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ギフトとアビリティ、戸嶋祥郎選手の場合。

ただの、と言うと失礼だし伸びしろがあるから入学してくれる学生ばかりなんだけど、それでもただの伸びしろを当初の見込み以上の最大値というか、最大値なんてあってないようなものだと軽々と飛び越えてくる。
戸嶋選手とはそういう男だ。
初めてプレーを見たのは降格しそうだと騒がれていた秋の明るい日で、途中出場だった(と思う)。色白で小柄の痩せ型(というか先輩方に混じっていると完全に痩せていた)で、局面ごとに顔を出し守備から攻撃への切り替えが早く、特に攻撃については身体がついていかないこともあるんだけど何か理想があってやってるんだろうなと思わせる選手だった。

先に書いた誠也選手と戸嶋選手は、共に1年生の頃から先輩に混じり公式戦に出場していた。彼らの試合を観る中で、「才能」として訳される "gift"と"ability" という単語がふと頭に浮かぶようになった。ふたりとも自分のギフトが何であるかを完全に理解し、それを潰さないようにアビリティを拡げる、強化するということを着実に進めているのが試合ごとに伝わってきたからだ。

つい最近、プロ入りが決まったことに対して戸嶋選手の同期で部の主務をやっている子が、入試で一緒のチームになった時のトゲトゲしていた(優しい表現にしているけど、たぶん第一印象は何なんだこの鼻持ちならない奴はと思ったんだろうと想像に難くない)彼が、後輩に目指してほしい模範的な選手となったことを誇りに思う、みたいなことを書いていた。
推薦入試枠ではなくセンター試験と前期の試験を受けて入学した主務の子も戸嶋選手も、高校まではそれなりにチームの中心で風をきって走っていたわけで、大学でもAチームで活躍する野望を持って入部した。入試からAチームへのセレクションが始まっていると意識して臨むあたり、もう既に遠い目標に向けてスタートを切っていて、10代でそんな意識高く行動しているんじゃトゲトゲもするわなというところだ。
もともと名門のジュニアユース出身で、その頃の写真(たぶん初ゴール時のもの)がクラブチームのアーカイブに残っているが、同じ世代の選手と比べるとずいぶん身長、体格ともに小柄で、2-3学年下の子供が試合に混ぜてもらっているような印象を受ける。この体格差ゆえジュニアユースからユースに上がれなかったのか、自身で高校の部活を選んだのかはわからないが、人生の早い時点でサッカーに関わる身体的なギフトは彼にとって非常に少ない割合でしかなく、だがそれをどう乗り越えるかを「計画して」「着実に」「継続して」「実行する」という、最も重要な思考とマインド、やりきる精神を持っていた。大学に推薦枠で行けない(全国大会での成績が足りない)ことから一般入試で受験することを決め、直前まで選手権に出ながら負けたらさっさと勉強へ集中力をシフトして(どこかのインタビューで1日10時間くらいの勉強を2-3週間しただけと言っていた。これかなと思ったら違った。http://footies.jp/life/6257 )(そしてようやく見つけた! http://footies.jp/life/8082 )受験に挑む。もともと要領よくというか、ある程度の成績を持っていてこそできることだろうが、自分をよく理解して目的を完遂させるという点が、戸嶋選手をトゲトゲさせていたギフトである。

