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またまた、雑記。

「世の中のギフテッド全員が幸せになれるように!」

みたいな壮大な目標を抱えるのは、少なくとも今の自分には似合わないみたいです。

どちらかというと、

ご縁が合った方々とじっくり向き合って、あーでもないこーでもないと一緒に考えている時間が好きです。

カリスマ的なパワーで導いたりはできないし、すでに自分が持っている答えの中から何かをそのまま相手に差し出すのも好きじゃなくて。

相手に心を寄せて、想いや言葉を引き出し、でもすべて肯定する訳ではなく、そっと背中を押せて、程よい距離感で接せる人というか、、

多分、それは子ども時代の私が欲しかったメンター像なのかもしれません。
私自身は、不適応がずっと際立っていたタイプではないですが、ほのかな生きづらさや違和感を心の奥底に抱えて20数年暮らしてきました。

でもここ数年は、自分をよーく知り、自分なりに生き方を工夫したり、環境を変えることで、私にとっての心地よい、穏やかな幸せ(=全体的にまるっと受容できている感じ)に近づいてきた気がします。

とはいえ、自分の成功体験は自分だけのものでしかないから。
それを押し付けるつもりもなくて。

普遍的だと信じている部分だけを基軸にしつつ(それこそが主観的な成功体験なのだろうと脳裏をよぎりつつ…まあいいか)、後はなるべくフラットな目線で目の前の人を見て、関わり合って、私にできる役割をできる範囲で果たせればいいなと思っています。

強い言葉や押し付けは、するのもされるのも苦手。

絶対的な答えなんてないし、選んでいない選択肢は見ることすらできない。

そもそも、自分に見えていない部分の方が圧倒的に大きいのだから。

導くというよりは、味方になれたら。相手がどう受け取るかは別として、私の定義で相手サイドの人でい続けられれば。

たまに言い負かされたり、激しめな試し行為をされたり、期待を裏切られたような気持ちになって、むきーーーーっとなることもあるけど。

あと、Maiでいることに疲れて、羽目を外して飲んだくれたり、見せられない姿になっている瞬間も山ほどあるけど、、😅

でも関わってくださる方々は、まるごと興味深くて、大切で、大好きです。


そう思い続けられるような生き方をしたいです。


・・・それでも、いつか子どもたちがより生きやすくなるような、大きな仕組みづくりに携わりたいという想いを胸に秘めつつ。


Mai

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