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「JOKER」

バットマンの悪役で知られるジョーカーの誕生秘話を映画化した
ホアキン・フェニックス主演の「JOKER」(2019)

この映画もすごく面白くて大好きです!

ちなみに私は、
「ジョーカー」
→「キングオブコメディ」
→「タクシードライバー」
→「ジョーカー(2回目)」
の順番で鑑賞しました。

「キングオブコメディ」も「タクシードライバー」も私の大好きなマーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロという最強タッグの名作です。
この2つの映画を見た後にもう一度「ジョーカー」を鑑賞すると、それぞれの映画との共通点を探したり考えたりしながら見ることができるので楽しかったです。

まず過去の2作でジョーカーと同じような立ち位置だったロバート・デ・ニーロが、今回は逆にジョーカーにやられる役をやっているというのが、またいいですよね。

さて映画「ジョーカー」の内容はそれほど難解ではありませんが、見る人によって様々な解釈がありそうだな、と思ったので、感想を書いてみようと思いました。

1 アーサーという人間

後にジョーカーとなる主人公アーサーは、「キングオブコメディ」や「タクシードライバー」の主人公と同様、孤独で他者とのコミュニケーションがうまくとれません。
さらに緊張や興奮などで感情が昂ると、笑いが止まらなくなってしまうという病気をもっています。

映画前半のまだジョーカーになる前のアーサーは、この病気の症状以外で笑うことはほとんどなかったように思います。唯一笑顔になっていたのは、マレー・フランクリンのテレビショーを見ながら、自分が出演している妄想をしていたときです。

それでもアーサーの夢は「コメディアンになること」です。

母親が「あなた人を笑わせられるの?」と聞く場面がありました。

ネタ帳を持ち歩いてネタを考えたり、テレビを見てコメディアンの真似をしてみたり、他の人のネタを見て勉強してみたりしていますが、悲しいことにそもそも人が何を面白いと思うかが理解できていないように見えます。

みんなが面白いと思っていることでアーサーは笑えないし、逆にアーサーが面白いと思って言ったことはだれも面白いと思えないのです。

これはアーサーが今までにだれとも感情の共有ができていないのが問題だと思うんです。

少しでもだれかと一緒に過ごしたり会話したり、「これ面白いね」「あれ好きだな」とかそういうやりとりをしていれば、その経験がちょっとずつでも積み重なっていれば…。

生まれつきなものなのか虐待によるものなのか、アーサーは知的障害も精神病ももっているにも関わらず適切な支援が受けられていません。
さらに虐待によって「つらい」「苦しい」という感情を出すことも奪われ、人と関わる術を何も教わらないまま大人になり、もうカウンセリングも薬も何も意味のないところまできてしまっています。

ドミノ倒しみたいに負の連鎖が大人になるまでずっと続いていて、もうだれにも止められません。
子どものうちならなんとかなったかもしれないのに…とどうしても思ってしまいます。

大人が面倒な子どもを見て見ぬふりをした結果、もうどうしようもないところまできてしまったのだと思います。

2 ゴッサムシティ

タクシードライバーを思わせるような街でした!

多くの「普通の人」が見て見ぬふりをし、見捨てられた人たちが集まっています。

そうして社会への恨みを抱えた人たちが、集団の力を手にしたときの恐ろしさをこの映画で目の当たりにしました。

でも予算削減のためと言ってなんでもかんでも奪われていく人たちの過程を見ていると、何とも言えない気持ちになります…。

3  JOKER誕生

社会から「いない存在」として扱われ、自分が存在しているときは人に笑われるときだけ。

アーサーにとって、社会に存在を認めてもらうにはJOKERになるしかなかった。
社会の抑圧から解放され、はじめて心から笑い、生きていることを実感できた。

キング・オブ・コメディの
「ドン底で終わるより、一夜の王になりたい」
というセリフを思い出します。

「映画を見る」ということができている時点で、絶対にわたしたちはアーサー側の人間ではないし、アーサーに共感できる部分はあっても理解することはできないんだろうと思います。

それでもこの映画を見終わった後は「どの時点でどうすれば、こうならなかったんだろう…」とだれもが考えると思うし、どうにもならないかもしれないけど、答えが出ないかもしれないけど、そうやって考えることができる映画だなと思いました。


すでに続編も決まっているようなので、次は劇場に見に行きたいなーと楽しみにしています!

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