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日常を夏休む

マーケティングの仕事をしているので目の中で常に「人間観察スカウター」のようなものが作用しているんですが、夏休み来たなあという今日の電車。子どもと母親の5ペアの集団が朝8時から電車に乗ってどこかに行く感じで、それを感じるんです。山手線の何らかのスタンプラリーをやってる親子とかもそう。やっぱり、平日の日中に就学児が親と電車のって遊びに行ってるのが、一番シンボリックな気がする。

どこか、田舎やリゾートに行って、夏休みじゃないとできないことをやるのも一興だけど、実はどこにも行かずにいつもの暮らしがある街で夏休みするのが「休む」という意味では一番理にかなっているのかもしれない。「リフレッシュ」なんて言葉があるけど、要するにそれはいつもの日常との地続きのまま、いろんなタスクの積み荷を背に負って明日が着続けるそのループを断つってことですが、それには「体験の新しさ」という自分の外側での出来事よりも、「視点の新しさ」という自分の内側の出来事のほうが効果があるのかもしれない。いつも通勤で通りすがる駅で降りてみたらイカす銭湯があったとか、いつも乗り換えで焦って通り過ぎるばかりの街で見つけた喫茶店で時間を気にせずコーヒーを飲むとか、家の近所に実は立派な日本庭園があるけど行ったことがないから行ってみたとか。Find my tokyo状態。石原さとみ状態。もちろん「体験も視点も新しい」っていう非日常な夏休みも尊いけど、両方新しいと人ってリフレッシュを通り越して、疲れちゃうように思う。夏休み”休み”がほしくなっちゃう。日常から脱出せずに、日常に身を置いたまま休む。視点を変える。それが、休みから帰ってきた後の生きやすさに一番直結する贅沢な休み方かもしれないなあなんて。

今の自分の会社にはインプットホリデーという神制度があって、ひと月に一度、平日に休業するのですが、その時も街を歩くのが一番、リフレッシュになるなあとたどり着いた結論があるわけです。「平日の昼間」の社会を観察することが、日本のサラリーマンのマーケット感覚において一番、弱いところだとそれで気づいたし。

ほんとは、もっとそもそもから、働き方も生き方も、その場所も、人それぞれ自己裁量で自由になったら、日常も非日常も、自由に行き来できるようになるけどね。そんなことを考えながらの月曜日。力まずにがんばりましょ。

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