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1. テクノロジーにもエモありな3本

自分の仕事では、物事の「本質」を考えることがよくあります。結局、この商品って誰にとって何の価値として存在しているんだろうか?と。そうするとどうしても、その存在と、人とココロとの結びつきのことを考えることは避けて通れない。割とその時に、「テクノロジー」と「情緒」を相反する存在として論陣はりがちなんですよね。手紙にあった情緒をメールが消してしまった、みたいな。そんな展開になってるときに、「本当にそうですかね?」っていう疑問を自分に投げかけてきた後輩がいたので、そんなこともないかもよ?っていう仮説を考えるうえでも、その後輩に見てもらいたい3本を。

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her/世界でひとつの彼女

2013年公開
監督:スパイク・ジョーンズ
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妻との離婚に心を傷める手紙代筆家が、PCのOS人工知能と恋に落ちてしまうお話。 自己とは、他者との関わりの先に初めて見えてくる、外界との境界線なのかもしれないと、AIのサマンサをみていて感じます。まあ見えないのだけど。人格とは何か、人が人を想う気持ちとは何かというのを、端的に浮き彫りにした、佳作。人は想いを何で信じるのか、独占か、犠牲か、それとも無条件で信じられるのか。 描写の全てが、なんだか非現実的なパステルな霞に包まれたような風合いで、色彩がとても美しく、スパイク・ジョーンズだなあと。彼の作品の中では一番、主題がクリアで見やすくそれでいて美しく哀しい、好きな作品。テクノロジーには確かに情緒が「ない」のかもしれないけど、それに哀しさを人が覚える限りそこにはエモがあるんじゃないかな、っていう仮説。


ウォーリー / WALL-E

2008年公開
監督:アンドリュー・スタントン
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人類が地球を捨て宇宙コロニーで過ごす未来、一人掃除を続けるロボットのお話。 どうも情緒をつくろうとすると人間は、「人間のようなふるまい」を再現しようとするわけで、今作もそこがうまい。のだけど、「without word」なのが、感情表現とは何かを考えさせられる。言葉にしないとワカラナイということと、言葉にしちゃったらワカラナイということと。うまいなあ、ピクサー。アンドリュー・スタントン監督は、本当に、感情が身体にどう現れるか。というか、人は人の感情を身体のどの動きでどのようにセンサリングしてるか、とってもよくわかってるんだね。 だからクマノミだろうとロボットだろうと、そこに言葉がなくても、こんなに雄弁なキャラクターを形作れる。 あとピクサーには珍しく、あからさまな風刺というか、皮肉が描写されていたり、全体的に少し物悲しい未来で、僕はとても好きでした。テーマ設定が上手。 これだけ言葉が少ないのに、とてもたくさん語ってくれた作品でした。秀作。

ユー・ガット・メール

1998年公開
監督:ノーラ・エフロン
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チャットルームで知り合った男女が、現実世界での奇遇な出会いをするお話。 さすが、ちょーとってもよくできたラブコメディで、完璧だなあと。文化資料的にも、スタバに大規模チェーン店の進出にメールに文化保持運動に、98年のNYってこういう空気の中で、当時もわかっていたことかもしれないけど、今になってみればなおのこと、世の中が変わっている渦の中の象徴的な存在が、それと意識されて描かれている感じが、面白い作品でした。 そして、さらに今となってみれば、チャットルームでメル友になって、とか、かなり危ないというか、そういう行為っていう風に位置づけられているのも、このころからほぼ20年たつ今の世の風情ということで、面白いです。メグライアンが完璧にかわいいわこれは。これは出来上がっている。メールにだって、きゅんきゅんできるんだぜっていうエモな話。

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結局、テクノロジーだから感情の行間が失われたとか、エモくないとか、そういうことじゃないと思います。感情の本質は、テクノロジーかアナログかじゃなくて、結局そこに人の感情が介在する余地がどれくらいあるかどうか。ただ、新しいものは人側がそれにまだ慣れなくて、感情の介在のさせ方が分からないから、ちょっと懐古主義になっちゃうだけ。もちろん、介在のさせ方が変われば、そもそも介在させられる感情の種類は多少変わっちゃうかもしれないから、かつての方法に介在させていた感情についてたまに思い出すことは大事なことなのだけど。文化って、そうやってうつろいながら、どうやってうつろっちゃいけないものを介在させたまま進歩しようかの試行錯誤の行ったり来たりなのかもしれませんな。

そんなTHREE FOR YOUでした。見てみてくださいませ♪

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