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【IQ142】自分が"ギフテッド"だと気づくまで(④小学校5年生)

こんにちは!ギフテッド・2E教育のMaiです。
今年夏から、本格的にこの「ギフテッド・2E」領域を生業にすることにしました。

一当事者として、大変な思いをしているお子さんや保護者の方がラクに生きられるようなお手伝いができたらと思っています。

さて、久々にnoteを書いておりますが、小5の頃がもう15年前(!)であることに驚いています・・・。
同時に、子どもの頃の体験や感情が大人になってからも大きく影響を残すことを感じる今日この頃です。

前回書いたnoteが、こちら↓↓↓

今回は、小学校5年生の頃のエピソードをまとめたいと思います。
毎回恒例ですが、

  • 👍=ポジティブな思い出

  • 👎=ネガティブな思い出

に分けて書いてみたいと思います。

小5のころ

👍民族楽器ケーナにハマる

目新しいものが好き、「これだ!」と思ったら即座に飛びつく。
そんな性格がますます表に現れてきたのが、この頃でした。

夏休みに、家族旅行で清里に訪れたときのこと。
偶然立ち寄ったのがケーナ屋さんでした。

wikipedia「ケーナ」より

ケーナは南米発祥の縦笛で、名曲「♪コンドルは飛んでいく」で有名な楽器です。

小さなケーナ屋さんの店主のおじさんが、とても素敵な音色で吹いて見せてくれたのに魅了され、両親にねだって買ってもらいました。

艶のある黒いボディに、繊細な彫刻が施してある、素敵なケーナでした。

その晩から、毎日鏡を見ながら練習。
旅行中も、滞在先のペンションに戻る度に吹いていました。
吹き口が特殊なので、安定して音が出るまで2週間かかりました。

ようやく音階を奏でられるようになった頃に、楽譜を買ってもらって、

「コンドルは飛んでいく」
「となりのトトロ」
「早春賦」
「卒業写真」

などを練習して吹いていました。(渋いチョイスですねw)
家の中で朝から晩まで吹いて、「うるさい!」とよく怒られたものです😅

学校でも、音楽の授業で周りがリコーダーを吹いている中、
私だけケーナを持参して吹いていました。

多分、リコーダーを吹くように指導しても反抗して聞かなかっただけだと思いますが(汗)、許してくれた当時の音楽の先生に感謝です。

習っていたピアノの発表会でも、ケーナを使った演奏をした記憶があります。

そんな感じで、中学生になる頃まで数年間は、ケーナをいつも手元に置いていました。

このように、

・好奇心旺盛で興味を持ったことに飛びつくところ
・ハマるととことん深掘りするところ
・人目を気にせずに没頭できるところ

は、ギフっぽい特徴でもあったのかなあ・・・と今振り返っています。


👍公文式で「学年を越える」学びを初体験

両親の勧めもあり、小5の2月から公文で算数を始めました。
小1から進研ゼミのみだった私にとって、初めての学習教室でした。

当時の公文は、小学生のうちに中3相当の教材まで到達すると「Iリーグ」と言って、表彰されたり、Iリーグ認定者のみが対象のセミナーやイベントに参加できる、という仕組みがありました。

(現在は、高1相当の教材到達で「Jフレンズ」という、似たような認定制度があるようです。)

私は、Iリーグ生対象イベントにどうしても参加したくて、それをモチベーションに毎日コツコツ頑張りました。

その年度最後のIリーグ生イベントが、9月申込締め切りだったので、それまでに到達しないと参加できなかったのです。

毎日学校から帰ってきてから、多いと1日に50枚のプリント学習を黙々とこなしていました。
公文は、私にとって初めての先取り学習で、それまで「学年より先取りするのは”ズル”だからしてはいけない」と我慢していた私にとって、本当に楽しい時間でした。

その結果、始めてから7ヶ月でI教材(中3)相当に。
小3相当のC教材から始めたので、1ヶ月で学校の1年分を進めた計算になります。

学年を超えて1500枚以上のプリント学習を進めたのは純粋に楽しかったですし、ほぼ繰り返しせずに進むことができました。

理解がそこそこ早かったことに加え、処理速度も速かったので(WAIS-Ⅳでも処理凸でした)、プリントで自学する公文式が合っていたのだろうなと思います。


👎特別支援学級との関わり

勉強でも運動でも音楽でも、小5になるまで同級生に負けたことがほとんどなかった私。
そんな私が、初めて心から「負けた・・・」と思った、印象深いエピソードを書きたいと思います。

ある音楽の授業で、「グループでリコーダー演奏をする」という課題が与えられたときのこと。
私は、特別支援学級に在籍していたAくん、Bちゃんと、ピアノを一緒に習っていた友達Mちゃんと、4人グループになりました。

曲名は忘れましたが、2重奏の曲で、5年生にしては結構難しい曲を与えられた記憶があります。

交流学級として同じクラスに在籍していたAくん、Bちゃんは、音符が読めない上に、指先が不器用。
「彼らが楽譜通り吹くのは、相当難しいだろうな・・・」というのが当時の私の見立て。

そこで、譜面を簡単にアレンジして、彼らの無理ない範囲で演奏してもらうのがいいだろうとMちゃんに提案しました。

当たり前のように同意してくれると思いましたが、Mちゃんは「え?AくんとBちゃんも練習すればできるよ!」と猛反対。

私は「そんな上手くいくわけが…」と心の中で思いつつも、波風立てたくなかったので、しぶしぶ同意。
同じ譜面で、4人で練習し始めました。

これが、予想通り苦労しまして。
楽譜が読めない彼らのために、指の動きを見せて教えたり・・・
休み時間も同じ小節を何度も練習したり・・・
全員がなかなか大変な思いをしました。

でも最終的には、彼らの努力とMちゃん中心の熱心な指導の成果が表れて、授業参観で行われた発表会は大成功🎉

音楽の先生も、彼らの親御さんも、とても嬉しそうに見ていて、そして何よりAくんとBちゃん本人が誇らしげに親御さんを見つめる姿を見て、人生で初めて、

「(Mちゃんに)ま、負けた・・・

と感じたのでした。当時から教育に関心があったので、見立てが間違っていたことも悔しかったのです。そこから数ヶ月落ち込みました(涙)

以下、余談です。

これは小学生の頃の些細なエピソードですが、今後自分が子どもたちの教育・発達支援に携わる中でも、気をつけなくてはならないポイントだと思っています。

■現時点での能力やラベリングで判断しない
■伸びしろを考慮した関わり方をする
■目の前の子どもの可能性を信じる

いかがでしたでしょうか。
小5くらいから、鮮明に覚えているエピソードも増えてきて、何を取り上げようか悩みながら描いてみました。
勉強が得意かも?と気づき始めたのもこの頃ですね。

次は、小6時代についてまとめたいと思います。
続きが読みたい!と思ってくださったら、「❤️(いいね!)」を押してくださると嬉しいです。

では、また会いましょう!

Mai

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