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不謹慎って言わないで

今日で父親が死んで3年が経ちました。


去年の父親の死に関する記事はこちら↓


3年って短いようで、でも衝撃を飲み込むには割と長かったりする。


父親が死んですぐは、不意に涙がこぼれたり、関係ない話の時にぼーっと父親を考えてしまったりすることがあったが、今はそんなことはない。

父親の死の衝撃をを忘れてしまったわけではないが、悲しさから日常に支障をきたすことはもうなくなった。

いつからそうなったか、どこからそうなったかと言われると曖昧だが、私の中では悲しさを「昇華」し切れた気がする。



20代前半の日本人で一親等の人間の死別を経験してる人ってなかなかいないから、レアな経験だからこそ、身内の死はきっとさぞ辛いものなのだろうって思われて当然だと思う。

でも悲しみを「昇華」した私にとって、父親が死んだことは1つの「事実」でしかない。



生きてたら良かったのに、とは勿論思う。

成人式、卒業式、結婚式、孫の顔、やっぱり全て見て欲しかった。
ドライブに連れてってみたかったな。
ライブもまだまだ行きたかった。
今年からBABYMETAL本気出してるよ、海外遠征行きたかったな。
卒業制作も頑張ったから卒展も見に来て欲しかったな〜。

でも、残念ながら今父親はこの世にいない。
会話を交わすことはできない。

私の父親はタバコの吸いすぎで、肺がんになって50歳で死んだということが、紛れもない「事実」なのだ。

ちょっと非情な書き方になってしまったが、それ以上でもそれ以下でもなくて、「事実」。

それでも、私という人間は生きていかなくてはならないし、生きる時間の中で出来るだけ明るい気持ちでいた方がいいはずだ。

それがきっと、生きてる人間にできること。


この3年間で「父親の死」の悲しみは昇華した。

でも、大好きな人間のこと、忘れたくないから、

たまには私の口から覚えていることを話させてください。

一年に一度、父親に関して想うことはここに書かせてください。

これもきっと、生きている人間にしかできないことだから。

父親の話を謹まないのも、1つの愛とさせてください。



だから私の周りの人へ

父親の話をしても、不謹慎って言わないでください。

この現実を、事実として受け止めている私のことを、事実として受け止めて、一緒に明るく生きていって欲しい。

今日からも、強く生きるぞ!顔笑れ!

ゆぢゅ〜



【ひとこと】
父ちゃん、そういや、ゆづスノボ行ってたよ

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