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【感想】「本心」(平野啓一郎)を読んで。


「自由死」を願って亡くなった母の本心を知るために、息子である朔也が亡き母のAIをつくり、明かされなかった母の気持ちを知ろうと向きあう作品。

本作を読んでいる時ずっと私の頭にあったのは「自由死」について、自分はどう思うのか?ということ。

朔也の母は理由はわからないが「もう十分」と言って自由死を願っていた。

そして、母の自由死に許可を与えた医師は、「お母さんの自由死は親として子を思ってのこと」と話す。

母の友人であった三好は「お母さんが長い人生を生きて考え、自然ともう十分と思った気持ちがわかる」と言う。

朔也は最初母親としての母という視点から真相を知ろうとしていましたが、三好の言葉によって、1人の女性としての母がどのように生き、何を考えていたのかを、考えるようになっていきます。


私はこの自由死の捉え方について、イフィーの言葉が印象に残っています。

「もちろん反対です。好き好んで自由死する人なんていないんだし、一旦認めてしまったら、今みたいに弱い立場の人たちへのプレッシャーになるでしょう。国は財産難でもう余裕はないんだって。貧しい人たちは、足ることを知って、自由死を受け入れるべきなんですか?恐ろしい考えです。人間にはただ自然死があるだけです。僕だってたまたまアバターのデザインで、社会の役に立ってると思われてるし、税金もたくさん納めてますけど、そうじゃなかったら、お荷物扱いですよ。優先思想じゃないですか、それは。」

「弱い立場の人は、家族に迷惑がかかるって、自分を責めます。死にたいんじゃなくて、いなくなった方がいいって考えてしまう。」

「役に立つかどうかとか、お金を持ってるからどうかとかで、人の命を選別しちゃいけないんです。自分の意思で、自由死したいって人がいたとしても、その理由をたどっていけば、どこかには必ずそう考えるしかなくなっていたしまった事情があるはずです。それを取り除いてやることを考えるべきです。


イフィーは困難を乗り越え、行動できるとても勇敢な人間です。
ただ、世の中にはイフィーのように強くて優れた人間だけではない。
むしろ、行動できない人の方がずっと多い。

自分が社会の中で役に立たない弱い人間だと感じる時、強いものを憎み、不満を言うことしかできないのか?

その問いに対し、NOを突きつけてくれるのが主人公である朔也の行動です。

イフィーのように才能がなくても、大勢の人に影響を与えることができなくても、目の前の困っている人に手を差し伸べる、優しくする。それだけで良い。寧ろそれが大切なんだと、ティリに手を差し伸べる朔也を見ていて感じました。

朔也は言います。

「生きていていいのかと、時に厳しく、時に親身なふりをして、絶えず僕たちに問いかけてくる、この社会の冷酷な仕打ちを忘れたわけではなかった。それは老境に差しかかろうとしていた母の心を、幾度となく見舞ったのではなかったか。」

「僕たちが生きていていいのかと、問い詰める側に立ってしまえば終わりじゃないか。」


「生きていていいのか?」そう問うのではなく、「生きていくためには、どうしたら良いのか?」と問う。

それは簡単な事ではない。そこには複雑な問題が沢山あり、キツイことが多くある。
それでも朔也のように、小さな一歩から動き出せるような人間でありたい、優しい気持ちから人に手を差し伸べることができる大人でありたいと、思わせてくれる作品でした。

平野啓一郎の作品を初めて読みましたが、考えさせられる良い作品でした。

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