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青椒肉絲からピーマンを抜いてはいけない ~分かりやすさの限界点について~

以前、飲み会でなにかの話をして「頭がよすぎ!」というリアクションをされたことがありまして汗(自慢話でもなんでもなく、これはアカンやつです)、このセリフが意味するところはつまり「何言ってんだかわかんねー」を遠回しに伝えてくれてるやつなわけです笑 本当に頭の良い人は、伝える相手が分かる形で伝えることであるし、そのうえで思考力だけで言えば「頭に良すぎるなんてことはない」わけです。よければよいほどいい。問題は頭が良すぎることではなく、ただ単に「伝え方」だと思うわけです。

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一方で、「これ以上わかりやすさを追求するともはや”それ”は”それでなくなってしまう”」という臨界点があるわけです。『分かりやすさの限界点』と僕は読んでいるんですが。言い換えてみれば、ピーマンが嫌いな子どもに青椒肉絲を食べてもらおうとして、ピーマン抜きにしちゃうようなもんです。それってもうチンジャオロースーじゃないやんってことです。多少苦かろうが、青臭かろうが、「それが青椒肉絲の味ですってことを、子ども側にも理解したい!と思ってもらえるかどうか」という部分が絶対に必要。受け手側が一ミリも「わかりたい」と思っていない、歩み寄りの意志が一ミリもないトピックをわからそうと無理するとこの「わかりやすさの限界点」を通り超えてしまいがちで、そこに足りない観点って、「こちらが分かりやすい説明をする」ことに加えて「あちらに、”このことについて知りたい”と能動的なモードになってもらう」ことがものすごい大事なわけです。本当に相手に理解をさせることに長けているプレゼンターは、わかりやすい表現力もさることながら、「理解したいと思わせて”聞かせている”」んだと思う次第。「あの人の話ってホントわかりやすいよね!」と言っているあなたは知らず知らずのうちに、他の人の話よりもその人の話を”自ら理解しようとしている”んだと思います。

「わかりやすさ」と同じかそれ以上に、「わかりたさ」が大切、というお話ですね。

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そう考えると「頭よすぎ!」というのは、”私にはわからない話です”という意思表明なわけで、一ミリも”分かってみたいと思ってもらえてない”わけで、大反省ですよねw むきになったり、知識の誇示に陥った説明だと絶対にアウトだし、そうじゃないにしても、結局は、イソップ童話の「北風じゃなくて太陽のアプローチ」を心掛けたいなと常々感じます。

もっと頭良くなりたいわあ笑
青椒肉絲を子どもに「食べてみたい!」と思わせられるプレゼンターに、私はなりたいです。

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