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【オン読】17.06月のまとめ

オンライン読書会「オン読」。6月のテーマは、問い本【「ない仕事」の作り方】(みうらじゅん著・文藝春秋)を課題図書にして「人が”新しい”と感じるものを創るために、どんな風に考えたらいいか、自分が実際に実行できるプランに落とし込んで考えてみよう!という思考実験でした。「新しい」を創ることがいかに難産で大変で、しかし考え方にはどうやらおさえるべきツボがあるらしい、というのはこれまでの課題図書でも、その輪郭線を探ってきてここまで来ているとは思います。ただその時に必ずテーマになるのが「自分がこれは新しい!と感じるものやそれに対しての熱量」と「世の中の、お前の熱量なんか知らんわ!っていう冷静な受け止め方」の両方の視点をいかに持つかってことだなと感じたわけです。今回の本は、いかにも偏愛をそのままダダ漏れさせているだけに下手したら見えるみうらじゅんさんが、意外に策士というか、自己を客観的に見て、ビジネスとして動いている部分があるかってことを見つつも、押さえるところを押さえているからこそ、残りの余白で好き勝手暴れられるというその両立のさせっぷりが分かる本だったなあと振り返ります。ではでは、まとめてみます。コメントも中々突っ込んだ学びを得たようで、良かったです!

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大体のことは元なんか取れない「無駄なこと」である。

まず感じるのは「無駄をいかに乗り越えるか」というポイント。冷静に考えると当たり前のことなんですが、世の中において「新しいこと」というのは、大体の場合「誰も気づいていないこと」ではなく、「だれもが視界には入れているのに、それを価値あるものとして取り上げようとしていないもの」であって、言い換えると、それのことを考える時間や労力が何にもつながらないと思って無意識に無視しているものともいえる。そんなこと追究しても何にもならないと思っている、言い換えてみれば無駄な物事なんだなあと。それは、みうらじゅんのようなニッチでサブカルな「種類の無駄」もあれば、イチローのような常軌を逸した高みを目指すがゆえに凡人から見れば「無駄」な夢、といわれるような「高さの無駄」もある。どっちにしても、大体の「他の人がやってない新しいこと」は、「無駄なこと」ってことである。逆に、最初っから分かりやすい勝算が立つようなことは、新しいことにならないってことなんですよね。だって、勝算立つなら、みんなやってるはずなんだから。

なにかを見たり聞いたりしたときに、すぐに好きか嫌いかを判断できるものは、そこで終わりなのです。好きか嫌いか自分でもわからないもの。違和感しか感じないもの。言葉では説明できないもの。私はそういったものに、グッとくるのです。 (本文より引用)

この言及も、まさにだと思うんですよね。見立てがすぐさま立つものじゃなくて、「なんじゃこりゃ?」を世界で一番最初に読み解く人になる、という感じでしょうか。みうらじゅんさんの、とにかくどうなるかわかんないけど労力と時間をつぎ込みまくって、オンリーワンの詳しさになる、というのは、「無駄と向き合う根気と偏愛」が前提にはあるなと思ったわけです。企画創るときも、多産多死をよしとして、息を吐くようにたくさんの事をガンガン発案していくくらいの軽やかさがあったほうが、大事に大事に1案だけ考えるよりもうまくいくと思うし、そういう意味では自分のアイデアや企画が没になることをいかに大したことないことだと受け止められるかは大事な気がします。

本当に愛したものなら、人は「私」から離れられる。

アイデアが死んでも凹まない、というものと少し通じることなんですが、一見真逆に見える言及が次の内容で書いてありました。

私が何かをやるときの主語は、あくまでも「私が」ではありません。海女が、とか、仏像が、という観点から始めるのです。そもそも何かをプロデュースするという行為は、自分をなくしていくことです。自分のアイデアは対象物のためだけにあると思うべきなのです。 (本文引用)

これ、ものすごい重要なことを言ってると思うんです。人がなにかモノゴトについて「めっちゃ好きだからこのよさを伝えたい!」というときに、大体実は2パターンの動機があるなと思っていて、「①純粋に好きである」か「②それが好きな自分というセルフブランディングおよびビジネスマインド」のどっちかかなあと。こう書くと②が邪心にまみれた人っぽく見えるかもしれませんが、多くの大人はこれだし、考えとしてはどこかに持っていないと、好き嫌いだけで仕事をやり切る覚悟がない人がつぶれちゃうのでいいと思うんです。ただ、前述の「無駄の向こう側」にある新しさを本気で出したいのであれば、②だけではそんなに遠くまでいけないってことかなあと。そして、①で行くならば、自分がどう思っているかっていうのは、さして重要じゃないはずなんですよね。そここそ、もっとも「好き」を問われるところだなと思います。
一方で、そんなに「好き」か否かを問われるだけの仕事術だと、”そんなに自分、好きなものないしな…”と凹む人もいると思うんですよね。それに凹まなかったとしても、”自分が好きなものって狭すぎて、企画になるかどうか…”みたいな人もいるかもしれない。みうらじゅんさんの言いたいことで重要なのは、「好きなもので仕事をする」のではなく、「新しく好きになることでそこから仕事を生み出す」ってことであって、これから先の好奇心の話なんだと思ったわけです。尋常じゃない量のインプットと、それをまとめて編集して切り口を紡ぎだすための膨大な思考実験を、子どものころに怪獣スクラップブックを創っていたころからみうらじゅんさんは反復訓練してきたわけで、それはやっぱり、変なおじさんが思いつきでニッチなこと言い出したのとは違うんだなあと、やっぱりこの変人の底の知れなさを改めて感じた本でした。

今回のお題の、「人が「新しい」と感じるものを創るために、どんな風に考えたらいいか、自分が実際に実行できるプランに落とし込んで考えてみましょう。」に対しての僕の答えというか要点は、

いかに無駄を避けずに乗り越えて、その向こう側にいくか

ここにマイスタイルを持てると強いなあ、というとこかな。

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そんなわけで、「新しいって大変である」っていうのは、みうらさんという才能と努力のハイブリッドモンスターの著書を読むことで感じられたなあと思います。大事なのは「無駄との向き合い」なので、どうやって無駄を「面倒くさいもの」にせずに「楽しいお戯れ」の延長に置いて気軽に生活の中で妄想できるかという、結局はその人それぞれのスタイルをどう見つけられるかだなあと思った次第。次回の課題図書は、こちらの記事に掲出しているのでよかったら参加してくださいませ!

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