めるし、最低限の汚れを落とすこともできるのだから十分だ。

しかし、ケニアは暑かったこともありもっていた服はすべて夏仕様。おまけに、ケニア滞在の最後のほうは南京虫をはじめとする様々な虫と闘う日々だった。そのため、その虫たちを運ばないようにほとんどすべての衣料品を捨ててから国を出たのだ。

おかげで、まだ冷たい風が強く吹きつくイタリアで生存するには少々厳しい装備だった。バッグの中に何が入っているかというと、半分以上はまだ潜伏期間を過ぎていないためマラリアの予防薬・テストキット・治療薬をはじめとして、下痢の時に飲む薬や普通の風邪薬などだ。

何かが起きたときにある程度まで自分で対処ができるようにしておくためだ。最低限熱を止めたかったら解熱剤を飲めばいいし、下痢になれば下痢のための薬を飲めばいい。初期症状が出ているときに、いかに抑えられるかが勝負だから。(じゃないと、海外で一人で生活しているときは病院に行くまでの手続きも移動も基本的に全部自分で手配しなければいけないから)

というわけで、靴を含めた衣料品が何もなかったので今日はお買い物デーということに。イタリアはファッション好きにはたまらない街と言われるが、ファッションに疎い私からしてみると日本のユニクロが恋しくてしょうがなかった。そんななか、ものすごいフィットするジーンズを見つけたのでお買い上げ。

もうひとつとても嬉しいものとの出会いがあった。
ティンバーランドのブーツだ。色はカーキ色。
イタリアで買うことで免税になり、バーゲン品でもあったため、結構安く買えたのが大満足だった。

なんとなく私のイメージとして、カッコいいフィールドワーカーはスッとしたジーンズにシンプルなTシャツでどんなところにも調査に行ってしまうというのがあった。なんでも格好から入る、というのは少し違うのかもしれないが、勉強意欲向上を図るということで良しとしよう!

ローマにあるプロシューテリアで、優雅な夕食

今日は、トレビの泉からもう少し行ったところにある「La Prosciutteria」という場所に夕食を食べにいった。今回は、イタリアのプロシュートやハムなどといった肉の加工製品に関しても色々知りたかったので、生ハム・サラミ・ソーセージ等をワインと一緒に楽しむイタリアではポピュラーなお店形態であるプロシューテリアで、なおかつローマでイチオシのお店にお邪魔した。

店内はこんな感じで、日本でいう居酒屋横町みたいな広さ。テーブル席が3つあり、2名がけのカウンター席が3セット。すぐに、お店が溢れかえってしまうような広さ。横の人の会話が普通に耳に入ってくるほどの近さだ。

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この写真に写っている黒人の方たちは昨日ヴェネツィアでの観光を終えてローマに戻ってきて、その話を手前に移っているスペインからいらっしゃったご家族と会話を交わしていた。

「最近ヴェネツィアの方ではコロナ大変そうだけど、大丈夫だった?」

なんていう時事ネタを共有していた。
観光地には比較的人が少なかったので、ゆっくりと楽しめたようだった。
そのように平和な語り口で、旅の一コマを共有しあっていた。

メニューはこんな風に壁に掛かっているので、そこから注文していく。
なんとなく英語と似ているので、グーグル翻訳も駆使しながら、頼みたい料理を選んでいく。

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みんなで一緒に食卓を囲みたかったが、わたしたち6人グループにとって十分な大きさのテーブルがなかった。そのため2人ずつに分かれて、わたしは師匠と一緒にご飯を食べることに。

師匠はエンゲル係数が高いことをよくネタにしてくるほど、食に対するこだわりが強い。海外実習とかでどこかレストランに行くと、食わず嫌いをせずに師匠の言うことを素直に聞いておくと美味しいものに出会える。実は、いままで私がマズいと思ったものは出てきたことがない。

だから、私は先生のチョイスにまずは従って食事を開始するのだ。

こんな感じで片腕を伸ばしたくらいの大きさがある木製カッティングボードの上に、これでもかというほどのハムをはじめとする肉の加工製品やチーズがふんだんに盛り付けられている。痛風になってしまわないかものすごい警戒しなければいけないはずだが、美味しすぎて気にするのを忘れてしまう。

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生ハムと聞くと、日本にいる頃はスーパーで並んでいる小分けになっているものしか知らなかった。しかし、イタリアに行ってみてからというもの、同じものでも熟成させた年数が違ったり、部位が違ったりと様々な違いがあり、味のひろがりも無限にあることを教わった。

わたし自身、熟成が足りないからか、生ハムも熟成年数があまり長くない物を好んで食べていた。肉質が柔らかく、塩分のきき具合もまろやかな気がする。「若い」というのが雰囲気で感じられる味わいなきがする。

そんな感じで、生ハムといったひとつのカテゴリー(?)の食べものでも様々なひろがりがあるのを思い出させてくれる。わたしがボランティアしていたスローフードがイタリア発祥であるという理由も、なんとなく真髄をするための入り口に立てた気がする。

美味しいものを食べられる毎日を、食材を美味しく食べられるスキルを。

お天道様、今日も1日お世話になりました。
明日もどうぞよろしくお願いいたします。

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