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日本映画制作適正化機構……?

前に「俳優の教科書」を読んだ時にずいぶん大それた発言をしてたんですが……
たまたま「現場、どこか根性論」という文言が入った見出しを見かけました。
本を読んだ結果、現場がちょっとでも身体的に楽な環境になってくれないと、私はとても参加できるもんじゃないと思ったので。だから「根性論」という言葉を見た瞬間「それを消してほしいのよ!」と思った。
で、「映適」なるものの公式サイトを読んで理解しようとしたが、無~理~~😇

よって、実質解説してくださってる方の記事を自分なりにまとめただけになってしまうんだけど、とにかく「気合と根性で乗り切る!」的な環境をどうにかしたいという思いから来てるので、批判的にいきます。

大それた発言はこちらです↓




映画だけじゃなくない?

高校の時に、学校で保護者向けに開かれた講演会で、フジテレビの村瀬健プロデューサーが登壇されたんです。その時の話を親経由で聞いて、印象に残っているのは、休みなんてない職種だからそれが嫌なら入ってくるなと就活生には言ってる、みたいなことをおっしゃっていたらしいんです。
※人づてに聞いた話だし昔の記憶でしかないので、実際の話とかなり違っていてもおかしくありません。ご了承ください。

当時の私は平然と自分を追い込みまくっていたので「そりゃそうだろ」としか思わなかったんですが、今となっては恐ろしい話だとしか思えない。

下は村瀬健さんについての資料です。講演会の時に配られたもの。

母による書き込みを塗りつぶしています🙇🏻
まだ「silent」がない。笑

サマヌ!!!!!!!!!
というのは置いといて、もう今までの発言で分かる人には分かるだろうから潔く言っちゃうけど、村瀬健さんというより村瀬先輩、なんて呼んでいいのかわからないが高校同じです。愛知県立旭丘高等学校。
前にチラッと書いた脚本の件は3年劇、「浅田家!-another story-」はルム対のエピソードです。しかしコロナをガッツリ喰らったことと病気のせいで一般的な鯱光祭に参加したことはありません(滝涙)

あの高校に居ると感覚バグります。
休みなんてない、確かにな! 高校がアレでは当然のようにそう思えるようになるわ!

どれもこれも内輪ネタですまぬ🙏🏻💦
ただ、あの異様な忙しさが当たり前にまかり通る業界全体がマズくない??
睡眠、食事、休憩、これら全てを限界まで削る生活してたら死ぬよ??

本題・映適について

映適の成り立ち

まずはこちらについて

ざっと
・集まった3者の関係は対等ではない
・最も立場の低い映職連ですら抜けが多い
・男性ばっかり
ということか、えぇ……

映適の機能

次のページへ。

大きく2つの機能がある。
①作品認定制度
②スタッフセンター

①については、ざっくり書くと、
・義務化されたわけじゃない
・一度認定されたらよほどのことがないと取り消しにはならない
・そもそも審査はさほど厳しくない
みたいです。認定されたところで意味あるのかな、と考えてしまった。

②については、次と一緒くたにまとめていきます。

映適ガイドライン

2つの記事を一気にいきます。

契約書やら請求書やら、とにかく書類がちゃんと発行されないみたい。そんな業界に初めてガイドラインを示したということだそうです。
契約書どころかコンビニのレシートまできっちり受け取る私、その辺はちゃんとしてくれないと困りませんか、という疑問を持たずにはいられません。だから画期的だと思ったんだけど、あれ、色々抜けてるんだ!?

まず、スタッフ(俳優を除く)にはちゃんと契約書を発行します。
俳優を除く!?

また、フリーランスの人について、自らの判断で業務を遂行するように明記されている。1日あたり13時間で休みは月に2日という労働時間(過労死ラインを超えている)をOKとしている。
既に「!?」ですが続けます。
間違ってるかもしれないけど、労基法に違反するレベルだとしても自己責任だと解釈しました。では自己責任で自分を守るためにきっちり休みます、なんて言ったら仕事なくなるわ。じゃあ同じく休む人と一緒に、みんなでやれば怖くない。しかし──
機能のところで出てきたスタッフセンターはガイドライン遵守が原則なので、入会すると労基法で守ってもらえなくなる。組合化への牽制という筆者の推測が当たっていると仮定すると、歴史で出てくる労働争議が難しくなるということ。
サクッと復習しましょう。立場の弱い労働者が団結して(組合化して)資本家に物申すようになった、これをまとめて労働争議と言って、時は大正デモクラシーの頃。加藤高明(旭丘の前身・愛知一中の卒業生)とか平塚らいてうとかが出てくるあたりです。時代が古いな🙄

制度の実証は、業界ではマシな方の作品で行われている。マシな方もマズい方も全部やってみないと効果分からん、よね??

かなり問題を感じるのは私だけじゃないと思うけど、だからこそ、逆の肯定的な捉え方を知りたいです。

ひとまず最後

ルールを厳格にしすぎることで文化芸術性が損なわれてはならない、という点には同意です。しかし、今の異常に負担が大きい状態はよろしくないと思う。
変えましょうよ、というか、そろそろ資本主義の限界(競争的社会で生き残ることの大変さで、潰れちゃう人たちの存在も知られてきている。ある人がまたある人に良いものを安く提供することには、いつか限界がくる。)も見えてきてるんだから、変えていかないと衰退していっちゃうと思う。
誰かが率先して変わっていけば、それによって助かる別の誰かがいるよね!?
……また人を救う話をし始めてしまった。笑


ついでに、自分が理解できているという自信は皆無だけど、興味深い記事を発見したので、貼っておきます。 


おもしろ(くないであろう)小話

わりと壮大な話をしている気がするんですが、その昔理科便覧で日本人のノーベル賞受賞者一覧を見た時に、女性がいないことに気付いた、ということがありました。
「じゃあトップバッターは私だ️🔥💪」
と本気で思っていた……
もちろん生理学・医学賞です。それに、何かもう一つを「人類で初めて同時受賞!」なんて出来たら凄すぎ。これの意味、パッとわかったらヤバいですよ。
これに比べたら、今はだいぶ現実的な規模になりました。

まあ、こうして突き詰めちゃう性格なんだってことです~~☺️


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