【秋の記憶】

男は、爽やかな秋晴れの空を見上げた。
雲ひとつ無い、吸い込まれるような青さに目を細める。

あれから、長い年月が経っていた。
男は金貸し業から足を洗い、自ら新たな道を切り開いた。
決して楽な道では無かったが、それでも気持ちは軽い。
笑う事すら忘れて死に物狂いだったあの頃に比べれば、随分と普通に笑えるようにもなった。


「…懐かしいなぁ。」
思わず呟いた自分の言葉に、フッと笑う。
こんな自分が、感傷的になっているのが何だか可笑しかった。


長い年月を経て、その街の景色は随分と変わっている。

桜の木があった路地裏のボロアパートは跡形もなく、同じ場所には大きなマンションが建っている。
あの寂れたサティは新しいイオンモールへと変貌していた。

見上げたその壁面に『ミスタードーナツ』の文字を見つけた男は、無性にチョコファッションが食べたくなって迷わず店内へと入って行く。
コロナ禍にも関わらずそれなりに混雑するフードコート内を、ミスド目掛けて進んで行く。

レジ前、二列に分かれた行列を見て一瞬迷うも、並ぶ。

「お次のお客様、どうぞ。」
レジ前の店員がほぼ同時に次の客を呼んだ。
チョコファッションのトレーには、あとひとつしかない。
「チョコファッションと、アメリカンで。」
少し早口で注文する。

一拍遅れて隣の子連れの主婦もチョコファッションを注文した。
「申し訳ございません。本日は完売です。」
「あ…そうですか。」
残念そうなその声に、ふとその顔を見る。

「あっ、マイちゃん!?…と、まいちゃんのガキか!?
いーよいーよチョコファッションそっちにあげて!」
「うわ、ビックリしたぁ!久しぶり!なんか明るくなった?…って、他の食べさすからいーのに。」
「いーよいーよ、すいません、このBOXのセットも一緒に!」

店員から受け取った紙袋を、そのまま彼女に手渡す。

「まいちゃん、これ持って帰ってこの子に食わせたげて...。
なんかこの子さ、大昔ここでドーナツ食わせたみすぼらしいガキに顔が似てるんだよ。なんかドーナツ5つ選んで一気に頬張ってさ、俺のチョコファッションまで食べちゃったんだよ、可愛い子だった。ま、じゃーな、元気で!」

途中から、彼女の目が潤み始め、話し終えた男に何かを言いかけたが、男はそれに気付かないふりをしてさっさとその場を離れた。


『ドーナツ程度で、感謝される事もない…』
背中に彼女の視線を感じながら、男は静かに微笑んだ。



“人生4シーズン 1年も4シーズン
俺たちにも4つの物語があった
なんでもないただの交差点みたいな話しだけど、俺たちの四季は数十年かけて冬に始まって秋に終わる物語だったんだよ”


fin…


【エピローグ】

“カラン カラン”
『スナック けろけろ』
と書かれた扉を開けると、懐かしいベルの音が響いた。

「あら、珍しい。」
カウンターの中でグラスを拭いていた女性が顔を上げる。

「おう、久しぶりだな。はいこれ、差し入れ。」
「なぁに? どっかの高級寿司とか?…って、ミスド!?」
男がカウンターに置いた箱を見るなり、女性が素っ頓狂な声を上げる。
「なんだよ、文句あるか?」
「文句は無いけど…。」
と言いつつ、ガッカリした様子が見え見えだ。

「こんなにたくさん、どうすんのよ? 今日はもうお客さん来ないわよ?」
「いいんだよ、俺とけろさんで全部食べるんだよ。ほら、どれにするっ?」

「もう〜!ダイエット中なのに、勘弁して欲しいわ。」
そう言いながら、その手にはすでにお目当てのドーナツが掴まれている。
男は、迷わずチョコファッションを手に取った。

「ちょっとなにニヤニヤしながらドーナツ食べてんのよ。大の男が…。」
「うっせえなぁ。黙って食え。」
「相変わらずおかしな人ね。なんか良い事でもあった?」

「…まあそうだな。良い事だ。わりとマジで。」
男はそう言うと、残ったチョコファッションを頬張った。

Thank you for reading…

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