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序 3. 自我が退いた芸術

具体的に何人かの作家を挙げてみよう。例えば、鴻池朋子の著書[4]には、次のような記述がある。東日本大震災以降、自分の作品に「まったく興味がもてなくな」った作者が新たな芸術の在り方を模索するなか、北秋田の雪深い山の避難小屋での展示を始めるうちに、ある直観に至るのだ。「観客は人間ではないのかもしれない」と。やがて作者は人の命すら奪う自然の猛威に地球のエネルギーを感じ、眼球ではなく霊的な視力を凝らすことで、人以外の存在が「連れて」きた「物語」のあり方に芸術としての確信を抱いていく。作家において作品とは自然界とつながるための扉である。

[4] 鴻池朋子『どうぶつのことば 根源的暴力をこえて』(羽鳥書店)

淺井裕介は活動初期において、壁画を制作する際に現地の土を採取して顔料として用いた。現在では作家がさまざまな場所で制作を重ねたことから、採取した土のストックが増え、作品はあらゆる場所の土で描かれているが、そもそもはサイトスペシフィックな考えから制作が成されたのだろう。かくして各所の土の霊力を纏うようにして現れた巨大な壁画は、しかし、ほとんどの場合、展示が終了すると後欠片もなく消されてしまうのだ。これに関して作家はこう語る。「自然界を見渡すと、残らないことのほうが自然」「人間だけが“残ること”にこだわっていると思うんです」(ヨコハマ・アートナビ[5])。作家にとってはむしろ、作品が消えることが次の作品を「描き続ける」ための動機になり、また消されることを運命づけられていることによって作品に命が吹き込まれるのだという。作家においては、作品ではなく行為が残されたのだと言って過言ではない。そしてその行為は、土から召喚されたものである。

[5] 発言は以下のインタビューに記載されている。https://sv161.xserver.jp/~yaforjp/yaf.or.jp/introduce/frontcover/frontcover_0901.htm

コズミックワンダーは、ことに東日本大震災以降、ファッション界の大量生産・大量消費のあり方からさらに一線を画した。主宰の前田征紀は数人のメンバーとともに京都北部に居を移し、改修した古民家で、日本に古くから伝わる暮らしの知恵を継承する生活を模索している。設立当初から続けているオーガニックのラインはバリエーションを増やし、オーガニックコットンや草木染め、葛布や藤布などの自然布、国産の古い大麻布や天然のなめし革などの素材をプロダクトに用い、古代の貫頭衣や仕事着にデザインを模したり、籠や茶器といった生活に息づく諸国の手仕事との共作を行ったりしている。なかでも白眉は、工藝ぱんくす舎との《お水え[6]》だ。森や浜辺といった、都市を離れたどこか静謐な自然環境のなかで、紙衣に身を包んだ人物が水と紙漉きの話で客人をもてなすという、あたかも古代の祭祀を再現したような儀式的なパフォーマンス。それは古代の文化の意匠を借りることで現代に霊性を呼び戻す行為であり、自然の持つ生命力を現代に告げる巫女の振舞いでもある。つまりこの作品は、作品自体が目的ではないのだ。作品は彼岸に至るための依代に過ぎない。

[6] このパフォーマンスは長島友里枝のスチール、志村信裕と加藤文崇の映像による記録展として何度か披露されている。また島根県立石見美術館で開催されたコズミック ワンダーと工藝ぱんくす舎「お水え いわみのかみとみず」展の展覧会図録でも知ることができる。

鈴木理策は撮影者の意図を極限にまで排除することを意識する。彼は言う。「人は写されたイメージに意味を見出そうとする。だが意味が生まれる以前の状態で見ることを示したい」[7]。アトリエの目の前にそびえる巨大な岩山の、日々刻々と変化する様に目を奪われ、その感触を平面絵画に定着させようとしたセザンヌ[8]のように、作者は自然に対した経験を写すために、アングルやピント、シャッターを切る瞬間をカメラという道具に預けてしまう。道具は人から離れて独り歩きし、作者が知覚・認識、そして予想すらできない光景を写真に切り取るが、その時作者は道具を人より優位に置くというよりも、究極的には自然界は写すことができないという、ある種の不可能性を証明――そして確信――するために道具を据えている。しかし一方で観客は、写された写真に見たことのない自然の美の姿を見てしまうのだ。つまり写真は、知覚・感覚可能な領域と不可能な領域の接着面で、美を蓄えたまま吊るされている。

[7] 鈴木理策写真展『意識の流れ』(東京オペラシティギャラリー/2015年)図録『Stream of consciousness』(edition.nord)。
[8] 鈴木理策にはセザンヌのアトリエを撮影した写真集『アトリエのセザンヌ』や、セザンヌが晩年魅了されたサント=ヴィクトワール山を撮影した写真集『MONT SAINTE VITOIRE』(ともにNazaeli Press)がある。

成田亨は、円谷特技プロダクション[9]と契約していた活動初期から、SFというジャンルを負いながらも、動物、植物、昆虫、鉱物、あるいは兜のような人工物、そして世界各地の神話やお伽話などから想を得て、まさに現実と異界の境界に穴を穿つような、異形の――そして目を奪われるほど美しい――さまざまな怪獣や宇宙人たちをつくりだしていった。彼は言う。「神か鬼か、聖人か獣か、美か醜か、写実か抽象か、そんな、すれすれのところで考えたのが宇宙人のデザインだったように思います」[10]。正確に言うならば、いずれでもなく、いずれでもあるのだ。その極地は、1992年頃に構想されたという実現しなかった新しいヒーロー「ネクスト」の頭部を象った《ネクストマスク》だと思われる。まるで宇宙の果てから飛来した隕石のような、有機物か無機物かもわからない、しかし圧するほどの質量で迫る、異形の生命体。人知も理も、善悪の概念すら超えてしまった、彼方からの使者。人はもはや、敵か味方かも謎のまま、ただひれ伏すしかないだろう。おそらく、この崇高さすら漂う巨大な謎を前に、ほかならぬ作者である成田こそがもっとも戦慄したに違いない。それは作者の手から産み落とされた瞬間に、作者をも飲み込んでしまったはずだ。だからこそこのマスクだけは、自宅の居間の床下に匿われるように安置されていたのだ[11] 。

[9] 現・円谷プロダクション
[10] 『成田亨作品集』(羽鳥書店)
[11] この記述は、著者による関係者への聞き取りによる。


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