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やりたいことが見つからなければ、足もとを見よ

バレンタイン、我が家は毎年恒例の折り紙入りギフトを用意した。

ハロウィン、イースター同様に子供達に毒を持っているような罪悪感さえ湧くバレンタインだが、学校から帰ってきた子供達の顔がキラキラしていた。楽しいイベントらしい、この笑顔を見せられると親はノーとは言えなくなる。そして、うちの子供達はもう立派な砂糖中毒者かと心配してしまう。

今年は直感に従っていろいろ行動している。そして、瞑想を続けていると間違いなく直感力が上がる。そして直感を受け取っても、不安や失敗する恐怖という感情に流されてやる気をなくす自分のパターンにも気が付いた。

以前アップした「やりたいことの見つけ方」という記事を書いたが、あのあと、私は「好奇心からの行動力」は人並み以上なのではないかと気が付いた。まさに今ある人生は私の好奇心と行動力が切り開いたものだ。人生を賭けてやりたいことが見つかっていないから失速するのか。それとも好奇心の持続方法を知らないからなのか?

若い頃はひとり旅に出たり、ヨガの修行に行ったり、海外を飛び回る仕事もさせてもらったり、結構自由にいろいろやっていた。なのに未だに何かに巡り合えていないと探す。人はそれを生きがいだったり、使命だったり、天職だったり、自分の人生に理由付けをしたくて迷走する。

でも、人生も折り返し地点付近に来て、ようやく気が付いた。

脚下照顧、自分の足元をよく見よ。これは、自己反省や日常の直視を促す禅語だ。瞑想中にこの言葉が浮かんできて、気が付いた。全てが腑に落ちた。

この世界で絶対に私にしかできない大切な使命、足元に転がっていた。

家族だ。夫と子供達だ。

夫のためにできることは何か?私が今一番好奇心を持ってやりたいことは子育てではないか?私の生きる原動力は家族だ。誰がどう考えたって、彼らのことを世界の誰よりも愛しているのは私だもん。子供達に幸せに生きる方法を教えることが私の使命なのではないか。これから数年しかできない期間限定の大事な使命だ、ということにハッとした。

私の使命で、世の中にインパクトを与えなくてもいい、お金にならなくったていい、社会に貢献できなくてもいい。もっと言えば「自分の時間がなくなる」なんてエゴは捨てればいいし、学校に頼るのもやめよう。

今、子供達はすごいスピードで成長していて、いろいろな影響を受けて性格も少しずつ形成されてきている。8歳の長男は意地悪な発言やズルさが出てきた。次男はまだ素直だが、ネガティブな思考パターンが見える。これも成長の一部だとは思うが、私が苦しんだので早めに修正してあげたい。

これから数年間は彼らが私のビッグプロジェクトだ。世の中の物差しで人と比べて子供達を評価するのもやめて、彼らの良さをどんどん引き出していく子育てをしたい。

余談になるが、そんな時に大愚和尚が「善友に侍れ」というお話をしていた。

善友とは、ざっくり言うと「自分にいい影響を与えてくれる人」だ。「善友に侍れ」とは憧れの人のようになりたければ、その人のそばにずっといるとその人のようになっていくという。

気になったのはここ。

「親のように絶対になりたくないと思っていても、ずっと一緒にいると似てきてしまう」

長男の意地悪発言も次男のネガティブ発言も私の真似なのかも…と猛反省した。

育児は育自、本当だ。彼らを見て、はじめて自分を知る。そして自分のネガティブな思考パターンに気が付き、「子供達にこうなってほしくない」という愛情が原動力となり、自分が成長していく気がする。

脚下照顧、やりたいことがわからない人は自分の足元を見てみる。普段は目を向けなかった大切なことに気がつくかもしれない。

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