自分というひと4

私の活力。

家族?友達?趣味?お金?やり甲斐?美味しい御飯やお酒?

「活力」とは働き動く為の力という意味。

休養もそろそろ解けそうで、働き始める予定。この歳で(30代前半で)、9月からだから・・・約半年お休みしてるとは社会人になりたてだった頃の私には予想も付かないだろう。大学からバイト漬けで掛け持ちまでしてたし、卒業後もがむしゃらに仕事して、とことんのめり込んで行く生活をしていたから。知ること、できることが増えていくのが単純に嬉しくて楽しかった。だから気づかなかった。こうなるまで。

そもそも、大学生のときは仕送りをもらっていたし、学費も 家賃も両親に払って貰って何不自由ない環境だったのにアルバイトを始めたきっかけは、人見知りだったからだ。田舎から出てきた友達は大学に何人かいるだけの、広い広い東京の、狭い狭い世界で生きて行くのがなんだか勿体無いと思った。こんなに人がいるのに・・・!

そんな気持ちで接客業のアルバイトをして、人と話す楽しさを知った。売上という考えにはじめまして、接客業という仕事、社会人のルールを知って、自分に将来、なにができるのかワクワクして想像してキラキラして楽しくて楽くて。人見知りという殻を破って社交的になった。もっと、もっと、多くの人と仕事をしてって。

社会人になってからも、好きだと思える事を仕事に選んだ。(気づかなかったけれど選べる自由があって、チャンスがある私は幸せだ。それは今も同じ。)ワクワクしてキラキラしてた感覚が強過ぎて、わたしは理想主義になっていて壁にぶつかっては転んで、ぶつかっては転んで、でも自分が信じた通りに真っ直ぐに進んで来た。

進めたのは、周りに沢山の人がいたおかげ。仕事の技術や知識を身に付けることが楽しかったのは、今まで出会ってきた人達のおかげ。本当に人に恵まれている。苦手な人やケンカをする人もいたけど、色んな人がいるから当たり前だし、ぶつかって好きになることもあった。

お休みする前の仕事は、チームというより、気持ち的には個人の仕事を進めてく感じ。勿論、周りにいる人達は尊敬できる楽しくて厳しい居心地の良いチームだったけれど、どこかで、何かが、掛け違えて、だんだん、チグハグになってきて、ズレてきて、メールが開けなくなって、PCが打てなくなって、頭がフリーズしてきて、笑顔になれなくなって、ご飯食べれなくて、涙はあふれ出て、早退して、また早退して・・・ある日ベッドから起き上がれなくなっていた。

今はだいぶ安定しているけれど、人に会いたくて会いたくて、会ったら今度は会いたく無くなって引きこもって、そんな繰り返しで、上手く説明できない状態。そんな状態なんだけど、とにかく一貫してヒトが好きなんだと思う。私を知っている人は一匹オオカミのようなイメージかもしれないが、ヒトと繋がり共鳴する感動とか、幸せだとか楽しいとか思う時って一人じゃない気がする。

また、多くの人に会ったらどうなるか少し心配だけどはやく仕事がしたい。自分の感情を喜ばせたい。またヒトと繋がりたい。

神様に与えられた「言葉」「感情」という人間の能力は、そのためにあると思う。

私の活力は「ヒト」だろう。いつまでも綺麗ごとを言って理想主義者であれ、わたし。





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