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音楽と記憶②

思ったより記憶偏重になった①から脱却して、②は140文字程度でガシガシいきたい。

Weather Report " Birdland "

幼稚園の頃、父親がずーっとギターで練習していた曲。会社の人とバンドを組んでた父は、会社や地域イベントで時々ステージに立って演奏していた。あともう1曲、独特のギターリフの曲があったのだが、鼻歌検索だと私が下手すぎて探せないので、今度実家に帰ったら曲名を特定する予定。
若かりし頃は安いギターしか買えなかったからと、60近くになった時にレスポールを買い、著名なギタリストの方のレッスンを受けに行き始めた彼を見て、自分の好きなこと・ものへの偏愛深度と時間とお金のかけ方は間違いなく父の血だと確信した。(おっと246文字)

Green Day " Basket Case "

高校2年の夏休み、ウィスコンシンの2つの家庭へ2週間ずつホームステイした。そのうち1つの家族には同い年の女の子がいて、夜な夜な友達の家(庭にジャグジーがある!)や映画やパターゴルフ、ゴーカートなどと遊び回った中に、バンドをやってる友達のライブへ行くという夜があった。いわゆるコピーバンドで、当時全世界のラジオで鳴りまくっていたGreen Dayも何曲か演奏し、やっぱりこの曲は人種が違えど叫び踊り跳ねるもんなのねと思った記憶。

TOKYO No.1 SOUL SET  " SUNDAY "

大学生の時、というかその後大学院生までアルバイトしていたビストロのマネージャーの高校部活先輩が、BIKKEさんだ。バイトを始めてしばらく経ち、マネージャーとも雑談ができるようになった頃、唐突に「BIKKE知ってる?」と聞かれた。「ソウルセットのですか?」と返すと、うれしそうに「いやーお前は知ってると思ってた」と言われ、その日の終業後に新しいシャルドネを開けて2杯飲ませてくれた。
てか、SUNDAYのこのクリップはいつ見ても最高やな。

RIP SLYME 「黄昏サラウンド」

夜道を歩くMVとテンポとリズムがすり込まれてしまったので、仕事後に駅から家まで帰る間、たとえイヤホンを忘れたとしても脳内でパーフェクトに再生して、足取り軽く帰るための1曲。
初めての転職時、当時の上司へ今日こそ退職の意思を伝えようと出社したのに、言えずに帰ってくることが3日続き、4日めにようやく伝えられた。言えた夜の帰り道はこれを大音量で聴きながら帰るんだろうな、と言えなかった3日間は思っていたのだが、実際に伝えてみるともう後には引けない覚悟みたいな感情の方が勝ち、結局その夜は音楽なしで帰ったことを思い出す。

TROMBO COMBO " The Winner Takes It All "

大学院時代の友達が焼いてくれた(!)ディスクでずっと聴いているが、Youtubeにあるのね、すごい。
mixiで、チェーンメールのコミュニティ版みたいな○○バトンというのが多発していた時に、もれなくミュージックバトンを回され参加した。その時に、隣の研究室の友達のプレイリストがよかったので、音源を貸して(うわー音源がハードでやり取りできるということに時代を感じる)もらおうとしたら、このSwedish Lounge Bossaをまるっと焼いてくれた。おしゃんてぃな曲なのに、研究室のある6階の蛍光灯が間引かれた侘しさの強い廊下と、部屋のドアを開けた時の北に抜ける空、誰かが食べるカップラーメンの匂いが一気に押し寄せてくる。

Hi-STANDARD " Wait For the Sun "

大学への進学が年内に決まり、その年末から自動車教習所とアルバイトがメインの活動になった。もちろん高校へも通うけれど、友達は皆受験勉強の最後の追い込みなので、授業が終わって自習時間になるとひっそりと帰宅した。同じクラスだった友達には今でも「あの頃気配消してたよね」と言われる。
週末だけ、日給、家からそこそこ近い、という理由で、アルバイトはゴルフ場でキャディをした。歳の近い大学生バイト達と仲良くなり、ラウンド終了後にはコースへ出て、借り物のクラブで日が暮れるまで練習をしていた。その時の1人からハイスタを教えてもらったのが、私のハイスタデビューだ。この曲が入ったアルバムを貸してもらい、既に心酔していたOASISとはまた異なるごりごりのパワープレーに圧倒される。
そして進学した大学の、独房のような寮での1日め。ちょっと音量大きめにかけたところ、翌日両隣の人から「ハイスタ聴くんだ!」と声をかけられ、一気に距離が縮まるという出来事もあった。

Stevie Wonder " Lately "

東京本社へ1年の期間限定勤務となり単身赴任をすることになった父と、大学3年の終わりから4年の1年と少しの間、2人で暮らしたことがある。
父が出張で不在のある夜、彼が持ってきていたCD群の中から選んだスティーヴィー・ワンダーのアルバムを聴いて、この曲は前奏から最高だなと何度もリピートしていた。2度ほど電話が鳴ったが、ソファに沈みこんで立ち上がるのが億劫だったのもあり、緩慢な動作でぐだぐだしていたら数回のコールで切れてしまい、まぁいいかと放っておいた。翌朝また電話が鳴り、母方の叔母からだった。祖父が亡くなった知らせで、昨晩は危篤を伝えようとしたが、叔母も慌てていて長くコールできなかったらしい。母親には連絡済みで、彼女は今朝の便で飛びそろそろ名護へ到着する予定だそうで、あんたどうする?という話になった。昨晩の怠惰を直接詫びないと今後祖父に顔向けできないと思い、そのままお金だけ持って羽田空港へ向かった。
祖父にとって、母は男兄弟の中で待望の娘だった。保守的な祖父と、中学の頃から名護を出たかった母とはいよいよ高校卒業前に険悪になり、母は進学と共に沖縄を出て、私を産んでもしばらく帰らなかった。そんな経緯があるからか、祖父は私に対し猛烈に優しいのだが時に規律を求めてくるところもあり、若干の畏怖と尊敬が混在する感情で彼と接していた。そんな祖父の最期に想いをはせる時はいつもこの曲から始まる。そしてあの晩父が一緒だったら、この曲と祖父が結びつくこともなかったわけで、人生で起きるどんな瞬間も何かの出会い頭なのだと思う。

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