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父と娘の備忘録




「自分のためやのにな、
 なんで人のせいにしてしまうんやろな。
 それがお母さんの残念なとこやな」


「お母さんは一生懸命なんやで」

「一生懸命って理由さえあれば、
 何やってもええのん?」 

「そういうわけやないけど…
 親てのはそういうもんなんや」

「親やったら、相手が嫌がってても
 押し付けてええの?」

「押し付けてるんやない。
 みんな一生懸命なんや。
 必死で働いて大学行かせて
 でも田舎出た後は帰っても来んと
 金の援助ばっかりや」


「嫌なんやったら
 やらんだらええやん」

「そういうことやない!
 どの親もみんな子どもの幸せ願てるんや」

「幸せを願うんは
 自分がやりたくてやってることやろ。

 そしたらそれは、
 自分のためにやってることやで。

 “アンタのためにやってあげたのに”
 “こんだけやってあげたのに”
 って言葉が止まらんのは、
 子どもの幸せよりも自分の幸せに
 しがみついとるからよ」


「それは違う、親はみんな、
 大変な思いして子育てするんや、
 文句も言いたくなるわよ、そいでも
 苦しくてもやるのが親っちゅうもんや。」


「その発想自体がもう古いねん。

 私も育てる側になって
 子どもの幸せ願う気持ちも
 一生懸命になる気持ちもわかるよ。

 でもそれと、
 自分の願望を混同するのとは
 また別の話やな。」


「…」


「私かて、怒ることもたくさんあるわ。
 でも、“アンタのために”って言葉は
 使わんようにしてる

 怒る時の主語は自分自身や、
 心配するんも怒るんも傷つくんも
 私が勝手にやっとることや。

 それを伝えた上で
 どう行動するかは子どもが決めたらええ」






「お父さん、昨日、
 “子どもは親を救うために
 生まれてくるんかもしれん”って
 言うてたなぁ。」

「言うたなぁ。」


「私もなぁ、そう思うねん。

 そう思てくれるお父さんやからこそ、
 もう一歩、知ってほしいことがあんねん」


「なんやろか」


「子どもがよ、親を救うために
 生まれてきたんやとしたら、
 不幸や不幸や言うてる親みることほど、
 子どもにとって辛いことはないで」


「…」


「しかもなぁ、
 その不幸の原因が自分やと言われたらなぁ
 そらもう、生きてるんもつらいわな」



「…そうかぁ」



「だから“親”は
 苦しみよりも幸せを目指すんや。

 親が幸せにしとったら、
 子どもはその姿から幸せを学ぶねん。


 せやさか、

  楽しく健康に生きてや」




(2024/3/22 父との会話より)




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