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現実じゃそうはいかないことわかってるから、せめてこの世界は幸せであれよ!という思考になった理由

最近、めちゃくちゃ傷ついた出来事がありました。
何かというと、『たまたま読み進めた少女漫画で、最後まさかの、主人公がライバル役で出てきた人とハッピーエンド』だったこと・・・。

わたし妙に傷ついて、しばらく思い出しては『どうして・・・?』と悲しくなってしまいました。
24時間待って1話読むタイプのアプリで読み進めましたが、ラスト5話くらいは展開にハラハラしすぎて・・
『うそだよね?不穏だけど、別れないよね?大丈夫だよね?え、やめて?』と思いすぎていてもたってもいられなくて、課金しちゃいましたよ。
一気読みしちゃいましたよ。

だって!!!!
牧野つくしは、道明寺と結ばれて欲しいんだ!
花沢類はそのポジションだからいいんだ!
最後そんなどんでん返しはいらないんだ!!!!!!!
的な。
そんな気持ちだったから・・・。

この妙な傷つきはなんなんだろう・・と考えてみると
やっぱり架空のストーリーに、個人的な『刷り込まれたもの』が強く反映されているからなんだな、と思います。

わたしにとって『少女漫画』とは、

主人公が、最初から明確にわかる『こいつが相手だな』というキャラクターと最終的にうまくいくもの。
紆余曲折を経てラストはふたり、そしてその周辺も幸せになるもの。


こういうインプットがもう、りぼんを読み始めた小学校1年生から刷り込まれているんですね。
だから、どんなことが待っていようとも、結末はわかっている。
どんなにハラハラしても、エンディングは知っている。
そんな状態で読む、それが少女漫画なんだ。と、そんな思考がわたしの中にはありました。

最初から最後まで姫ちゃんは小林大地とお幸せに、だったし
最初から最後まで琴子は入江くんとお幸せに、なんですよ。

これはある意味、めちゃくちゃ安心した状態で読んでいるってことなんですよね。
だから、妙に傷ついてしまった。
『え、話が違うじゃん・・・』って、誰もそんな確約してないのに、カウンターパンチくらったみたいな衝撃だったわけです。

妙に疲れたとき、急に少女漫画が読みたいって思うときがあるんですね。
これは、『安心した状態でハラハラしたい。最後はハッピーが待ってると理解しながら楽しみたい』という、
・・・こうやって書くとまぁなんとも矛盾のある、それ面白いの?って自分でも疑問で思うような言葉ですが(笑)
守りの姿勢で楽しみたいとき、まさに疲れている時に最適だったんだな、と、理解。

現実の世界って、エンディング超わからないじゃないですか。
最初に『この人が運命の相手だ!』って思ったって、それ本当にわからないまま進むじゃないですか。
もうそんなんみんなわかってるじゃないですか。

だからこそ、少女漫画だけ。少女漫画というジャンルだけでは、
『現実じゃそうはいかないことわかってるから、せめてこの世界は最初から変わらない幸せであれよ!約束されててくれよ!』という、刷り込みからの悲しみが発動した話でした。

そもそも、『少女漫画』って一体どういうくくりなんだろう?
『少女漫画』って言葉も、文字にして打つと違和感を感じるなぁ。
今書いてて急に不思議に思ったので、今度調べてみます。

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