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愛されない人間だと思っていた過去の話 〜家族編〜

数年前まで自分のことを「ハズレくじを引いて生まれてきた人間」だと思っていた。

家に帰っても、大人に心から甘えられることは無かった。

父は、機嫌が悪いと大声で怒鳴り、物を投げた。幼稚園の頃、父が母の目覚まし時計を投げて、部品が弾け飛ぶ光景は今でも鮮明に思い出せる。
小学校で九九を習う時期、風邪で学校をお休みしてしまったので、リビングで一人でその日習うはずだったところを練習していた。すると父がリビングに来て、「〇の段を言ってみろ」と言った。習っていないところだったので、序盤で間違えた。すると、父は馬鹿にしたような、軽蔑したような口調で、「そんなのもできないの?」と何度も繰り返した。

このようなことはずっと続いた。高校受験を控えたある日、突然父が、知らない人の名前を言った。誰だか分かるかと聞かれ、分からないと答えた。また馬鹿にしたような口調で罵られ、「こんなのも知らないようじゃ〇〇高校は絶対受からない」と繰り返し言われた。後から調べると、父から言われた人物名は、中学の教科書には載っていない歴史上の人物だった。

母は時々、無神経なことを言う。
父親の悪い癖や短所について散々貶した後、最後に、「星ちゃんはお父さんに似てるよね」と付け加えた。その最後の一言は、私の心をザックリとえぐり、深い傷をつけた。

私には3歳下の弟がいるのだが、母は特別弟を可愛がっているように見えた。私が幼い頃に怒られた行為を、弟は何歳になっても怒られなかった。母にそれを指摘すると、「〇〇(弟)を怒ったら可哀想でしょ」と言われた。それを受けて、幼い頃の私は、「私は可哀想じゃないんだ」と単純に思った。

母は弟に、包丁の使い方を丁寧に教えた。上手く出来るとよく褒めた。自信がついた弟はよく家のお手伝いをした。私はキッチンに近づくと怒られることがあった。お手伝いがしたいと言うと渋々やらせてくれた。上手くできないと嫌な顔をされ、上手くできないから教えてと言うと、「こんなの普通教えられなくても出来るでしょ。何でできないの?」と強い口調で言われた。

家族でドラマや再現VTRを見ている時、意地悪な女の子が出てくると、「これお姉ちゃん(私のこと)にそっくりだよね!」と親は笑った。みんなから嫌われる意地汚い性格の人物とそっくり、と言われると本当に悲しい気持ちになった。似ている理由を聞いても教えてくれなかった。どうやったら性格を直せるか聞いたら無視された。私はテレビを見ていてそれを言われるたび、怒ったり泣いたりするようになった。そんな私を見て親は、「何怒ってるの?」と私を責めた。

小学校の頃から、友達と遊びに行こうとすると嫌な顔をされることが多かった。はっきりと禁止されることもあった。だから私は小中学校で友達と遊んだ経験がほとんどない。
友達と遊びに行くことができず、家にいるのに、本やおもちゃは与えられなかった。周りの友達のほとんどが持っているゲームも買ってもらえなかった。宿題が終わった後の時間、とにかく退屈だった。学校でのいじめが辛いと母に話しても、相手にされないことが多かった。宿題後の時間は、苦しかった。

私はずっと、ずっと、ひとりぼっちだった。家族といても友達といても、孤立感を感じていた。

生まれる時、私はハズレくじを引いて、愛されない人間として定められてきたんだなと思った。

そう思うと、どんなに辛いことがあっても、ハズレくじ引いたから仕方ない、と自分を納得させることができた。

この文章を書くにあたり、しばらく封印してきたネガティブな感情をたくさん思い出した。悲しくなったのでこの後一人でカラオケにでも行って思いっきり歌おうと思う。

現在、私は、周囲の人のお陰で愛を学ぶことができた。本当にありがたいことだと思う。私は普段から人にポジティブな面しかあまり見せないが、現在の私はやはりこのような過去があったからこそ、という思いが強い。そのネガティブな一面を見せることで、誰かの役に立つかもしれないと思い、ここに記した。

#エッセイ #過去#教育#親子#親子関係#心#精神的虐待#心理的虐待#苦痛

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