周りの学生が公共の場にもらしてくる断片的な情報によると、様々な面においてずいぶんストイックそうだし、それゆえ変な子だ。かつて私の代の蹴球部員たちも、上を目指す人たちは食生活もトレーニングも日々の生活も、学年を経るごとに鍛練というのか究めたものになっていて、変なことやってんなこの人と思うことばかりだった。
例えば友達のひとりは、大阪の普通の公立高校(大阪一頭がいいと言われている)時代にサッカーをやり足りなかったという理由だけで蹴球部のセレクションを受け入部した。入った時はC1という下から2つめくらいのカテゴリに所属していたが、卒業する頃にはB1に定着してあとちょっとでAチーム(学生の頃はTOPチームと言わなかったのはなんでだろう)に手が届くところで引退となった。その彼も、2年生のうちにC1からB2へどう上がるか、3年時をB1でプレーするにはどうすればいいのかというのを、「この大会、試合に出る」「何点以上いつまでに取る」「筋トレの何とかの数値を何とかにする」「そのためには何の栄養素は必須」という具体的で小さな目標をこまめに立て、クリアしてという作業を究めていた。
また、清水東から推薦枠で入部した研究室の後輩は、運動生理学について専門かと思うくらいに勉強していて、身体のケアについて領域を専門とする学生の追随を許さないくらいに自分自身で実証実験を繰り返し応用することをいとわなかった。
大学に入ったからこそできる横断的な知識の吸収と、それを自分の選手生活にどう活かすかというのは、個人的に意識しないと単なる一過性のものとなり身体やパフォーマンスへの反映には至らない。そのことにはっきりと気づくのは、例えばプロのクラブチームの練習に参加したり、国際大会に出て他国の選手と試合をするといったように、環境が明らかに異なるタイミングである。私の友達の例で言えば、同期であるAチームメンバーのプレーや日々の生活に規律をもって臨む姿勢に感化されて前述のような目標を立て始め、後輩の場合は早い段階でプロと練習する機会を得たからこその変容だった。

話を戸嶋選手に戻すと、彼をトゲトゲさせていたギフトは4年間でさらに磨かれた。変な子扱いをされながらそれを受け流し、パッと見はただかわいらしい顔立ちの裏にある計算高さをブラッシュアップしたり(どうやってやるのだ)、目的完遂のために着々と裏で準備することを全力でやっていた成果だと思う。
天皇杯の快進撃の際に、一般入試を経てTOPチームにのぼりつめたというバックグラウンドから、誠也選手に次いで評価や露出も増えた。それについてよく野口選手が「こいつ本当は腹黒いんです、世間の人は勘違いしています」といじりながらSNSでたびたび訴えていたが、それは本当に正しくて、ただ私としてはチームメイトにそう理解してもらえているほどに彼のギフトが前面に出たんだな、誰もこの点には敵わないと思われているんだなという感慨もあった。

2年生の時にアミノバイタル杯で決勝に進出した。2部に落ちたこのシーズン初めての観戦だったが、冬ぶりに観る彼は明らかに半年前の身体的なひ弱さを克服しつつあった。幼い頃にどうしても足りなかった部分は適切な努力をすれば身体能力に変換でき、効率的にパフォーマンスへ反映できることに気づいた感じだった。
そこからはじわじわと主軸としての定位置を確保していく。推薦入試組と一緒に選抜にも選ばれたことで、また別の刺激もあったのだろう。計算高さというギフトを最大限に活かしながら、身体的なアビリティを着実に自分のものにしていく過程は、ただ月1回試合を観るだけでも進化が明らかに伝わってくるものだった。
だから4年目の夏、滑り込み以外の何物でもないが(明治大の木戸選手が怪我でメンバーを辞退した)、追加招集で世界の舞台に立つチャンスを手に入れることができた。そして手に入れるだけではなくそこで実績を残さなくてはならないという計算を実行に移すだけのアビリティが備わった彼は、とうとうユニバーシアード決勝戦のゴールをアシストするというこれ以上ない成果を成し遂げた。

どこかで野口選手が、あんなプレーをチームでやったことがないのに何なんだあいつはいつの間にか遠くへ行ってしまった(意訳)みたいなことを話していたが、観るだけのこちらもその気持ちは痛いほどわかった。確変とかそういうありきたりの言葉しか思いつかないが、急に別の生き物に進化してしまったような感じだ。これがきっかけなのか、後期のリーグ戦ではスカウトの人も増えた気がする(まぁ全員が私みたいに彼ばかりを見ているわけではないと思うが)。

大学サッカーに勤しむ彼を残り数試合しか観ることができないさびしさと、どんなプロ選手になるんだろうかという愉しみが交錯する冬がもうすぐやってくる。

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