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坦々麺の脆弱性

代々木にあるラーメン屋、らすたが好きだ。
正式名称の「極楽汁麺らすた」のセンスがいい。極上ではなく極楽というワードチョイス。あとラーメンのことを汁麺と言い換えるセンス。とてもいい。

ただ、店内に「大蒜と生姜と豆板醤をこの量で入れてみてください」と張り紙がしてあるのだが、来店するたびに「そこまでおすすめするのであればなぜ最初からその状態で提供しないのか」と疑問に思うことがある。

今日はそんな味チェンにまつわる話。


個人的につけ麺屋は味チェン依存度が高いと思う。
まずはそのまま召し上がった後に、魚粉やスパイスなどを麺にかけたり、酢や柑橘系を絞ることを推奨される。「このボリュームを同じ味で食べ続けるには無理あるよな」と製作者側も思ってるのだろうか。

とんかつ屋で色んな種類の塩や甘口辛口ソースなどが卓上に置いてあるのは「お客様の趣味に合わせてご自由にどうぞ感」があって大丈夫だが、つけ麺はどうも飽きを前提にビジネスをしてる気がしてならない。

ただ、坦々麺。坦々麺はあの量で本当に正しいのかと思う。
まず具が脆弱すぎる。青菜はいいにしても、ひき肉がメインを張っている脆弱性がやばいと思う。汁に沈んだひき肉をサルベージして食べるUXも美しいと言えない。

長年疑問だったが、坦々麺の歴史を調べてみて非常に納得した。あれはもともとファーストフードで、汁なしが一般的であったこと。そしてご飯茶碗程度の器に盛られていたこと。

めちゃくちゃ適量じゃん!!!!と思った。坦々麺のコンセプトからして茶碗サイズが適量なのだ。

軽食を食事に格上げした弊害が現在の坦々麺なのだ。コーンフレークで腹を満たすのがしんどいのと同じ理屈がそこにはあった気がした。知らんけど。

何事にも適量というものがあるので、もし適量を超えた場合は策を講じざるを得ないという意味で味チェンを勧めてくれる店はある意味潔いのかもしれないと思った。

一度麺の量を少なめでつけ麺を食べた時に味チェンする間も無く食べ切ってしまい、とても物足りない気持ちになったことを思うと、もはやつけ麺はあの量が適量なのかもしれない。

金曜ロードショーで絶妙にカットされた映画を見て物足りなくなり、その後何故かDVDで見返すあの気持ち。

つけ麺も映画ディレクターズカット版が好きだ。

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