【夏の喧騒】

男は苛ついていた。

今年の夏はやたらと暑い。
流行っているとは言えないキャバクラの空調は弱く、ジメジメと蒸し暑い。

今日の“仕事”相手であるキャストの隣で、彼女の作った酒を一気に煽る。
「キャー!良い飲みっぷり! ねぇねぇもう一本ボトル入れちゃう!?」
「お前なぁ、俺が何しに来たか忘れてないか?」
「もう〜つまんないなぁ。ちゃんと返すから!ねっ今は楽しく飲もうよぉ〜。」
「こんの…ホスト狂いが!」

危機感の欠片も無い彼女の態度に、男は溜息をつく。
「なあ、ちょっとは真面目に考えろよ?だいたいなぁ…」


その時だった。
隣のボックス席から突然、怒鳴り声が響き渡る。
大声でキャストに絡む声が、その後も続く。

男の隣にいた鞄持ちが、即座に動いた。
「声落とせや! やかましいねん!!」
「ああん? なんだ若造!?」
大声の主は黙るどころかさらにヒートアップする。

しばらく争う声を聴いていた男が、ゆっくりと立ち上がる。
「おい、おっさん。その辺にしとけよ。」
男の、静かだがよく通る声に一瞬たじろいだ中年の男が、意味を成さない言葉を喚きながら向かってくる。
「お客様! 他のお客様のご迷惑になりますので…!」
止めに入った黒服に抑えられながら、なおも暴れる中年を横目に見ながら、ふと奥に目をやると、絡まれたキャストの肩を抱いて慰める女の姿が目に入った。

『…ん? あの顔、どこかで…。』
逡巡した後、男は駆け寄っていく。
「お前、あん時の中坊じゃないか!?」
突然声を掛けられて、驚いたように顔を上げた彼女が何かを思い出したように軽く目を見開く。
「あっ…、あの時の。」
「ここで働いてたのか! 親父の借金完済できたみたいだな! よく…、よく頑張ったなぁ!!」

隣のボックス席からの怒鳴り合う声が続く中、男は彼女に聴こえるよう声を張り上げる。

「私、この店も今月で最後なんです!結婚…結婚するんです!!」
女も、彼に聴こえるよう大声で応える。

「そうか、良かったな! 相手、真面目な奴なのか? あと、あのクソ親父はどうしてるんだ!?」
なぜだか嬉しそうに矢継ぎ早に質問してくる彼に、微笑みながら答えようとする彼女に、近付いてきた黒服が声を掛ける。

「マイさん、指名です。」

名残惜しそうにこちらを見る彼女に、早く行けと手で合図する。

彼女の後ろ姿を見つめながら、心の中で思う。
『良かったな、数年我慢すりゃなんとかなるんだよ。これから、幸せにな。』


フッと笑うと、男はいまだ中年と揉み合う鞄持ちに声を掛ける。

「もうええやろ! やめとけ。行くぞ。」
「行くって…仕事はいいんすか?」
「ああ、今日はそんな気分じゃなくなった。出直すぞ。」
「なんか、いいことでもあったんすか?」
「あ? うっせえよ。黙って付いてこい。」

鞄持ちをひと睨みして黙らせると、自然と浮かんでくる笑みを見られまいと、男は背を向け足早に店を出るのだった。


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